第22話 汚泥の底に見えた記憶……前編

 白墨によって再び黒紫の切りに包まれた後、目を開けると私の視界に広がっていたのは、只々真っ黒な空間だった。


 身体の感覚も無くて、自分の身体も見えない。首を回して色んな方向を見渡しているつもりだけど、ちゃんとその通りに身体が動いてくれているのかも分からない。


 もしかしたら、真っ黒な空間が広がっていると思っているだけで、実際には目を開けることすら出来ていないのかもしれない。


 それでも、胸の中に何かが流れ込んでくる感覚と、それと同時に私の中から何かが引き抜かれていくような感覚はあった。


 その何かが入り込むことで、身体の感覚はないはずなのに、倦怠感に似たような身体の重さを覚え始めた。


 気が重くなるような、ドロドロとしたような何かが、私の胸の中に入ってくる。


 曖昧な気持ち悪さに耐えていると、どこからか話し声が聞こえてきた。


 その声を認識したその瞬間、私の目の前にが映し出された。


 良かった。ちゃんと目は開いていたみたい。


 八人は大きな漆塗りのテーブルを囲んで座っている。


 何か会議でもしてるのかな。


 たぶんさっきの話し声はあの人たちの会話が聞こえてきたものだと思うんだけど。


 皆一様に顔や腕などの肌は真っ黒に塗りつぶされていて、その表情を窺い知ることは出来ない。


 髪色やある程度の背丈、声色からどんな人達なのか想像することは出来た。


 人って表現したけど……人型って言った方が合ってるのかな。


 八人のうち何人かが人間離れした姿をしていた。


 床に着くほど長く、深紅の髪をした女性は和服のような衣服を身にまとっていて、その毛先に向かうにつれて髪色は明るくなっていき、先端は炎のように光を放って揺らめいていた。


 隣の青髪の少女は背後に大きな水球を浮かせていて、それがポコポコと音を立てながら上下している。


 もう一人は薄緑色の髪をツインテールにまとめた幼女で、他の人が朱色に塗装された椅子に座っている中、一人だけ床を突き破って生えてきた樹木の椅子に座っている。

 その女の子は左手が木の腕になっていて、小さな枝が何本か伸びていた。そしてその手を伸ばしながら、周囲を飛び回る蝶と戯れている。


 そんな彼女たちの反対側には男性陣が座っているみたいだ。


 身体のあちこちから岩が生え、茶色の前髪を掻き分けるように、額には中でも大きな岩の一本角が生えている高身長で細身の青年。


 真ん中に座っている髪全体が逆立っている黄色の髪で巨体の男性は、半裸なのか短パンだけの着用で、背にはバチバチと音を立てて、時折稲光を放つ布を浮かせている。


 その隣には短めの黒髪で、蛇のような鋭い目つきの……あれ、なんで顔が見えるんだろう。

 その子はあまり乗り気じゃないのか、ずっと背もたれに身体を預けて、項垂れている。


 そんな男女三人が向かい合ってるところに、もう二人、その二人も向かい合うように座っている。


 二人とも同じ白髪だけど、一人は長老って言葉が似合いそうな、オールバックにして腰まで伸ばした髪と立派な顎髭をたくわえた人で、もう一人はさっきの黒髪の子と同じくらいの短髪の少年だった。


 黒髪の子と同い年くらいなのかな。


 その八人が身振り手振りを交えて話している光景をぼうっと眺めていると、少しづつボリュームを上げていくような形で、彼らの会話が耳に入ってきた。




 ⟡.· ⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ⟡.·




炎禍えんか、お前はどう思う』



 顎髭の長老さんが赤髪の女性に顔を向けた。



『私は主様の意見に従いますわ。貴方様はのですから』



 何か含みのあるような言い方だったな。



『ふむ……では、滅流めつる樹侵じゅしんはどうか』



 エンカと呼ばれた赤髪の女性の隣に座っている青髪の少女はコクンと一度だけ頷くと、その背後の水球がボコボコと引き伸ばして円を作った。


 たぶん賛成ってことなんだろうな。



『あたしも〜!勝手に動かれるの厄介すぎだし。から。どうせ時間が経てばあたしたちにもその欲望を向けてくるようになるよ』



 若干話し合いに飽きてきたのか、ジュシンと呼ばれた幼女は、木の枝を組み合わせて作られた椅子を変形させてブランコのような形にすると、前後に漕ぎ始めた。



『私も同感だ』



 岩の青年も短めに賛同した。



『俺も同じく!なんなら俺が雷を落としてその数を減らしてやってもいいんだがな!』



 隣に座る黄髪短パンさんも、そう言って腕を組み、何故か胸を張っている。



岩障がんしょう雷危らいきもありがとう。というわけだ。儂らの意見は変わらぬ。墨天ぼくてんの言うように、だ。八柱のうち七柱が賛同しておる。これを覆すことはならん』


『なっ……どうして分かってくれないのですか!!なぁ、皆!!』



 白髪の少年がテーブルに拳を叩きつけて、勢いよく立ち上がった。


 私は突然耳に入ったその少年の名前に、思考が止まった。


 今……あの少年のこと、ハクボクって言った?


