第20話 闇からの声

 白墨はその背中からあの黒紫のモヤを大きな手の形にして、私の身体を持ち上げた。


 私を捕獲してことでその必要性が無くなったのか、彼の歪んでいた身体は元に戻し、また二本の足で立ち上がった。


 その間もずっと私の身体にはその黒紫のモヤがまとわりついていた。


 今度こそ逃がしてはくれなさそう。


 やっぱりそのモヤからは酷い腐敗臭がして、お腹の中は空っぽのはずだけど、お腹の中のものがせり上ってくるような感覚をずっと耐えていた。


 そうして元の容姿端麗な男性……私たちのお兄ちゃんの姿に戻ると、その顔をこちらに向けてきた。



『まだ時期ではないが、またこうして逃げ回られるのも面倒だ。へ向かうぞ』


「祭壇……?」


『怖がらなくてもいい。貴重な“器”を蔑ろにするはずがないだろう』


「……ツナグのことは随分都合良く使っていたみたいだけど?」


『ふはっ!奴はだ。お前とはその価値が違う』



 その言葉に怒りを覚え、せめてもの抵抗で彼を睨みつけたけど、彼は鼻で笑うだけで、私から目をそらして歩き始めた。


 私はそんな彼の背後にふよふよと浮かされたまま。彼から伸ばされた黒紫のモヤで繋がれた風船みたいに、彼が歩くのについていくように引っ張られていく。


 白墨は私を引きながら廃れた集落の端まで来ると、教室に乗り込んできた時と同じような、あの黒紫色の霧を発生させた。


 ここはただでさえ夜のように暗く、月なのか太陽なのかも分からない、ぼんやりとした薄明かりで照らされているような場所。


 夜目が効いているから、暗くても様子はある程度は分かるけど、彼が手の平から噴出させたその霧は、そんな小さな光でさえ照らすことが出来ない程の、深い深い闇だった。


 彼はゆっくりとその闇の中へと歩き出した。


 リードで繋がれているような状態の私は、彼の姿がゆっくり、じわじわとその闇に飲まれていく光景をただ見下ろしていた。


 彼が一歩、また一歩進むに連れて、私もその霧の中へと引きずり込まれていく。



 怖い……。



 彼は『祭壇に向かう』と言っていた。


 この黒紫の闇に飲み込まれたら、もうそこは彼の目的を果たすための場所なのだろう。


 今の私が「私」ではなく「器」になってしまう場所でもあるんだろうな。


 そんな私の不安な気持ちや恐怖心を見透かしたように、白墨は闇に飲み込まれる直前にこちらを振り向いて、ニタリと笑った。


 私の目の前には黒紫の霧と、そこから私の身体へ伸びている一筋の黒いモヤだけ。


 そして次の瞬間には、勢いよく私の身体が霧に向かって引きずり込まれた。


 きっと霧の中で、彼がある程度の所まで進んだんだろう。


 突然身体を引き寄せられたことで、身体が強ばってしまう。


 それでも、先程彼が見せた嘲笑するような表情を思い出して、ほんのわずかな抵抗心が蘇った。


 後方に仰け反らせていた頭を何とか元の位置に戻して、目前に迫った霧をしっかりと見据え、私もその霧の中へと突っ込んでいった。



 ⟡.· ⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ⟡.·




 やはり“器”はこの黒紫こくしへの耐性が無いらしい。


“器”を祭壇へと移動させるべく再び潜り込むと、後方に浮かせていた“器”は最初こそ気を奮い立たせて、生意気な視線を向けてきていたが、今ではすっかり身体をぐったりとさせている。


 まぁ気力だけは確かなものだな。


 そんな状態でも眉を顰め、口からは多少唾液が漏れているが、気を失わないように歯を食いしばっている。



「やっぱり、嘘つきだ……ないがしろには、しないって……」



 背後から絞り出したような声が聞こえてきた。



『していないだろう。おれは移動しているだけで、お前に直接危害を加えている訳では無い。それに、お前が真に“器”となれば、これを苦痛とは思わなくなる。とでも思っておけ』



 移動している間にも少しづつさせていけば、効率が良い。


 多少手間取ってしまったが、ここまでは大方順調だ。


 女狐の片割れは“器”か逃がしてしまったものの、アレからは充分な程に力を奪い取っておいた。


 運良くあの女狐が奴らと合流出来ていたとしても、二匹とも本来の力を発揮できない状態なのだ。俺の敵ではない。“器”を覚醒させることが出来れば尚更な。


 再び“器”が黙ってしまったため、俺はまた黒紫の中を歩き始めた。


 この黒紫は世界の裏側とでも言おうか。


 黒紫と世界は表裏一体だ。


『認識』の力が無ければ認識することが出来ない。


 俺はこの黒紫を使って世界を移動している訳だが……鼠が入ったか?


