あいのかたち

武 頼庵(藤谷 K介)

あいのかたち


 

 大学を卒業して入社した会社がブラックな所だった――という話をよく聞くけど、そのブラック加減にもいろいろとあると思う。グレーに近いブラックもあれば、そこの方がドロドロと闇がうごめくようなブラックな所など。


 実際に噂には聞いていたけど、そんな会社に入るまでは『そこまで』とは思っていなかった。


 円谷幸樹つぶらやこうきこと俺、25歳。そこそこの大学を出て入った会社は、まさにどろどろとしたような黒さ満載な会社だった。


 仕事の始まりは朝の8時なはずなのに、前日にやり残した――実際にはその日の夜中だが――仕事をかたずけるために、1時間早出は当たり前で、下手するとそのまま帰宅することなく泊まり込みなんて事もざらにある。


 就業終了は会社規約によると、午後5時半。いやそんな時間で帰れる人なんて、俺の周囲で仕事をしている人達には誰もいない。


 重役の人達の事は分からないけど、俺の上司たる設備資材部の部長は、俺達よりも少しだけ早く帰る程度で、時には一緒に泊まり込んで仕事をこなす日々を送っている。残業という名のサービス時間込みな仕事は、夜中0時を時計の針が刻む前に終わるなんて事は、今の所絶望的に期待できないでいた。


 そんな俺にも、一つだけ楽しみな事が有る。会社の中での事では無く、その時間が訪れるのは決まって夜中近くまで会社にいたときにやって来る。

 会社への通勤路は、住んでいる場所から電車に乗って約30分、そこから歩いて10分ほどの長閑な場所から徒歩で通っているのだが、その徒歩で帰宅している途中にある小さな公園で、その時間が訪れる。


 小さな公園とはいえ、遊具はそれなりにそろっているし、休憩する四阿もしっかりと備わっていて、その隣には1台しかないけど自動販売機もある。

 仕事で疲れた体を労わるようにして、その自動販売機でコーヒーを買って飲んでから帰宅するのが俺のルーティーンだ。



 その日もいつもと同じように、午前様にならない程度の時間に帰宅できたので、公園に入って行き、自動販売機の側まで来た時、四阿に一人の女性が座っているのに気が付いた。


――めずらしいな……。こんな時間に一人か? まぁこんな時間だからこそ何かあったのかもしれないし、関わらない様にしよう……。


 そう思いつつ、同じようにコーヒーを買うためにカバンに手を伸ばし、財布を出そうとガサゴソと探る。


 ふと顔をその女性の元へと向けると、俺の方を見ながら笑顔を見せていた。


――綺麗な人だな……。

 星が降って落ちてきそうなほど、空は瞬く無数の星が見えるほど、雲もなく晴れている。そんな中で月明かりに照らされる女性の姿が、非常に眩しく鮮明に見え。


 夏も終わりに差し掛かり、夜になると少し肌寒く感じるようになってきたのに、その女性は薄手のシャツに青色のスカート姿。脚は素足なのだろうか、真っ白な綺麗な細い脚に、白いローヒールを履いている。


――寒くないのかな? いやそんな事より、そんな恰好でこんな夜中に一人でいるなんて大丈夫なのかな?


 女性を見ながら自動販売機にコインを入れて、お目当てのコーヒーのボタンを押す。ガコン!! という音を立てて落ちて来たコーヒーを取り出して、その女性の方へと視線を向けると、既にそこに居たはずの女性は姿が見当たらなくなっていた。


――あれ? 帰ったのかな? 

 疲れていたからなのか、あまり頭が回らないままの状態だったので、そこまで風格考える事も無く、俺もそのまま缶コーヒーのプルタブを引き、がぶがぶと一気飲みして空き缶をゴミ箱に投げ入れると、その公園を後にした。


 それからしばらくは、同じような時間に公園に行くけど、その女性と会う事は無かった。だからそんな体験をしたことなど次第に忘れていたのだ。



 それから一月が過ぎた頃。

 大きな仕事が片付いたことを慰労するための飲み会が行われることになり、いつもとは違って少し遅くなってしまった時間帯に、ほろ酔い気分でいつもの公園へと向かうと、そこには人の気配がした。

 近づくにつれて見えてくる公園には、一人の女性の姿が有った。


――あれ? この女性ひとって……。

 以前も同じように公園で出会ったような気がして、しかしあまりじろじろと見ないように、俺はいつものように自動販売機へと向かう。


 その女性は俺に気が付くと、ニコッと笑顔を向けてくれるけど、すぐに空へ視線を向けた。

 つられて俺も空へと視線を向ける。


――お? 今日は満月か……。

 いつもより少し大きめに見える満月。秋の少し冷気を帯びた空気で、その姿がくっきりと見えている。

 そして視線を戻すと――。


「え!?」

 俺の隣にその女性が何も言うことなく佇んでいた。


「あ、あの……?」

「…………」

 女性はあの時と同じように、薄手の服を身に纏い、俺に向けて笑顔を向けている。


「な、何か?」

 女性に問いかけるが返事をもらうことなく、その女性は少し下を向いてから顔を上げると、先ほどとは少しだけ違い、悲しそうな表情のまま無理に笑顔を作ろうとしているように感じた。


『あまり……無理をしちゃだめよ?』

「え?」

『じゃぁ…………』

 最後にニコリと微笑を見せる女性。その瞬間に少しだけ月の光が、周辺を包み込む様な光の帯に照らされた。


――な、なんだ!?