 長老さんの言葉に納得がいかない様子で席を立ち上がった白髪の少年。



『どうしてもこうもない。我らがやっとの思いで手に入れたこの安息の地を、再び奪われるわけにはいかない。ニンゲンはだ。白墨様とて忘れてはおるまい。奴らのせいで我らの故郷、そして貴方様の姉君であるリ――――』


『止めぬか岩障』


『……失礼しました、惨白ざんぱく様』



 白墨をたしなめようとした岩の青年、ガンショウさんの言葉を長老さんが遮った。


 ハクボクにもお姉ちゃんが居たんだ。


 それに今の話の感じだと、もうそのお姉さんは……。


 ガンショウさんは長老さんのことをザンパクと呼んでいた。


 ハクボクやエンカさんの言葉通りに受け取れば、ザンパクはハクボクの父であり、彼らの主ということらしい。


 それに、ガンショウさんは自分たちのことを天陽の一族って言ってた。


 それらを加味して考えると、目の前で話し合っているこの八人が、天陽側の中心となる神々で、その主となると、ザンパクが主神ってこと?


 歴史で伝わってる主神とは違う名前だけど……ともかく、彼らが言うことが本当だとしたら、ハクボクは主神の子ってことだ。


 改めて強大な存在に対峙してるんだなって思い知らされた気分。


 けど、なんだろう。


 今の話し合いを見ていると、どうも仲違いしてるように見える。


 それに今の話の流れだと、天陽の神々は神によって人間は支配されるべきだって考えてるけど、ハクボクだけはその考えに否定的な立場にあるように受け取れた。


 一体どういうことなんだろう。


 だって、ハクボクが私の“器”としての身体を狙っているのは、私の力を触媒として今の世界の人間たちを支配することだったはず……。


 もう少し彼らの様子を見てみよう。


 その後、ハクボクはその場に自身の意見を支持してくれる者が居ないことを察したのか、何も言い返せず、歯を食いしばったまま俯いてしまった。



『話は終わりのようだな。では、解散とする。ハクボク、お前はしばらく謹慎とする。少し頭を冷やせ』



 ザンパクは真っ先に席を立って、消えていった。


 そしてザンパクが席を立ったことを確認すると、残りの面々が次々と腰を上げる。



『白墨様、少々お休み下さい。きっと姉上を失ったことで、気の迷いが生じているのでしょう』


『そうよ、何も貴方様まで姉上の二の舞になることは無いのです。ニンゲンを信じ、騙され、天陽の破滅を招いたあの女のことなど、お忘れください』



 そして最後の一柱、黒髪の少年が立ち上がった時だった。


 話し合いの際、終始言葉を発さなかった黒髪の少年神は、ハクボクにも声をかけず、静かに背中を向けた。


 そして、引きずるように足を出そうとした時、それまで拳を握りしめたまま立ち尽くしていたハクボクが、その少年神の肩を思い切り掴んで無理やり振り向かせた。



『どうして、どうしてだよ墨天!!ニンゲンたちがこの地に足を踏み入れた時、二人で約束したじゃないか!!の真似事はよそうって!!おれたちは人間に寄り添える神でいよう、ニンゲンたちの命を無駄に弄ぶのはやめようって!!……あれは嘘だったのか?おれたち親友じゃなかったのかよ!!!』



 ハクボクはボクテンの襟元を力一杯掴んで、前後に揺さぶりながら捲し立てた。


 最初は黙ってハクボクの話を聞いていたボクテンだったけど、ハクボクの最後の言葉を受けて、同じように襟元を掴み返した。



『何言ってんだ……親友だからだよ!!!元はと言えば君が“ニンゲンをこの地に立ち入らせてはならない”っていう禁忌を犯したからじゃないか!!君がニンゲンに好意的だった姉を尊敬して、その意志を継いでいることは理解しているよ!!けど、それで君の姉は死んだんだ!!僕は君に死んで欲しくない!!!!』


『……っ!!』


『君の姉が死んだことが相当な心の傷になった惨白様は、しばらくの間ニンゲンとの接触を避けることにした。だから、ニンゲンが居ないこの地に来てからは、ニンゲンが近づいたら天地に異変を起こして侵入しないようにするって規則を設けたんだ』



 ボクテンは真っ直ぐにハクボクの目を見ているのに対して、ハクボクはボクテンの目を見れないでいる。



『でもあの日、警戒の当番だった君はニンゲンをこの地に受け入れてしまった。禁忌を犯したんだ。禁忌を犯した神がどうなるか、君が知らないわけないよな……?』


『ああ……この神域を追放される』


『……そうだ。僕は神域を追放された神々がどんな終わりを迎えるかを見たことがある。憎悪に囚われ、その身体は黒紫の汚泥に侵食され、今まで知っている彼らの姿とは全くの別人になってしまうんだよ?』