 足を止めて、足元に向けて掌をかざした。


 俺の力に反応して、足元には一つ、また一つと世界を覗き見ることが出来る窓が開き始めた。


 黒紫の中が、世界の光を受けて照らされる。


 俺にとっては忌々しい光だが、異物の反応を察知したからには、それが何者か確かめなければならない。



 大抵は野生動物が迷い込むといったものだが、万が一邪魔者であれば、排除しなければならない。


 ただ、その万が一をまさか引いてしまうとは思いもしなかった。


 俺はその窓の中の一つを見て、目を疑った。



『どうして奴らがここに……』



 おれの計画を邪魔し続けてきた女狐二匹に人間が三人。



『それに、なんだあの力は……』



 力も歴史も失ったはずの天音の現当主。


 以前までは、ただの子どもでしかなかったはずだ。眼中にもなかった。


 念のために天音の力を封じているという洞窟に堕魂だごんたちを忍ばせていたが……まさか奴があれらを退けたと?


 あの石ころしか投げられなかったあの小僧が?


 何を持って覚醒したのだ。


 奴を取り囲む霊力の量が尋常ではない。漂う雰囲気はまるで別人だ。


 それに、元よりある程度の力を備えていた宇留木の末裔も、どうやら術に関する知識を増やしたな。


 それに、発動までの動きが洗練されている。あれではまるで沙十南の生き写しだ。


 それぞれを二匹の女狐がサポートしながら、洞窟の中を進んできている。


 只では消えないと思ってはいたが、やはり合流していたか……。


 だが、女狐が合流していたことはまだ想定内。


 一番の問題はだ。



『“器のなり損ない”だったはず……なのになんだ、お前のその力は……!!』



 何の力も持たないのうちの一人でしかなかった。


 計画を進めるための駒として、器を手に入れられなかった時のための、劣化版の器という代用品として、傍においていた小娘。


 俺と共に居た頃は、役に立ってもらうために仕方がなく、俺の『認識』の力を分け与えてやっていたが、それも“器”を手に入れたあの日に取り上げたはずだ。


 では、あいつが今使っている能力は一体誰が付与したのだ。


 まさか女狐二匹の力で小娘本来の力を目覚めさせた……?


