012 交渉

 一定の距離で足を止めた。

 近づきすぎて集落の民とトラブルになっては困る。


「すみませーん!」


「誰かいませんかー?」


「ハロー!」


「ニーハオ!」


「ボンジュール!」


「ブエノス ディアス!」


 皆が口々に声を上げる。

 しかし――。


「………………」


 集落からは返答がなかった。


「誰もいないのか?」


 何故か俺に尋ねてくる兵藤。


「近づいてみるか」


 俺は腰に差している石斧を抜いた。


「お前だけ武器ありかよ」


「そういうお前にはムキムキの肉体があるだろ。拳で解決しろよ」


「ふん」


「なんでもいいから行くぞ」


「命令すんじゃねぇよ、殺――」


「殺すぞ、か?」


 兵藤はもう一度「ふん」と鼻を鳴らした。


 話を切り上げて集落に近づく。

 慎重に、罠や奇襲を警戒しながら。


(大丈夫そうだな)


 目と鼻の先まで接近したところで確信した。


「たぶん無人だな、足跡がない」


「足跡?」


「一つすらついていないだろ?」


「分かるかよ」


 足跡を消すには意図的に整地する必要がある。

 もしくは大雨などによる自然の力。

 現状ではそのどちらも考えにくかった。


「ということで――」


 俺は家の前に立ち、木の扉を勢いよく開けた。


「――やっぱりな」


 誰もいなかった。

 もっと言えば、中には何もなかった。

 普通は家具や寝具など、何かしらがあるものだ。


(この家は使っていなかったのか?)


 そう思いつつ他の家も調べる。

 兵藤たちも手分けして扉を開けて回った。

 その結果――。


「どの家も無人……というか何も残っていないな」


 完全にもぬけの殻だった。


 オリックスの群れが遠巻きにこちらを眺めている。

 二本の長い角が特徴的な草食動物だ。


「お前さっき足跡が云々と言っていただろ?」


 兵藤が近づいてきた。

 彼は俺が答える前に続けて言う。


「家の中にも足跡とかないのかよ?」


「なかった」


「じゃあこの箱物はどういうカラクリなんだ?」


「たぶんこの集落に人がいたのはずっと昔のことなのだろう」


「昔だと?」


「他に考えようがないからな。どう見ても人工物の竪穴式住居がどこからともなく現れるわけでもないだろ?」


「それもそうか」


 珍しく納得している。

 てっきり「ふん」と鼻を鳴らすのかと思った。


「まぁそういうことなら仕方ねーよな」


 ニヤつく兵藤。

 何か企んでいるな、と思いきや。


「よし! 今よりここは俺たちの拠点とする!」


 謎の宣言を始めた。

 だが、俺たちにとってはありがたい。

 奴等が使っていた洞窟をこちらに譲ってもらおう。


(そのためには一芝居打たないとな)


 俺は石斧を構えた。


「おいおい、ふざけるなよ。俺が見つけた集落なんだぜ?」


「だからなんだって言うんだ? 俺たちはお前に頼まれてついてきてやったろ。それで貸し借りはなしだ。それにお前ら五人で使うには広すぎるだろ。家の数は50近くあるんだぞ」


 当然、兵藤は突っぱねてくる。

 そうこうしている間に彼のグループメンバーが集まってきた。

 俺と兵藤を囲んで「なんだなんだ」と眺めている。

 麻里奈たちは俺の後ろで不安そうにしていた。


「どうする? 力尽くで奪うか? こっちは約60人。しかも50人が男だ。お前がいかに強かろうと多勢に無勢だぞ?」


 物の見事に思惑通りのセリフを吐いてくれる。

 そろそろいいだろう。


「チッ。分かったよ。その代わり洞窟はもらうぜ。ここから結構な距離があるんだ。別に問題ないだろ?」


「あんな洞窟くれてやるよ!」


 見事に交渉成立だ。

 俺は目当ての洞窟を手に入れ、兵藤もいい気分になっている。

 まさにwin-winである。


「じゃ、俺たちは帰らせてもらうよ」


 麻里奈たちに「行こう」と声を掛け、集落を後にする。


「待て!」


 歩いていると兵藤が呼び止めてきた。


「この草原は俺たちの縄張りになった! 冴島、お前は今後、この草原に立ち入り禁止だ! 一歩でも踏み入れたら殺すからな!」


 誰が見ても分かるほどのしたり顔をしている。

 めちゃくちゃ上機嫌で、なんだか俺まで嬉しくなった。


「そうかい。じゃあお前らも近づいてくるなよ」


「それは約束できねぇなぁ! ヒャーハッッハッハ!」


 俺はため息をつき、再び歩き出す。


(いくら気分がいいからって「ヒャーハッハッハ」はないだろ)


 思うだけで口には出さなかった。


 ◇


「なんであの集落を譲っちゃったのさー?」


 森を歩いていると千夏が尋ねてきた。


「力尽くで奪えばよかったじゃん! どうせ兵藤をシバいたら他の奴はビビって白旗を揚げたって!」


「私も千夏と同意見だなー。海斗が命懸けで木に登って見つけた場所なのにムカつくよ」


 麻里奈が唇を尖らせた。

 明日花と吉乃も同意している。


 女性陣はもれなく怒っていた。

 兵藤の態度がよほど気に食わなかったらしい。


「集落で揉めたのは俺の演技だよ」


「演技ぃ!?」


「本気であの集落が欲しいなら、それこそ千夏の言う通り兵藤を倒していたさ。こっちには石斧があるし、戦いになったら間違いなく勝っていた」


「じゃあわざと譲ったってこと?」と吉乃。


「もちろん。俺は最初から洞窟が欲しかったんだ。でも、何の反発もせずに集落の占領を認めてしまうと、兵藤の性格上、洞窟も手放さなかっただろう」


 女性陣が「ありえる」と口を揃えた。


「だからああいう形にしたんだ」


「そうだったんだ! 海斗君って大人だー!」


「でもさー、なんで家より洞窟がいいのさ?」


「家と洞窟を比較したんじゃなくて場所で考えたんだ」


「場所?」


「周囲には果物がたくさんあるし、俺たちが利用している綺麗な川もほど近い。足跡を見る限り猛獣もいないからな。問題があるとすれば、川の向こうに生息する巨大ジャガーくらいだろう」


「なるほどねぇ」


「あとはそうだな、兵藤も言っていたが、あの集落は俺たち五人が利用するには広すぎた」


「兵藤たちにも配慮したわけか!」


「優しいなぁ海斗君。自分のことを嫌っている人にまで配慮するなんて」


「大人だよね」と吉乃。


 俺は小さく笑った。


「人間同士で争うとか愚の骨頂だからな」


 集落での収穫はなかったが、洞窟を手に入れられたのは大きい。

 今後の生活が快適になることは間違いなかった。

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