023 要請

 兵藤が単身で乗り込んできた。

 それはかまわないが――。


「待て! そこで止まれ! それ以上は近づくな!」


 ――顔色が目に見えて悪いのは問題だ。

 奴の身に何かしらの問題が起きているのは明らかだった。


「助けてくれ! 冴島!」


 深々と頭を下げる兵藤。

 プライドの高い暴君からは想像もできない姿だ。

 よほど切羽詰まっているらしい。


「何があった?」


 5メートル以上の距離を空けて話す。

 女性陣は俺の後ろで不安そうな表情を浮かべていた。


「俺たちの拠点に謎の病気が蔓延しているんだ!」


「病気だと!? どういう症状だ?」


「酷いのは熱だ。どいつもこいつも高熱に冒されている。俺もそうだ。あと下痢や嘔吐が酷い」


 兵藤が「ウッ」と口を押さえる。

 込み上げてくるゲロを強引に抑えたようだ。


(症状を聞く限り感染症ぽいが……)


 いかんせん医療は専門外だ。

 同級生よりは些か詳しい程度の知識しかない。


「冴島、お前ならどうにかできるんじゃないか? サバイバルの技術があるんだろ!」


「無茶を言うなよ。俺は医者じゃないんだ。それとも今すぐミカンや食パンから採った青カビを培養してペニシリンを作れって言うのか? 無理だろ!」


「海斗君ならできそうな気がする……」と明日花が呟いた。


「それに俺は薬なんざ持っていないぞ!」


 これは嘘だ。

 本当は緊急用の薬をいくらか持っている。

 しかし、それを渡すほどのお人好しではなかった。


「とにかく来てくれよ! 状況を見れば何か分かる可能性だってあるだろ!」


「一理ある」


 治療薬の処方は無理でも助言ならできるかもしれない

 そのためには、奴の言う通り現地で状況を見る必要があった。


「待って、危険だからダメだよ!」


「そうだよ! 無視すりゃいいじゃん! 都合良すぎだっての!」


「海斗君まで病気になったら大変だよ!」


「私も海斗の身が心配」


「そうですよ、やめたほうがいいですよ先輩!」


 女性陣は猛反発。

 絶対に行くなと引き留めてきた。


「みんな……!」


 なんだか嬉しい気持ちになる。

 だが――。


「俺は兵藤と集落に行ってくるよ」


 俺の考えは変わらなかった。


「たしかに兵藤のことは嫌いだが、見捨てる程の嫌悪感は抱いていない。奴のグループメンバーに対しても同様だ。だから様子を見てこようと思う」


 ウチの女性陣は非常にたくましい。

 仮に俺が死んでも今の生活を維持できるだろう。

 その安心感が、兵藤の要請に応じる理由にも繋がっていた。


「海斗は優しすぎるよ」


 ボソリと呟く麻里奈。

 他の四人が口々に同意している。


「そんなわけで――」


 俺はサバイバルグッズの一つ〈N95マスク〉を着けた。

 さらに医療用のゴーグルも装着。

 白衣か手術着があれば感染症対策のプロに見える格好だ。


「――皆とはしばしのお別れだ。今日は大事を取って川で自主隔離するから戻らない。また明日会おう!」


「こっちは適当に過ごしておくから心配しないでね」


 吉乃が心強い言葉を掛けてくれる。


「頼んだぜ」


 俺は出発の準備を始めた。

 千夏の学生鞄に必要な物を入れていく。

 浄水ボトルと便利なマグカップ、あと石斧も。

 他のサバイバルグッズは洞窟に残しておく。


「では行ってくる」


 皆に別れを告げ、兵藤と二人で森に向かった。


 ◇


 集落に向かう道中は無言だった。

 なんだか気まずさを覚えたが仕方ない。

 今にも倒れそうな人間に話しかけるのは気が引けた。


「これは……凄まじいな」


 兵藤の言う通り集落は酷い有様だった。

 人数がさらに増えて100人を超えているが、その大半が死にそうだ。


 謎の病に冒されている者たちは、いくつかの住居に詰め込まれていた。

 開きっぱなしの扉の先に、生気を失った無数の生徒が転がっている。


 また、集落の至る所に吐瀉物の痕跡が見られた。

 きっとこの付近は酷い臭いに見舞われている。

 マスクのおかげで全く分からないが。


「ほんの僅かに元気な奴がいるから、そいつらを保護するために元気な奴とそうじゃない奴で分けている」


 兵藤曰く、元気な人間は全体の3割にも満たないとのこと。

 数で言うと25人前後だ。

 その連中が手分けして食糧の調達を行っているらしい。


「それで冴島、何か分かったか?」


「うーん……」


 俺は少し考えてから答えた。


「素人の意見だが、空気感染や飛沫感染ではない気がする」


「根拠は?」


「んなもん勘に決まってるだろ。プロじゃないんだぞ」


