020 七瀬

 夕方まで少し時間があるため、一人で探索することにした。

 水汲みや食料の調達を女性陣がやってくれるおかげだ。


(メシの幅を広げたいなぁ)


 今は主に果物とアナグマの肉を食っている。

 そろそろ山菜やキノコを導入して彩りを加えてもいい頃だ。


 ということで、洞窟を起点として振り子のように進む。

 直線距離は稼げないが、洞窟周辺の地理状況には詳しくなれる。


 方角としては南に向かっていた。

 北に進むと兵藤のグループと遭遇しかねないからだ。

 こうも食料が豊富な環境で、あえて争いの種をまく必要は無い。


「お、定番のキノコが出てきたな」


 シイタケだ。

 似た見た目の毒キノコにツキヨタケというものがある。

 なので徹底的に確認しておいた。


 拾ったシイタケは肩に掛けている学生鞄へ。

 このカバンは千夏の物だ。

 彼女だけ持ち物が少なかったため借りている。

 微かにあった化粧品などは洞窟においてきた。


(食用のキノコは完全に把握しているし、もっとマイナーなやつが欲しいな。そのほうが皆を驚かせられる)


 そんな時、キノコではなくウドを発見した。

「ウドの大木」ということわざでも有名な山菜だ。

 これまた定番だな、と思いつつ頂いておく。


(ウドとシイタケでいい感じにカバンが膨らんできたな)


 重量を考えて必要最低限分しか採らないでおく。


「ん?」


 今度は地面の足跡に違和感を覚えた。

 大小様々な動物が同じ方向に進んでいるのだ。

 こういう場合、通常であれば水飲み場に向かう。


 しかし、それは考えにくかった。

 この近辺には川があって、それが水飲み場になっている。


「湖でもあるのか?」


 足跡は洞窟から見て真南に近い南南東に伸びている。

 川の可能性はないため、考えられるとしたら別の水飲み場。

 と、思いきや。


「うお!?」


 あったのは温泉だ。

 雑草の生い茂る森林の中に忽然と現れやがった。

 半径5メートル前後と広めで、絶え間なく湯気が出ている。

 誰にも管理されていない天然の温泉――いわゆる野湯のゆだ。


(漫画とかなら「うひょー!」と喜ぶ場面だが……)


 野湯は必ずしも嬉しい存在とは言えない。

 有毒ガスを放出している場合もあるからだ。


 大抵の場合は滞留する環境でなければ問題ない。

 ――が、絶対とは言い切れない。


 北海道の有毒温泉が有名な例だ。

 高濃度の硫化水素が発生しているため、近づくだけで死ぬ危険がある。


(とはいえ、大して臭いもしないし、動物も頻繁に利用しているようだから問題ないとは思うが……)


