003 解体

 悲鳴の主は千夏たちではなかった。


「あそこ!」


 吉乃が対岸を指す。

 同じ学校の女子生徒がいた。


「ガルルゥ!」


 女子に猛獣が迫っている。


「なにあの大きいやつ!?」と千夏。


「ジャガーだ!」


 熱帯雨林の王者であり、ワニにすら襲い掛かる森林のハンター。

 それがジャガーなのだが……。


「ジャガーってあんなに大きいの!?」


「いや、あれほどのサイズは見たことないぞ!」


 視界に映るジャガーは通常の三倍近い大きさだった。

 大型のトラと比較しても二倍はあるだろう。

 余裕のギネス級だ。


「ガルァアアア!」


 ジャガーが飛びかかった。


「いやああああ!」


 女子生徒は反射的に川へダイブ。

 他に選択肢がなかったとはいえ、それはそれで問題があった。

 素人が制服を着た状態で泳げるような川ではなかったのだ。


「助けてぇ!」


 案の定、女子生徒は溺れた。

 こちらに手を伸ばすがどうにもならない。

 次の瞬間には届きようのない距離まで流されていた。


「もうやだよこんな場所!」


 麻里奈がしゃがみながら叫ぶ。

 他の三人も顔を真っ青にして固まっている。

 先ほどまでの楽しげなムードが一変した。


「泣くのは後にしろ――まずいぞ!」


 俺は対岸のジャガーを指す。

 獲物を狩り損ねた森の王者は、次に俺たちを狙っていた。


「え、もしかしてアイツ、川を渡る気!?」


「あのサイズなら飛び越えられるかも」


 焦る千夏に対し、吉乃は冷静な口調で答えた。


「飛び越えるって……川幅は数十メートルはあるよ!?」


「飛び越えられなくても泳ぐさ。ジャガーは泳ぎが得意だからな」


 俺は川辺に落ちていた石を拾った。


「来るぞ!」


「ガルルァ!」


 ジャガーは川を飛び越えようとしてきた。

 助走をつけての跳躍で、一気に距離を詰めようとする。


「させるか!」


 俺は石を投げて反撃。

 ジャガーの顔面にヒットした。


「ガルァ!?」


 まさかの反撃に驚いている。

 それに飛距離不足で川を越えられないでいた。

 ジャガーは川に着水。


「泳いでくるぞ! 石を当てまくって迎撃しろ!」


 美少女四人組は頷き、その辺に落ちている石を投げまくる。


「オラァ! 失せろ! 来るんじゃねぇ!」


 執拗に石の雨をお見舞いする。


(頼む! 諦めて引き返してくれ!)


 ぶっちゃけジャガーが諦めなかったらおしまいだ。

 まともな武器がないので、陸に上がられたら太刀打ちできない。

 ヒグマを竹槍で殺したこともある俺だが、素手はさすがに無理だ。


「ガルァ、ガルァアアア!」


 ジャガーが鬱陶しそうに吠える。

 そして、残り数メートルというところで諦めた。

 反転して対岸に戻っていく。


「このぉ!」


 それでも石を投げようとする千夏。


「待て、もういい」


「でも!」


「逃げる敵を執拗に攻めると気が変わるかもしれない」


「そっか……!」


 ジャガーが撤退したことで、どうにか難を逃れるのだった。


 ◇


「腹が減ったな」


 ホッと落ち着いたことで、体がメシを要求してきた。


「そのウサギを皆で食べようよ!」と、千夏が提案する。


 俺は「そうしよう」と頷いた。


「五人で分けると少ないが、小腹を満たす程度にはなるだろう」


 明日花と吉乃はそれに同意した。


 麻里奈は体育座りをして顔を伏せている。

 嗚咽が漏れていた。


(どうしたものか)


 麻里奈がどうして泣いているのかは分かる。

 先ほど喚いていた通り、この過酷な環境が嫌になったのだろう。

 だが、俺には慰めのセリフが浮かばなかった。


「今はそっとしてあげて」


 吉乃が言った。

 女子の扱いを心得ていない俺は素直に従う。


「さっそく作業を始めよう。皆にも手伝ってもらうぜ」


「ほいさ! 何をすればいい?」


 千夏はやる気十分といった様子。


「鉄板の代わりになりそうな石を調達してくれ」


「任せなー!」


「冴島君、私は?」


「明日花は燃料の調達だ。小枝や枯れ草をはじめ、大きめの枝も頼む。吉乃も同じ作業で頼む」


「「了解!」」


「つか明日花と吉乃のこと下の名前で呼んでるじゃん!」


 千夏が妙なところに反応した。


「なんなら千夏と麻里奈のことも下の名前で呼ぶぞ」


 何が面白かったのか、千夏は「うは、マジか!」と笑った。


「じゃあ私らも冴島のこと下の名前で呼ぼうぜ!」


「うん! ところで、冴島君って下の名前なんだっけ?」


「知らねー! 裕一郎じゃね? そんな顔をしているし!」


海斗かいとだよ。つか裕一郎ぽい顔ってなんだよ」


「えー、海斗って顔じゃないでしょー! 裕一郎だって!」


 千夏のノリに合わせていると長引きそうだ。

 そう判断した俺は、ため息をついて言った。


「呼びやすいなら別に裕一郎でもいいから、とにかく作業開始だ!」


 明日花と千夏が離れていく。

 一方、吉乃はその場に屈んで自身の学生鞄を開けた。


「燃料ってコレでも大丈夫?」


 吉乃が取り出したのはノートだ。

 パラパラとめくるが何も書いていない。


「大丈夫だが、勿体ないから使わないでおこう」


「分かった。じゃあ、私も森で小枝とか集めてくるね」


「おう」


 吉乃は学生鞄を持って森に向かう。

 その際、中の物は全てこの場に置いていった。


(なかなかいい物が揃っているな)