「すまん」


 素直に謝る兵藤。

 その信じられない言動からも参っているのだと分かる。


「いや、俺のほうこそすまん。きつい言い方になった」


 俺は周囲を見渡した。

 健康体の女子が一人、遠巻きに俺たちを眺めている。


「俺は元気な奴を捕まえて話を聞いてくる。兵藤は適当な場所で休んでいてくれ」


「分かった」


 俺は聞き取り調査を開始した。


 ◇


 計10人の男女に話を聞いた。

 質問内容は接種しているワクチンや服用している薬について。

 あと、ここでの食事内容についても尋ねた。


 その結果――。


「たぶん食中毒だと思う」


 ――というのが、俺の出した結論だ。

 兵藤は驚いていた。


「俺たちは果物しか食っていないぞ。なのに食中毒だと?」


 そう、たしかに兵藤たちは果物しか食っていない。

 動物を捕まえたところで解体できないからだ。

 解体するための知識と道具の両方を持っていなかった。


「たぶん原因は果物じゃなくて水だ」


「水?」


「ああ、何故かっていう……」


 話している時だ。

 竪穴式住居から一人の男子が飛び出してきた。


「やばいやばいやばい!」


 男子は家の裏に回り、慌ててズボンとパンツを下ろす。

 ――が、間に合わなかった。

 脱いでいる最中に「ビチビチィ!」と下痢便を漏らしたのだ。


「俺の勘が当たっていれば水質検査で答えが出る。お前らが水場に利用している川まで連れていってくれ」


 兵藤は了承し、「こっちだ」と歩き出した。


 ◇


 集落から離れたので、俺はN95マスクを外した。

 実はここへ至るまでにも何度か外している。


 着けっぱなしだと酸欠で死にそうになるからだ。

 マスクの性能と呼吸のし易さは両立できない。

 トレードオフの関係だ。


「俺たちはここの水を飲んでいる」


 兵藤が案内したのは、集落の東に位置する川だ。

 ウチの川に比べて浅く、それでいて流れが遅い。


「これほど綺麗なのに食中毒なんてありえるのか?」


「見た目じゃ分からないさ」


 いつものマグカップで水質の検査を開始。


「なんだそのマグカップ」


「水質検査キットだ。これを使えばウイルスの有無が分かる」


「なんでそんな物を持っているんだよ」


「学校でサバイバル訓練に明け暮れる男だからな。いつでも備えている」


 検査結果が出た。

 マグカップの側面が赤色に光っている。

 全力で危険を訴えるレッドシグナルだ。


「やっぱり水に問題があったな」


 スマホの連動アプリでデータを確認する。

 それにより、細菌が含まれていると確定した。

 何の菌かは未記載なので分からない。


「今後は飲む前に煮沸消毒をしたほうがいい」


「分かった、そうする。それより今すぐできる治療法か何かないのか? 原因が分かったなら何かできてもおかしくないだろ」


 俺は「無理だな」と即答した。


「症状から察するにカンピロバクターだと思う。ここの水を飲み続けない限り数日で自然治癒するはずだ」


「数日もこの苦痛に耐えないといけないのかよ……」


 兵藤の顔が絶望に染まる。


「気持ちは分かるが仕方ないさ。生薬の知識はあるけど、カンピロを殺せるようなものは作れない。というか、現代医学でも整腸剤を飲んで自然治癒を待つのが基本だぞ、カンピロバクターって」


「そうなのか……」


「ま、根性で耐えてくれ。俺にはそれしか言えん」


 あえて言わなかったが、カンピロバクターは油断できない食中毒だ。

 それ自体もきついが、稀にギラン・バレー症候群を引き起こすことがある


 ギラン・バレー症候群は、現代医学でも重症化率20%程の危険な病気だ。

 この島で罹ったらほぼ確実に命を落とすだろう。


「何かアドバイスはあるか?」


「皮肉な話だが水分補給をこまめにすることだな。今の状況で川の水を煮沸するのは大変だと思うから、水分の多い果物を手で搾るといい」


 折角なので土器と石器の作り方を教えておいた。


「役目を果たしたし俺は帰るよ。一人で大丈夫か? 集落まで送ろうか?」


「いや、大丈夫だ」


「そうか」


 俺は「じゃあな」と兵藤に背を向けた。


「冴島!」


「ん?」


「ありがとな。それと、これまですまなかった」


 俺は「ふっ」と笑った。


「気にするな。困った時はノーサイド、持ちつ持たれつだ。また元気になったらいがみ合おう。だが殴り合いの喧嘩は勘弁な」


 兵藤は蒼白の顔で笑みを浮かべた。

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