第21話 あと少し
儀式には陽光を必要とするため、おれは黒紫を出て、祭壇に繋がる岩の回廊を進んだ。
おれの腕の中にいる“器”は未だに目を覚ますことはなく、ぐったりとして、手足をだらんと垂れさせている。
本来は陽光が天頂に至る天陽の刻に執り行うことが望ましかったのだが……。
奴らにこの場所がバレてしまった以上、そうも言ってられなくなってしまった。
この祭壇に来るのも久しぶりだな。
ここは天陽の神々が人間を支配するために作り上げた儀式の場であり、装置でもある。
まさかあいつらが行おうとしていたことを否定したおれが、あいつらの方法を用いることになろうとはな。
奴らは昔から変わらない。
おれは奴らを絶対に許さない。
おれを悪神へと堕とした天陽の老神どもも、守ってやろうとしていたにもかかわらず、おれを裏切った白魂の民も、己の利益のために白魂の民を蹂躙した人間どもも。
そして、そんな奴らが作り上げたこの地上を、おれがまた作り直してやる。
天と岩を模した紋様の刻まれた大扉がおれを認知して自動で開いた。
祭壇はこの洞窟の中で最も深く、最も広い空間だ。
ここまで相当深く潜ってきたことが分かるほど高い天井。天井と言うよりも湖面と言った方が良いか。
地上から見たらただの湖の底にしか見えていないのだから。
いわゆる「境界」と呼ばれる場所。
人間の世界と精霊や神々の住まう世界の壁があやふやになっている場所なのだ。
祭壇はその中央にある高台に存在する。
高さで言えば中腹くらいに位置するだろうか。そこに対象を寝かせる台座がある。
地面から見れば、そこまで続く階段は天に続いていくようにも見える。
祭壇を囲う岩壁には、男女七柱の神々の像が当時の状態のまま、傷一つ無い綺麗な姿で残され、祭壇を見下ろしている。
おれは“器”を抱きかかえながら階段を一歩、また一歩と踏みしめながら、その石像を見上げた。
これだけ登ってきても、いつまでも自分たちの方が高い場所に存在しているのだと、自分たちの方が大きな存在であるのだと誇示している様が腹立たしい。
もともとは八柱の像が建てられていたが、うち一柱は足元だけを残して破壊されている。
最初から七柱分だけ建てておけば良かったものを、わざわざ作っておきながらこうして破壊し、その後もこうして破壊された姿のまま残しているところからも、奴らの本性が窺える。
地面にころがっているその頭部の破片に刻まれた瞳と目が合う。
『待っていろ。お前の無念を晴らしてやる』
おれはすぐに視線を頭上の台座へと戻した。
⟡.· ⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ⟡.·
巨大な翡翠を磨いて築かれたその台座へ“器”を寝かせた。
円形にくり抜かれたように見える天の湖面、その縁には淡く小さな光がポツリと揺れている。
当然台座を照らす光は弱々しい。
天陽の刻であれば、天の湖面いっぱいに光が満たされることで、陽の力が余すことなく台座に降り注がれるのだが、仕方がない。
足りない分はこちらで補うしかない。
本来は覚醒後の“器”に取り込ませる予定だったが、台座起動の糧となってもらおう。
まぁ現代の人間たちであれば、ある程度の精霊たちの力と、この“認識”の力があれば支配など容易い。十分、混乱状態に陥れることが出来るはずだ。
おれが右手を挙げるのを合図に、堕魂たちが精霊たちを取り囲んで台座の前まで引き連れてきた。
そしておれが右手を下ろせば、堕魂たちが精霊たちを無理矢理台座へと押し込んだ。
次々と台座に吸収されていく精霊たちは悲鳴にも似た声を上げていたが、そんな精霊たちの嘆きの声にも、もう慣れてしまった……。
彼、彼女らの声が聞こえなくなると、その力を吸い終えたのか、台座はたちまち碧色の光を放ち始めた。
そして、その光が“器”へと流れ込んでいく。
台座からの光を取り込んだ“器”の身体は、ふわりと浮き上がった。
『準備が整ったな。これで“器”の心器に干渉することができる』
この装置は、本来互いに干渉することが出来ないはずの神の神核、あるいは精霊の心核と人間の心器とを繋ぐための手続きを行うものだ。
これが後の人間たちが何を勘違いしたのか、高台で清らかな人間の血を流せばおれたちからの言葉を聞くことができるなど、「生贄」という誤った方法として伝わったようだな。
しかし莉桜がこの装置も使わずに、この“器”の心器へ宿ったと知った時は驚いたものだ。
一体どのような手続きを行ったのかは、未だに分かっていないが……。
奴が恋夜と協力して使用する“願いの力”が強力なものであるにしても、当時の“器”は白魂の民としての力にも目覚めていないはずだ。
とてもじゃないがあれほどの精霊をその身に宿すが出来たとは思えない。
……まぁ良い。
恋夜が力を取り戻してしまったのは誤算だったが、あの女狐たちに儀式を邪魔されないようにするために、莉桜の心核も奪っておいたのだ。
『奴らは……もうそろそろ辿り着くな』
気配がすぐそこまで近づいている。
こちらもそろそろ始めなければな。
『手始めに、貴様が飲み込んでしまったあの忌々しい光を放つ勾玉を取り出さねば……』
今の“器”の中は、あの厄介な勾玉の力でそのほとんどが満たされてしまっている。
おれが用意した精霊たちの力を取り込ませるためにも、無駄な力で“器”の容量を食わせたくはないからな。
おれは宙に浮いている“器”に手を伸ばし、その胸の中心に手を当てる。