 いや、そんな願いがあったとしても、それを具現化させる役割を担う莉桜の心核は俺の手中にある。


 心核が無い状態でそんな芸当が出来るものか。


 侵入者が入ってきた場合に、それを阻止するよう命じていた堕魂たちが奴らに向かっていくが、小娘に近づいただけで全ての堕魂が地面に力無く落ちて転がってしまった。


 思わず呆然として、その光景をしばらく眺めていた。



「あの子の価値を……見誤ったね……」


『……っ!!』



 後ろにいた“器”の小さな声に反応して振り向くと、未だ苦しそうにその額に汗を浮かべ、青白い顔をしているものの、勝ち誇ったような顔でこちらを見下ろしていた。



『……強がれるのも今のうちだ』



 それだけ返して、すぐに“器”から黒紫の窓に目を戻した。


 奴らはいつの間にかさらに奥へと足を進めていて、おれたちが向かおうとしている祭壇から程遠くない大広間へと達していたところだった。


 まだ焦る必要は無い……あの扉には細工を仕掛けている。


 窓にしがみつくようにして、奴らの様子を観察していると、その先へと進むためにまんまとあの大扉へと近づいていた。


 だが案外頭が働くらしい。


 式神を犠牲にさせてあの扉に仕込んだ力に気づいたらしい。


 とはいえ他には選択肢がないようで、奴らは大扉を開けないているようだった。


 固く閉ざしておくことはもちろん。並大抵の術では開けられぬよう『簒奪』の力を付与してある。


 選択肢が消えていき、あからさまに気力を削られていく奴らの姿に笑みが零れた。


 多少懸念されるのは、いつの間にか大広間に現れていた土人形だ。


 裏切り者が作成した土人形は全て破壊したはずだが……。


 いつの間にここまで侵入したのか、堕魂たちが反応しなかった理由も気になるが、今はそんなことどうでもいい。


 奴らはあの土人形を起動できない。


 あれはというのは、過去の戦いから学んでいる。


 奴らは大扉を開けることを諦めたのか、大広間を歩き回り、隈無く何かを探しているようだった。


 他にこの先へ続く道が無いかをがしているのか。残念だがそこから先は、その大扉を抜ける他道は無い。


 奴らはついに万策尽きたのか、他に道がないことを悟ったようで、土人形の辺りまで戻ってくるとついにその腰を下ろした。



『くくく……ははははっ!!!!そのまま心打ち砕かれ、諦めてしまえ!!!!』



 気分が昂った。


 これでもう本当に俺を邪魔する者は居ないと。


 もう焦る必要も無い。不安要素もなくなった。


 堂々と祭壇へ向かおうと、黒紫の窓を閉めようと思ったその時だった。



『光輝くん!沙羅!ツナグ!!諦めないで!!!』



 突然、“器”の大きな声が響き渡った。



『……驚いたな。まだそんな気力を残していたとは』



 いや、待て……お前、先程よりも



『私はすぐ傍に居るよ!!皆のことが見えるところまで来てるよ!!』


『無駄だ……こちらからの言葉は届かない』



 そうだ……この黒紫の中からは、向こうに声は届かない。


 そう分かっているはずなのに、どうして胸騒ぎがするんだ。



『ツナグ!!ツナグなら聞こえるよね!!』



 無駄な足掻きだと卑下したくなる反面、今すぐに止めさせなければという危機感に襲われる。


 その直感に従うべきだった。


 黒紫の窓の向こうが騒がしくなり、慌ててそちらに目を向けると、“なり損ない”の小娘が、“器”の声が聞こえたと騒ぎ始めた。



『は……?』



 小娘は土人形の起動を成功させるどころか、完全に使いこなし、あの大扉を開けてしまった。


『簒奪』の力が



『人間は……どうしてこうも奇跡を起こすのか……』


「想いは届くんだよ」



 ポツリと漏れた心の声を拾われてしまった。



『……反吐が出る。想いは届くだと……ならばどうしておれの想いは届かなかった!!!!』


「っ!?」



 今更嘆いても仕方の無いことだ。


 それは分かっている。

 その感情はとうに捨てたはずだろう。


 この二人の、がそれだけ強かっ……。



……そうか、そうか!!』



 認めようじゃないか。


 お前たち二人の繋がりとやらの強さを。


 吐き気がするほどの、その清らかな力を。



 今思えば、“なり損ない”は深部へと進むにつれて力を発現させ、そして強めていった。


 そして、“器”は“なり損ない”の存在が近づいた途端、黒紫の力の負荷から開放されたようだった。


 恐らく、というやつなのだろう。


 あの小娘は“なり損ない”などではなかった。


 欠陥品ではなく全く別の、“器”を支えるための何かだった。


“器”と共に居なければ能力を発揮しないというのであれば、俺と共に居たところでいつまで経っても力を発現させないのは当然だ。


 だとすれば、さっき使っていたあの力は、小娘自身が本来持ち合わせていた力というわけか。


 先程の小娘が力を使っていた光景を思い出す。


 堕魂たちが近づくだけで身動き一つ撮ることが出来なくなるということは、精霊の力を制限するようなものと考えることが出来るな。



 ……いわば“器の安全装置”といったところか。




 ならば―――




『前言撤回だ』


「やっとツナグのことを認める気になった?」


『ああ……悔しいが認めてやる。だからこそ、多少強引な手を取らせてもらう』


「えっ、―――――」



 俺はそれまで“器”の胴に巻き付けていた黒紫の糸を離し、瞬時にその全身を黒紫で包み込んだ。


 一度拘束を解かれたことで困惑した様子を見せたが、その後言葉を発する間もなく闇に飲み込まれた器。


 この量と濃度で覆われたなら、流石に意識は保てないだろう。


 精霊にとって争いや血が猛毒となるのと同じように、半分精霊に近い身体の構造をしている白魂の民にとって、闇に堕ちた精霊である堕魂は害となる。


 この黒紫は全て、その堕魂やそれらを取り入れてしまった白魂の民たちのだ。


 闇に包まれた“器”は、当初モゾモゾと動いていたが、ついに動かなくなった。


 その頃には、奴らはう大扉を通り抜けるところだった。


 小娘の力が覚醒した今、間違いなく計画の最大の障壁となるのは、あの小娘だ。



『チッ……奴らが辿り着く前に祭壇へ向かわねばな』






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