第12話 仰月ノ輝弓(3)

 再び弓に手を向けて目を閉じると、先代たちの石の身体にはヒビが入り、そこから黄金色の光が溢れ出し、その光は粒となって弓へと溶け込んでいく。



「ご先祖さまたち、身体が……」


『気にするな。この身体はあくまでも器にすぎぬ』


『むしろ、この身体から解放されるのを待っていたのだ』


『民を救った後、肉体を失った僕らの魂はこの石像へとはめ込まれ、真なる継承者が現れるまで、この力を時代へ継ぎ、存続させることを命じられた。それが今、ついに果たされようとしている』



 先代たちの身体は、目を開けているのも難しいくらいの眩い光に包み込まれていき、そのあまりの光の強さに、おれも腕で顔を覆った。



『安心してください。私たちはこの弓へと力を受け渡して煮えてしまいますが、この弓と共に、あなたの傍に居て、あなたを見守っています。弓の扱い方に関しては、このあと、私たちよりも適任なが現れるはずですから』



 そうしてついに目も開けていられなくなり、思わず目を閉じてしまった。


 おれの瞼の裏には、ご先祖さまたちが消えてしまう最後の瞬間、彼らが人間だった頃の姿に戻った状態で、こちらに笑顔を向けている姿が残っていた。


 ご先祖さまが力を注いでくれた弓は、土台から切り離されて、穏やかな光に包まれていた。


 そしてその弓に触れると、不思議と勇気が湧いて来るだけでなく、不安な気持ちや焦り、それだけではなく、高揚感をも落ち着かせてくれて、心が凪いだ状態でいられる気がした。


 弓を手にしたことによる変化はそれだけではなかった。


 光の粒が見えるようになっていたおれの視界は更に澄んで、黒紫の汚泥な姿がより鮮明に見えるようになっていた。



「っ……ひでぇな……」



 よく見てみると、今までただのドロドロとした不快感のある塊だと思っていたその正体は、その核から漏れ出す黒紫のモヤに公文の表情を浮かべている、複数の精霊たちが固まったものだった。


 あれを倒さなきゃないのか……。


 ただでさえ苦しそうに呻き声を上げているあいつらを、これからぶっ飛ばさなきゃいけない。そう考えるだけで、心が傷んだ。


 それと同時に、見えていなかったからとはいえ、つい先程まではあいつらのことをただの敵だと思ってしまっていたことに、罪悪感すら覚えてしまう。



『どうした光輝、何をしておる!早くそのまま弦を引け!!』


「いや……でも……!!」



 恋夜さんにはあいつらの顔が見えてないのか?


 くそ、でもこのままだとおれだけじゃなく恋夜さんの身も……やるしかないのか……!?



 そんな時、今度は直接声が響いた。



“悪いね、実はずっと試させてもらっていたんだ”


『光輝!!こんな時に何を呆けておる!!』



 もうすぐそこまで迫ってきてしまっているあいつらを見て焦っている様子からすると、恋夜さんの方にはやはりこの声は聞こえていないみたいだ。



“僕が豊果の言っていた指導役だよ。はじめまして、真なる継承者であり、よ”


(僕の名前を継ぐって……じゃあ、あんたが……)


“そうだよ。僕が天音の始祖。最初の天音光輝だ”


(ずっと試していたって、この試練の間、ずっとおれらのこと見てたんすか?)


“いいや、。けど、今はそんなことを話している時間は無い。これから彼らを解放する術を君に教えないといけないからね”



 初代の声が響くと同時に、迫り来るあいつらの声も頭の中に響き始める。



『もう帰りたい』『苦しい』『痛いよ』





『だれか、たすけて』






(それ、早く教えてください。あいつらを早く解放してあげないと……!!)


“本当に君が真っ直ぐに育ってくれて良かったよ。君には一から教えなくても良さそうだからね”


(どういうことっすか?)


“そのままの意味さ。君はね、自覚していないだけで、ずっと力は持っていたんだよ。その力の使い方を知らなかっただけでね。君のその瞳は闇の中に囚われてしまった彼らの本当の姿を捉え、その耳は彼らの小さな声を聞くことが出来る。そして今、君が産まれてくるまでに、僕の意志と力を繋いできてくれた焔停や豊果たちの力が込められた仰月ノ輝弓ぎょうげつのききゅうが君の手の中にあり、君の中には彼らを救いたいという強い気持ちがある。その気持ちが大事なんだよ。その気持ちを弓へと込め、んだ”


(鳴らす……?弓って、矢をつがえて放つものじゃ……)


“大丈夫だ。目を瞑り、僕の言う通りに想像してごらん。君は彼らを救いたいと強く願い、その想いは優しい光となって収束し、一本の矢となる”