 少しずつ、足元から女性の姿がスーっと消えていく。光の帯が収まると同時に、女性の姿もまた俺の側から完全に消えてしまった。


――え? 今のは!? ま、まさかゆ、幽霊なのか!?

 初めての体験でパニックになった俺は、その女性の存在を探して公園の中を探す。しかしそこまで大きくない公園なので直ぐにその存在が既にそこには居ない事を確認できた。


 俺はしばらく、その公園から離れることが出来ずに、呆然と立ち尽くしてしまった。







 そんな経験をした俺は、次の日から熱が出てしまい、1週間程寝込んでしまって会社を休んだ。病院に行って診察してもらったけど、特に異常が見当たらないと言われ、疲労によって体が自然治癒反応を起こし、熱を出したんじゃないかと診断された。


 その発熱が、あの女性に関係しているとは思えないけど、まったく関係していないとは言い切れない。



 1週間ほど体を休め、会社に出れるようになると、それまで重く感じていたからだが、どこかスッキリとしているような気がして、それまで以上に仕事に身が入る様になった。

 その年の年末。

 久しぶりに実家へと戻ることにして、早めに有給休暇を取得し、新幹線へと飛び乗ると一路田舎へと向かう。


「あらおかえりなさい」

「ただいま、母さん」

「ゆっくりできるの?」

「そのつもりだけどね」

 実家では母さんが温かく迎えてくれた。久しぶりに実家で迎える正月は父さんや母さんと一緒に楽しくものんびりと過ごすことが出来た。


 ごすっ!!

「痛って!!」

 そうして体を休める時間は直ぐに過ぎ、もうすぐアノ忙しい毎日を迎えるために戻ろうと準備を始めたとき、どこからともなく頭の上に一冊のアルバムと思わしき、白い大きなものが落ちてきて、思わず声を上げる。


――え? 何でここに? というかこんなの俺の部屋にあったかな?

 不思議に思いつつもそのアルバムを手に取ってぱらぱらとめくる。しばらくは俺の小さい頃の写真や父さんと母さんと一緒に撮られた写真が続いたが、最後のページにはつい最近見かけたような雰囲気をした女性の写真が貼ってある。


――ん? この人は……?


「準備はできたか?」

「あ、父さん……」

 俺の部屋のドアを開け、丁度良く父さんが顔を出した。


「未だみたいだな……。手伝おうか?」

「いや……それはいいんだけど……」

「ん? アルバムか?」

「うん。あ、そうだ。父さんこの人って……?」

 どれどれと言いながら俺に近づいて来る父さん。俺は父さんに見やすいようにそのページ部分を開いて渡す。


「これは……」

「知ってる人?」

「……そうか……お前は覚えていないのか……」

「どういう事?」

 少し考えるような素振りをする父さん。


「この人は……お前の母さんだよ」

「何言ってんだよ……母さんなら……」

「俺は再婚したんだよ」

「…………」


 父さんの話では、母さんは俺が3歳になる頃、病気で亡くなってしまったらしい。初めは大したことが無いと思われていたのだけど、俺を生んでから体調が依然と同じようになる事がなく、免疫力が低下したままだったようで、普段なら大事に至らないはずの風邪でさえ、こじらせて重症化する事が度々起きた。


 そんな中で患ったのが、亡くなる原因にもなった乳がんだった。発見されたのが早かったため手術をすれば回復すると言われていたのだが、手術をした後も体調が回復する事は無く、回復するどころか悪化してしまい、とうとう手術から1週間後にこの世を去ってしまった。


 そんな母さんが亡くなる前に父さんに言ったんだそうだ。

「おまえには母親が必要だから、早めに再婚してあげてねってな」

「そんな……」

「そのおかげで大きくなれただろ?」

「うん。母さんには感謝してるよ」

「そうか……そうだな。俺もだ」

 そういうと父さんは黙ってアルバムを閉じた。


「しかし、このアルバムだが、何故ここにあるんだ?」

「え? 誰かが俺の部屋に置いたんじゃないの?」

「いや……。このアルバムは俺の実家に置いておいたはずなんだが……」

 そういうと父さんは俺の方へと顔を向けた。


 結局何故俺の部屋にアルバムが有ったのかは、母さんに聞いても分からなかった。


 ただわかった事も一つだけある。それは俺には二人の母さんがいて、二人に愛されて育ったこと。あの時俺の目の前に姿を現したのは、俺の体調を心配してくれた母さんだったんじゃないかと思う。


 自分では分からなかったけど、相当俺の体は無理をしていたのだろう。それをどうにかする為に母さんが俺の目の前に現れた。


 そう考えると、あの時俺が熱を出して寝込んだ事も説明がつく。


 そして母さんは消えてしまう前に俺に言った。

『またね……』


 それは俺の事を今もなお見守ってくれているんじゃないかと思うんだ。何かあったらまた母さんが俺の前に姿を現してくれるのかもしれない。


 そう思うと、俺は怖いという感情よりも、胸の奥がジンと温かくなる。



――母さん。ありがとう……。


 窓から見える、雪雲に隠れて恥ずかしそうにしている月に向け、俺は感謝の言葉を贈った。



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あいのかたち 武 頼庵(藤谷 K介) @bu-laian

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