 教科書にノート、ティッシュ、水筒、etc……。

 サバイバル生活に活かせそうな物が多い。


(あとで他の人にもカバンの中を見せてもらうか)


 俺は皆のカバンを麻里奈の傍にまとめた。


「麻里奈、荷物の見張りを頼むぞ」


「うぅぅぅ……」


 イエスと捉えて作業を開始した。

 千夏と同じく川辺で良さそうな石を見繕う。


「お、海斗じゃん! 私の傍にいたくなったか!」


「まぁな」


「嘘つけー!」


 ケケケ、と笑う千夏。


「海斗はどんな石を探しているの?」


「手の平サイズの楕円形で適度な厚みがあるものだ」


「水切りでもするの?」


 水切りとは石を投げて水面で何回跳ねるかを競う遊びだ。


「たしかに水切り用の石に似ているが違う。もっと大きなものだ。石器を作ろうと思ってな」


「石器?」


 俺は足下の石を拾った。

 今しがた千夏に説明した理想を具現化したような石だ。


「縄文時代なんかに使われていた刃物のことさ。石を砕いて形を整える打製石器、さらにそれを研磨した磨製石器。俺が作りたいのは後者の磨製石器だ」


「面白そう! 作って作って!」


「おう!」


 最高の石が手に入ったので形を整える必要はない。

 なので、やることと言えば磨いて切れ味を高めるだけだ。


「この岩なんか良さそうだな」


 目を付けたのは四角形の硬い岩だ。

 表面が適度にツルツルしていて研ぐのに向いている。

 先ほど拾った石をそれに押しつけて擦っていく。


「なんか包丁を研いでいるみたい!」


「まさにその通りだ。包丁研ぎってのは現代の磨製石器作りと言える」


「おー! てか、海斗の手の動きどうなってるの!?」


「ん?」


「速すぎて見えないんだけど!」


「サバイバル訓練で磨製石器をたくさん作ってきたからな」


 もはや動きが体に染みついている。

 俺は機械の如き速さと精密さで石を研いだ。


「これで完成だ」


 片刃の石包丁ができあがった。


「早ッ!」


「やることが山積みだからね。のんびりしていられないさ」


 作った石包丁で野ウサギの解体を行うことにした。

 千夏は興味深そうに眺めている。


「まだ見学するのか? ここから先はグロテスクなシーンが待っているぞ」


「大丈夫! グロ耐性あるから私!」


「ならいいが……俺は警告したからな?」


 ということでウサギの解体を始めた。

 まずは急所を一突きして息の根を止め、頸部けいぶを切って血抜きを行う。

 ドバドバと溢れる血を見て、千夏は「すご」と驚いていた。


「手慣れているねー」


「サバイバル訓練の賜物だ」


 川の水で手とウサギを洗う。


「ここから先が強烈なんだ」


 ゴクリと唾を飲み込む千夏。

 そんな彼女を一瞥いちべつしてから、俺はウサギの腹を切り開いた。

 新鮮な獣の臭いとともに、ギチギチに詰まった内臓が姿を現す。


「…………」


 千夏は何も言わない。

 きっと吐きそうになっている。

 俺も初めて解体した時はそうだった。


「内臓には食える部位もあるが、今回は全て除去するとしよう」


 傷つけないよう慎重に手で取っていく。

 皮にくっついている部位には石包丁を使う。


「各部位の解説は必要か?」


「い、いや……大丈夫……」


「そうか」


 無事に内臓を除去したので、あとは皮をいだら終了だ。

 その前に、再びウサギや石包丁を洗っておく。


「皮の剥ぎかたって色々あるんだけど、俺は後ろ肢に切れ込みを入れて、そこから頭に向かって剥いでいく」


 説明しながらサクッと作業を終える。

 最後に、皮が残っている後ろ脚の先端を切り落として終了だ。


 その頃には、明日花と吉乃も作業を終えて川に戻ってきていた。

 二人は麻里奈の傍に座って何やら話している。


「調達したウサギの肉を五等分に切り分けて戻るか」


「…………」


 千夏は何も言わずにジーッと俺を見ている。


「どうした?」


「いやぁ、想像以上にすごいなぁって」


「グロさだろ? 俺も最初は――」


「そうじゃなくて、海斗がだよ」


「というと?」


「あっさり解体するし、石包丁とか作っちゃうし、なんかもうヤバい!」


「まだまだ未熟だけどね」


「んなことないって! いやぁ、ここで海斗と出会えたのは幸運だったなぁ!」


 千夏の言葉が嬉しくて、俺は「ヘヘ」とニヤけた。

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