 初代の柔らかな声を聞いていると、心が静かになる。そうして頭の中がクリアになることで、その声がすっと頭に入ってきて、その言葉通りのイメージを浮かべることが出来る。


 まるで、背中に立ってもらって、手を添えながら教えられているみたいな安心感がある。


 初代の声に従って、目を瞑ったまま弓を構える。そうして心の中で見えている光の矢をつがえ、弦をキリキリと引いていく。



『光輝……?お前……』



“そうだ。上手だね。そうしたら今度は、彼らを包み込む闇だけを払い落とす柔らかな風を想像してごらん。その風が彼らを包み込んだら、あとはそっとその矢を放つだけでいい。”



 柔らかい風……というと、春の暖かい陽射しの中で、ふわっと花を揺らしているような。そんな風か。


 ああ、吹いてきた。


 おれの背中側からふわりと風が舞って、それが頭上へと向かっていく。


 そして、その風があいつらの身体を包み込むと、あいつらの表情がどこか、少しだけ和らいだように見えた。



『何だ……汚泥の流れが遅くなった……?』



“よし、今だよ。”



 そっと矢じりから指を離す。



 リィン――――――



 その瞬間、辺り一面に響いたのは、放たれた矢が風を切る音でも、あいつらの断末魔でもなく、ただただ優しい鈴のような音色だった。



“よく出来たじゃないか。良いかい、君がこれまでただの敵だと思っていた彼らも、同じように苦しんでいる者たちだったんだ。もちろん君にも感情がある。君や君の大切な人に危害を加えた彼らを許せない気持ちもあるだろう。けど、まずは偏見を捨てさり、一度相手の心を見つめてみるんだ。君の力があれば、相手を滅するのはそれからでも遅くはない。”



 相手をよく見て、相手の中身を……これ、初めて恋夜さんに出会った時の。里桜への接し方についての助言と同じ……。



“それはそうさ。だって、彼女は僕の第二の名付け親であり、育ての親みたいな存在でもあるんだから。今のも彼女からの受け売りだよ”



『光輝、今の力は……その音……お前……』



 そこでようやく目を開くと、先程まで真っ黒な闇に包まれていた頭上からは、あの黒紫色は消え去り、その闇から解放された精霊たちと、その闇が転じて光の粒となって降り注いできていた。


 そしてその光の中で、恋夜さんが目を見開いた状態で、こちらを見つめていたのだった。



“もう一つ言っておかなきゃ。どうしても討たなければならない相手と対峙してしまった時は、さっきの矢に滅するための意志を込めるんだ。そうして相手の核を直接射抜く。けど――”


(それはあくまでも、他に選択肢が無い場合……っすよね)


“そうだ。その気持ちを忘れないでね。それじゃあ僕は、を解消してから退場することにしようかな”



 初代がそう言うと、背中にあった大きな安心感が離れていくのを感じた。そして次の瞬間には、おれと瓜二つの顔で和装姿の男の人が、おれの方を見てにこりと笑ってから、恋夜さんの方へと近づいて行った。



 ⟡.· ⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ⟡.·



 我は目の前で起きていることが信じられなかった。


 想定していたのは、天音光輝の継承者たちがあの弓に力を託してくれるところまでで、後は我が光輝にあの弓の使い方を教えなければならないと思っていた。


 だが光輝は弓を手にすると、その場で目を瞑って黙り込んでしまった。


 その時にはもう、あの汚泥が目前まで迫ってきておったゆえ、致し方なく、我の力で光輝を操り、半ば強制的にその力を使わせるしかないと思った。


 それがまさか、あやつはそのままゆっくりと、それも自分の意志で、頭上の汚泥へ向かって弓を構えた。


 その時から薄々と違和感を覚えてはおったが、あの弓の音を聴いて驚愕した。


 それに加えて、お前が現れたことに、ただただ言葉を失った。



『何じゃ……ずっと傍におったのか……』


“隠していたのは申し訳ないと思っているよ。ただ、と約束していてね。あの子に力を継がせるまでは、貴女の前に姿を現すことが出来なかったんだ。けど、それも無事に済んだ。これで僕もやり残したことを果たすことができるよ”


『お前に悔いなどあったのか?最期は愛する者たちに囲まれて逝くことが出来たろうに』


“まったく、貴女は自分のこととなると途端に察しが悪くなるね。僕が死んだ時、貴女が泣いてくれていたことに気づいていなかったとでも?”