 黒紫の汚泥って……。



『どうしてお前がそんなことを知っているんだ……?』


『……僕の両親がそうだったからさ。君の姉に賛同した僕の両親は、同じようにニンゲンに手を差し伸べようとした。ただ、君の姉が死んだのに、僕の両親が生き残ったことを許せなかった惨白様が両親の追放を決めたんだ。僕を神域に残すことを条件に、僕の両親はそれを受け入れた』


『は……?』


『本当の事だよ。僕はその後、惨白様に呼び出されて、惨白様が繋げた天帝の窓から、変わり果てた両親の姿を見せられた。恨み言を吐き続け、身体は汚泥に飲まれ、他の生き物に手を挙げてその血肉を貪り、互いに争い続けていた……相思相愛で喧嘩をしてるところなんて一度も見たこと無かったあの二柱が……きっと、見せしめの意味もあったんだろうね』



 ボクテンの目には涙が溢れてくる。心做しかその声もどこか震えたように聞こえてきた。



『待て……おれはそんな話一度も聞いていないぞ!!!』


『してないからね……まだ幼かった君は僕があの両親の子だってことを知らずに声をかけてきた。誰もが忌避していた僕に近づいてきた主神の子。最初は惨白様が僕の監視につけてきたんだと思っていたけど、君は僕の両親と同じキラキラした目で、ニンゲンたちと共に暮らす生活を夢見て楽しそうに話すんだもの』


『……すまない』


『謝らないでよ。僕は君のことを恨んでなんかいない。むしろ感謝してるくらいだ。誰も寄り付かなかった僕に手を差し伸べて、天陽の最高位、天陽八柱にまで引き上げてくれた。君がずっとそばにいてくれたから、僕は堕ちなくて済んだ。君が主神になってくれたら、もっと良くなる。僕の両親の願った世界を作ってくれる。そう信じてきたんだ。だから……を思いついたんだ』



 段々とボクテンの声に狂気さが混じってくる。



『僕は君さえ居てくれたらそれでいい。ニンゲンたちは二の次だ。禁忌を犯した君が惨白様や他の最高位の神々に許されるにはどうしたらいいか、必死に考えたよ』


『お前……』


『君の力を使えばニンゲンたちどころか、この地に元より暮らしてきた精霊たちだって意のままに従えることが出来る。しかも誰も血を流すことなく。君も向こうで散々見てきたろ?ニンゲンたちからの信仰を得て力を増した神々同士が、その代理戦争を人間たちに行わせ、支配域を広げていく。ニンゲンたちは見返りに与えられる力や富に目が眩んで、より暴力的になり、神々からの言葉を曲解して自分たちの利益に走るようになった。そんなニンゲンたちは近隣の神々を貶めて、獣に堕とし、殺した。けれど、神々は自分たちの命令を聞かなくなった罰として、滅びを与えた。ニンゲンたちだけじゃない。結果的により多くの血が流れた』


『それは……そうだが……』


『君が迎え入れてしまったニンゲンたちはに降り立ち、物凄い早さでその数を増やしている。僕らが神域を西へ西へと移動させなくてはならなかった理由でもあるね。そのことも含めて惨白様はお怒りだ。けれど、幸いだったのはこちらにいるニンゲンたちが向こうの神々を信仰している訳では無いということだよ』



 ハクボクの瞳が揺れている。


 畳み掛けるようにボクテンは言葉を浴びせていく。



『だから今が好機なんだ。あれだけのニンゲンたちが僕たちを信仰するようになれば、天陽は向こうの神々にも負けない強大な一族になることが出来るんだ。惨白様も他の神々も、喜んで受け入れてくれたよ。もう皆、争うことに疲れているんだ。別に力をつけたからと言って向こうに戦いを仕掛ける訳じゃない。ただこれまで通り暮らすんだ。君が言うように、ニンゲンたちの命を無駄にしてる訳じゃないだろう?』


『……違う、おれが言っているのは、神々の支配によらない、ニンゲンたちが自由に暮らせるような世界だ。互いに干渉しない、ただの隣人として過ごせるような……!!』



 ハクボクがボクテンの目を再び見つめた。


 けれど、ハクボクのその言葉を受けて、ボクテンの声がより大きくなった。



『君がこの地に残る選択肢は他に無いんだ!!どうして分かってくれないんだよ!!』



 ボクテンもハクボクが追放されないようにって、必死に動き回っていたんだろう。


 けれど、そんな彼をハクボクは突き飛ばしてしまった。



『……っ!?どうして……!!』


『……見損なったぞ、墨天』



 ハクボクは縋るように伸ばしてきたボクテンの手をパシンと払い、冷たい目で一瞥すると、その場から消えてしまった。


 その後、その場で小さくうずくまるボクテンの影もすうっと消えて、私はまた真っ黒な空間に取り残されることになった。



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