“器”の柔肌に触れ、その温かさが伝わってくる。
“器”の内を意識して、勾玉の場所を探る。
そうして見つけた。
あいつの心器の奥底にある勾玉の存在を感じ取った。
その大きな力を辿り、“器”の身体の奥へと手を押し込む。
とぷん――――
おれの手は“器”の肉体を透過し、その心器へと沈んでいく。
そうして肘あたりまでが、“器”の胸の中へ沈んだ時に、やっと指先に固い感触を覚えた。
『……あった、これだな』
少し冷たく、滑らかな勾玉の感触。手の平大のそれをしっかりと掴んだ。
『ぐっ……拒絶するか』
勾玉が途端に熱を帯びだした。それと同時におれの手の平には鋭い刃で切り刻まれるような痛みを感じ始めた。
“器”の身体を守っているつもりなのか、引き抜かれることに抵抗しているかのようだ。
その痛みに耐えながら、慎重に勾玉を掴んでいる腕を引き抜いていく。
心器の中へと手を伸ばした時に、“器”がまだ幼い頃に飲み込ませたはずの千代姫の心核が見当たらないことに違和感を覚えたが、あれはあくまでも破片だったことを思い出した。おそらく自然消滅したのだろう。それによって“器”が石像から解放されたと考えれば納得がいく。
千代姫の封じ込める力が永い時間作用していたがために、白魂の民としての力も封じ込められていたとすれば、より説得力も増す。
『……何だ?』
それまで順調に腕を引き抜くことが出来ていたというのに、あと少しで勾玉を掴んでいる手の平が見える、その直前の手首が見えたところで、おれの腕はピタリと止まってしまった。
それどころか、勾玉が“器”の中心部へ戻ろうとしている。
『……いや、“器”の方が勾玉を取り戻そうとしているのか?』
一度はそう考えたものの、そうではないとすぐに悟ったを
『違う……こいつ、おれの腕ごと……まさか!?』
この勾玉はおれの計画を妨害しようとする存在の神核、もしくは心核だ。その予想は恐らく当たっているだろう。
勾玉はおれを攻撃してきたし、心器へと侵入してきたおれの腕に対しても牙を向いた。
だからこそ、この勾玉は心器の奥深くへ戻ろうとしているのだと考えていたが、今の違和感で確信に変わった。
勾玉が自分の意思で元の位置へ戻ろうとしているのなら、それを掴んでいる指先だけに力が加わるはずだ。
だが心器は勾玉だけではなく、おれ諸共その奥底へと引きずり込もうとしてるのだ。
おれが腕を引く力と、その吸い込む力が拮抗したことで、完全に腕を引き抜く前にピタリと止まってしまったのだろう。
早く勾玉を引き抜いてしまいたいところだったが、そうしてしまえば心器を傷つけかねない。
心器が傷つけば、“器”の精神に影響を与える可能性もあり、そもそもの“器”としての機能にもダメージを与えかねない。
“器”の精神に関しては“認識”の力で操れば何の問題もないが、“器”の能力に支障がきたすことは避けたい。
そうしてしばらくの間、おれは“器”の胸に手を突っ込んだまま、その腕を引き抜くことが出来ないでいた。
そんな膠着状態が続いていたが、ふとおれは右手の力が抜けるのを感じた。
『おれの力が奪われている……?まさか、こいつにも“簒奪”と似た力が?そんな馬鹿な……!』
心器は勾玉とおれの腕を引きずり込もうとし始めただけではなく、尋常じゃない速さでその力さえも吸収し始めた。
クニツとカミツが狙っていたのはこれだったのか。
なるほど、“器”と言われるだけはある。
心器がおれの力を奪い始めた以上、もう躊躇ってはいられない。
ここでおれ自身の力を失ってしまっては元も子もない。
おれは強引に腕を引いた。
『うっ……』
おれが腕を引く力を強める度に、意識はまだ戻っていないものの、“器”は呻き声を上げて眉を寄せ、歯を食いしばっていた。
だが、心器の引力も相当なものであったため、何とか腕を引き抜くことは出来たものの、最後の最後で指が滑ってしまった。
『チッ……』
“器”の胸の中心からは、勾玉が中途半端にその頭だけを出している。
『ゔあっ……!?』
勾玉を完全に取り出すために、おれはもう一度“器”の胸の中へと手を突っ込み、力いっぱいに生き抜こうとすると、“器”が大きな声を上げた。
「何やってんだお前!!!!」
「お姉ちゃんに触らないで!!」
背後から男女の小さな声が反響して聞こえた。
『もう来たか……』
階段の方を振り返り、見下ろしてみると天音たちがこちらに向かって駆け上って来ているところだった。
だがもう遅い。
勾玉はもう半分以上が露わになっている。
勾玉がずるりと動く度に、碧色の光が“器”から溢れ出してくる。
引き抜けば引き抜くほど、光は強まっていく。
あと少し、あと少しだ……!!
おれは迫ってくる天音たちから器へと目を戻し、勾玉を掴んでいる手に再び力を込めた。
『うあぁぁあああ!!』
「お姉ちゃん!!!!」
奴らが“器”に注意を向けている今が好機。
今ならば奴らにも“認識”の力が―――
『その手を止めて!!!!』
『なっ……』
“器”の妹の絶叫と共に、おれの“認識”の力は霧散させられた。
それだけじゃない。
あと少しで“器”の身体から勾玉の先端が離れるというところで、おれの意思に反して、おれの身体は動かなくなってしまった。
「よくやったツナグ!!」
「里桜待ってて!!!今助けに行くから!!!」
どこまでも鬱陶しい奴らめ……!!!!
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