『な、泣いてなどいないわ……!!』



 くすくすと笑っているこやつの顔を見ていると、こやつがどんな悔いを残していたのか、さっぱりで検討もつかない。


 我の力を使えば、そんなことはすぐに分かるのだが、それはしたくはなかった。

 我はただこうして、またこやつと顔を合わせて笑い合えただけで、それだけで嬉しかった。



“僕はね、ずっと貴女のことが気がかりだったんだ。名前と力の継承。天音家にはそれだけが残り、僕と貴女の話は時の彼方へと流されてしまった。貴女に残っていた闇の浄化も、僕の孫の代で途絶えてしまった……貴女を独りにしてしまった……”


『そんなこと……』


“気にせずには居られなかったんだよ。けど、その神は力の継承が終わった後に、僕がやり残したことを果たせるようにと、その分の力を与えてくれたんだ。”


『結局、お前のそのやりたかったこととはなんなのだ』



 そう尋ねれば、やはりこやつはくすりと笑って、もう一歩我に近づき、その手の平を我の頭の上にそっと置いた。



“本来は、貴女の中に残っていた闇の浄化を完遂することだった。でも、その役目は僕がモタモタしている間に、あの子に取られていたみたいだ。でも、不思議と嫌ではなかった。きっとあの子と僕は、名前が同じというだけではなく、魂の形も似ているんだろうね。あの子の中で、貴女があの子と接していくうちに笑顔になっていくのを見て、僕はただ嬉しかった。だから僕は、別の形で望みを叶えようと思う。”



 光輝とのやり取りを見られていたのかと思うと、顔に熱が集まってきてしまいそうになるが、それを何とか抑え、我は平然を装って話の続きを促した。



『別の形とは?』


“貴女は今、その力の大半を失ってしまっているでしょう?僕がその不足分を補うよ。これでやっと、貴女の力になることが出来る。貴女に故郷の景色を見せてあげることも出来ず、独り残していってしまった。これが、僕が出来る唯一の恩返しだ。”


『なっ……馬鹿者!!そんなことをすればどうなるか、分からぬお前では無いはずだ!!』



 精霊の力を人間が補うなど、象が歩くのを蟻が助けようとしているのと同じだ。


 精霊に近しいあの小娘のような白魂の民ならまだしも、それ以外の人間が行えば、如何にその人間が力のあるものであろうと、魂ごと精霊の心核に取り込まれてしまう。


 だというのに、こやつは恐れることも無く、それも笑顔でそんなことを平気でしてしまう。


 我の言葉も聞き入れてくれぬ。



“貴女は一見すると感情の起伏がないように見えるのに、その実、かなり涙脆いよね”


『……泣いてなど……いないわ……!なんじゃ……なんで笑っとるんじゃ……!!』



 目の前にいるこやつの身体が段々と光の粒になっていくほどに、我の身体に力が満ちていくのが嫌という程に感じられる。


 力が満ちていくほどに、我の瞳からは涙が零れてしまう。



“僕が一度決めたら聞かないこと、貴女が一番よく分かってるでしょ?”


『……楽しそうに笑いおってぇ……』



 もう既に身体は上半身だけとなってしまったのに、それでもこやつは話すのを止めなかった。



“また貴女の前から姿を消してしまうことを申し訳なく思うけど、でも今度こそは、貴女は独りでは無いから安心してよ。僕は貴女の力となって生き続けるし、あの子にも僕の力と意志は伝えている。天音光輝はまだ貴女の傍で生きているよ。”


『うむ……』


“そして、最後に。僕は貴女に出会ったことをこれっぽっちも後悔していないよ。むしろその逆だ。僕は貴女に出会えてよかった。名前をつけてくれて、ここまで育ててくれてありがとう。”


『……!!!!』


“あははっ、あの子の中で何度もそう呼ばれるのを聞いてはいたけど、やっぱりこうして、自分の名前として呼んでもらえると嬉しいものだね。”



 あやつは最期にそう言って笑い、消えてしまった。



「恋夜さん……」



 我があやつと話している間、そして、あやつが消えてしまってことへの涙が止まるまでの間、光輝はそれを察して通路の方へと戻っていてくれていた。


 そして、我の様子が落ち着いたのを見て、また広場へと戻ってきた。


 だが、最後にやつが我に力を託し、光の粒となって消えゆく姿を目にしてしまったのだろう。



「やっぱり、天音光輝の名前を持つと、誰か大切な人を遺したまま消えちまうんすね。もし、もしおれが里桜を助けるために力を使って、それで消えてしまったら、里桜は……」



 あの小娘のことだ。きっと自分を救うためにこやつが犠牲となったことを知れば、その先ずっと自分自身を責め続けるだろう。



「だから恋夜さん、お願いがあるんです。おれが力を得たことはともかく、天音光輝にまつわる話は、里桜には内緒にしておいてくれませんか―――」


『断る』


「な、なんで……!!」



 あの小娘といい、こやつといい……昔の莉桜とオシトナを見ているような気分になってくる。


 まったく、どうして我の周りにはこうも自分の命を犠牲にして他者を救おうとする者ばかり集まるのじゃ。


 どいつもこいつも遺された者の気持ちを分かっておらぬ。



『安心しろ。そんなことせずとも、我にはやつが与えてくれた力がある。小娘にもお前にも、その命を散らさせたりはせん』



 もう二度と、目の前で失わせてなるものか。



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