 慎重に近づく。

 人間が利用できる温泉なら暮らしのレベルが一気に上がる。

 濡らしたタオルで体を拭く生活とおさらばだ。


「持ってきておいてよかったぜ」


 カバンから水質検査用のマグカップを取り出す。

 水場を見つけてもいいよう持ってきたのが功を奏した。

 飲めるかどうか調べる物だが活用できるはずだ。


「さて、どうかな」


 カップにお湯を汲んでボタンを押す。

 ほどなくして測定が終わった。


 結果は――イエローシグナル。

 飲料には向いていないが、少量なら飲んでも大丈夫とのこと。

 つまり、入浴する分には何ら問題ない。


「大当たりだな……! まさか温泉があるとは……!」


 誰も入っていない温泉を眺めて唾を飲み込む。

 今すぐに入りたくて仕方なかった。


「抜け駆けするか? ちょっとくらいなら大丈夫だろ……! いや、まずは皆に報告したほうが……! しかしこの温泉を前に我慢するなど……!」


「一人でブツブツ言ってどうしたんですかー?」


 女の声でハッとする。

 温泉に夢中で周囲の警戒を怠っていた。

 慌てて振り返る。


「君は……」


 二年の藤井七瀬ふじいななせだ。

 黒とピンクを主調とした地雷型ファッションだから分かった。

 それに合わせたかのような黒い姫カットや黒マスクも特徴的だ。


 七瀬は数メートル先でしゃがみ込んでいた。

 寝不足なのか目の下に酷いクマができている。


「あ、もしかして私のこと知ってる感じですかー?」


 七瀬は立ち上がって距離を詰めてきた。

 スカートから伸びる脚が枝の如き細さだ。

 全体的にガリガリなので栄養面が気になる。


「ま、まぁ、名前くらいは……」


 七瀬は学校の有名人だ。

 学内の知名度だけなら麻里奈たちに匹敵する。

 全校生徒が名前を知っているレベルだ。


 その理由は、外見とまことしやかな噂にあった。

 学内で男子相手に売春をしていると言われているのだ。

 さらには大人相手にパパ活をしているとも。


「じゃあ私の自己紹介は省略するとしてぇ、そっちのこと教えてくださいよー。見た感じ先輩ですよねー?」


 さりげなく腕を絡めてくる七瀬。

 明らかに男慣れしている。

 これで胸が大きかったら危なかった。

 まな板レベルなのでどうにか耐えられる。


「お、俺は冴島海斗、三年で――」


 そこから七瀬と簡単な会話を行うことになった。

 互いにどうやって過ごしてきたかを話す。


 その結果、七瀬は今まで一人だったと判明した。

 夜は野宿で、適当な木にもたれて眠っていたという。

 それを裏付けるように服の背中側が汚れていた。


「あの狼煙って先輩たちだったんですかー」


 マスクを外す七瀬。

 視線は俺でなく狼煙に向いていた。


「ごめんな、救助じゃなくて」


「おかげでこうして出会えたんだし全然!」


 七瀬は狼煙……つまり俺たちの洞窟を目指していた。

 その道中で俺を見つけたのだ。


「これも何かの縁ですしー、私も先輩のグループに入れてくださいよー?」


 正面から抱きついてくる七瀬。

 やはりぺたんこの胸がもったいない。


「そう言われても俺の一存で決めるわけにはいかないから……」


 実際は独断で決めても問題ないだろう。

 やんわり断ったのは面倒ごとを避けるためだ。


 今、俺たちのグループはすごくいい感じに回っている。

 ここで七瀬を迎えておかしくなったら最悪だ。


「代わりにもっといい場所を教えるよ」


 兵藤たちの集落について話す。

 しかし、その最中に口を防がれた。

 人差し指を当ててきたのだ。


「私は先輩のグループがいいなぁ。お願いしますよー?」


 耳元で「せーんぱい」と呟く七瀬。

 童貞の儚く脆い理性がグラグラと揺らいだ。


「じゃ、じゃあ、皆の判断を仰ぐということで……」


 仕方なく譲歩案を提示する。


「それでもいいですけどぉ、私のことプッシュしてくださいよ?」


「プッシュ……?」


「私をオススメするんですよぉ。例えば『女の子を一人にしておくのは不安だ!』とか何とか言うんです」


 次の瞬間、何かが太ももに当たる。

 地を這う蛇のようにぬるりとやってきたのは彼女の手だった。

 左腕を俺の首に回しつつ、右手で太ももを撫でている。


「お、俺は、あくまで中立の立場を……」


「だーめ」


 ふっ、と耳に息を吹きかけられる。

 たったそれだけで眩暈を起こしそうになった。


「私のことをプッシュしてくれるなら、この場でイイコトしてあげますよぉ?」


「イイコトって……!?」


「それはぁ……」


 七瀬は小悪魔的な笑みを浮かべると、耳元で魅惑のワードを囁いた。


「マジすか……!?」


 思わず口調が変わる。


「うん!」


「断られるかもしれないよ」


「その時は運がなかったということで諦めますんでぇ」


 とんでもない好条件だ。

 少し便宜を図るだけでイイコトをしてもらえるとは。

 政治家の腐敗する理由が分かったような気がした。


「で、でも、それって、俺にとってあまりにも都合が良すぎるんじゃ?」


「だって先輩に見捨てられるとまた一人になっちゃうもん。その時は兵藤先輩の集落とやらに行けばいいんですけどぉ、あんまり人が多いのも好きじゃないしぃ」


「じゃ、じゃあ……!」


「交渉成立ってことでいいですかぁ?」


 俺はコクリと頷いた。


「やったぁ、ありがとうございます、せーんぱい」


 七瀬はその場に膝を突く。

 そして――俺は彼女の言う「イイコト」を堪能した。

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