回想:セツナ (3)

 ミナヅキを出る前日。

寮の部屋で荷造りをしていたセツナの体が突然動かなくなり、意識が途絶える。

 再び意識を取り戻した時には夜になっており、途中で中断していた荷造りは完全に終わっていた。


(覚醒した私は夜まで荷造りしていたのかな?)


 ドタドタと、焦燥感がこちらにも伝わってくるくらいの大きな足音が廊下から部屋まで響く。

そして勢いよく研究仲間が部屋に入ってきた。


「セツナ! あぁ……無事でよかった」

と泣きそうな顔をしていたため、

「え? どうしたのですか?」

セツナは首を傾げた。


「知らないの!? さっきまでこの辺りで魔獣が暴れていたのよ! 聖女様がいなかったら更にひどくなっていたに違いないわ」


 仲間が指差したのは窓だった。窓から外を見ると、崩壊した建物に騎士たちによって斬られた魔獣たちの亡骸が。


(私が意識を失っていた間に…こんなことが)


「こんな状態だけど、聖女様のおかげで戦いに一区切りはついているから。ミナヅキのことは私たちに任せて行ってきて」


 一抹の不安はあるが、仲間からの優しさを無駄にできなかったセツナはエルフィン王国に赴いた。


(あ、宿の手配は自分でしないといけないんだった)


 初日の夜。

自身のコミュニケーション能力の低さに打ちのめされたうえに、致命的なミスに気づく。


(そういえば……酒屋で介抱してくれたルリさんが『魔法学園の空き教室に住んだら?』って…いや、不法侵入だよね。でも、どこの宿も満室だし…バレないなら1日だけ)


 普段は周囲に怯えながら生きるセツナであったが、こういうときに限って思いきりがよかった。

彼女のようにマイナスの方向にもふっ切れた人間が夢だけではなく現実でも武器を握ることは避けたい。


いとも簡単に空き教室に侵入し、床に寝転び休息をとる。

翌朝、すっきりとした目覚めを迎えた。


(よし、疲れは消えたから外に……)


 視界が揺らぐ。

あの日と同じように意識はあるのに体が勝手に動く。故に校舎の外に出られない。

意思とは反対に職員室から食べ物を拝借してしまう。記憶のない日も多々あった。


 絶望していた彼女にとって、ルーシェとベルギアの来訪は希望となった。

自分のことを『儂』と言ってしまうこと以外は体の制御ができたので、その間に外に出ようとした。


2人と一緒に外に出ようとした瞬間、扉が閉まる。

閉めたのは自分の腕だった。


(なんで!? どうして扉を閉めるの!? どうして鍵をかけるの!?)


口が勝手に動く。


「もうすぐ、完全に儂のものになる」


 体を乗っ取っている『何か』の今までの記憶が流れ込む。


 多くの人間を操り、魔獣のための世を築くために暴走した一体の凶悪な魔獣が、魔女と聖女に封印される。

その魔獣は『フェンリル』と呼ばれていた。


 記憶の中の時は現代に進む。

封印から目覚めたフェンリルは人間への復讐を誓った。

手始めに目を付けたのは偶然湖畔に1人でいた少女だった。


 補完されるかのように、『覚醒していた』時の自分の記憶も流れ込んだ。


フェンリルは知能が高い魔獣だけに与えられた権能で、眠っているエルフィン王国の人間の精神を、空き教室を真似て創られた自分の精神世界に招き入れていた。

連続で何人も招く日や、複数人を一気に集めた日もあった。


 しかし、どの人間を招いてもフェンリルがすることは同じだった。

「お茶をどうぞ。儂の自信作だ」

「ゆっくり休むといい。あとは儂がなんとかしよう」

と人間の話を聞きながらお茶を振る舞うのだ。それ以外には特に何もしなかった。危害を加えていたわけでもない。


 不思議な夢を見たと怯えていた者や、夢ではなく現実だと勘違いして白昼夢だと語ったり怪談話に変えた者もいたが、ただの噂にとどまり大きな問題にはならなかった。


 フェンリルの行動に疑問を持ちながら、ルーシェとベルギアと会った時のことを思い返したセツナは気づいた。


「先ほどのルーシェさんとベルギアさんも精神世界の中にいた? でも、なんで2人の時だけ私が……」

「それは、2人が普通の人間ではない故に儂の正体に気づきそうだったからだ」


 老齢の男性の声がセツナの頭の中に響く。どこか口調も年老いた者を想像させた。


「ルーシェは忌まわしき魔女になる小娘。ベルギアは偽名で、恐らくは光の精霊パナケアだ。あれは全て儂の精神世界だったというのに……小娘はまだしも精霊にも気づかれないものだったのだな」


 再び体が勝手に動き出す。現在のセツナが歩くのは本物の校舎の中だ。

必死に平静を保ちながらセツナは質問を続ける。


「さっきまでルーシェさんやベルギアさんと私はフェンリルの精神世界にいたのですね?」

「そうだ。力が回復してきたから街一帯を再現した。現実の2人は眠っている」


(2人が精神世界にいることに気づかないように、フェンリルは精神世界で2人が眠りにつくタイミングで現実世界に戻したんだ)


 勝手に動く体は空き教室に着くと、荷物の整理を始めた。

先ほどの謎が解けたセツナは

「封印された時と同じように、魔獣の世界を創りたいのですか?」

と一番の疑問である『目的』を確認する。


「そうだ。昔は自分たちの世界を創るために人間を排除していたが……封印されてからは復讐として人間を滅ぼして魔獣の世界を創りたくなった。そのために儂は魔女と聖女を殺す。精霊共も消せたらいいが不死身だからな。だが、精霊たちに妨害されないための準備もしてきた」


 初めてセツナに会って精神世界に入れたフェンリルは、『恐怖』を体験した彼女がどう動くのかを観察していた。

ナイフに手を伸ばすセツナを見たフェンリルの評価は『ただの器候補』から『使える人間』になった。


「この肉体を使わせてもらった借りがあるからな……これが終わったらそなたの復讐も手伝ってもいいぞ。忌まわしき当主はそなたの甥の告発によって裁きは受けたが、現在も生きている。最終的には王国以外も征服したいからそう手間でもない。どうする?」


 母の葬式に夫であるにも関わらず、当主が参列しなかったことや、夢を否定されたあの日のことが思い返される。


気持ちが揺らがなかったわけではない。


(ダメ。魔獣の口車には……)


 悩んだ末に彼女は閃いた。

賭けだと分かっている。失敗すれば命はないだろう。他の人間でも替えはきくのだから。


(でも、やらないよりはいい)


「わ、分かりました。確かにあの当主は憎いですから。でも、私が表に出る時間も増やしてください」

「まぁいいだろう。精霊や魔女たちと会う時は儂が表に出る」


 セツナの考えを読むようにフェンリルは条件を足したが、彼女は反抗しなかった。


 もし、彼女らが怪談話の真実に気づいたら。ルーシェが無事に魔女になったら。


セツナはその時が訪れることに自分の全てを賭けた。

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