回想:カルティエ・グランディール(1)

 皇帝の息子である少年は刺客との戦いで片目を失った。

だが、彼にとってそのことについてはどうでもよかった。


 自分を庇った2名の護衛が亡くなったことの方が彼を苦しめた。


 生まれつき病弱で、体調が安定するまでは専用の屋敷で使用人たちと共に暮らしていた彼は、成人して初めて実の兄と対面する。


選ばれた人間。それが実兄への第一印象だった。


用意されていた道を我が道に塗り替えて歩く。

人望も運も実力も何一つ欠けていない兄。


「共に父上を支えていこう」


 兄は知らなかった。病弱だった弟は父に疎ましく思われていたことに。 


だが兄に何も罪はないことも分かっていたカルティエは

「あなたがそう言うなら」

と返した。


「その傷を隠したいのか?」

「見苦しい、と父上に言われたからな」


 そのような会話をした翌週、プレンはカルティエに特注の眼帯を贈った。


「折角なら君の美しさを引き立てるデザインがいいと思ったのだ」


 それが家族からもらった初めてのプレゼントだった。


兄弟の仲は良好であったと云える。


 カルティエはお忍びで城下町へ行くのが好きだった。

幼い頃に外出できなかった反動だ、と本人も自覚していた。


 ある日、なんとなくで寄った酒場に美しい銀髪の娘がいた。他の客たちに彼女はルシエルという名だとカルティエは教えてもらった。


ルシエルは名乗らないカルティエに

「フードを被っているからフードさんって呼ぶわね」

と有無をいわさずにあだ名をつけた。


 貴族が気まぐれに立ち寄って、他の客を見下した発言をした際には、彼女は躊躇なくその貴族を店の外に投げ飛ばした。


 ルシエルがカルティエの名前を知ったのは、投げ飛ばされた貴族が後日、騎士たちを連れて開店前の店にやって来た時だ。


「この庶民の娘は高貴なる私に従わず、投げ飛ばした! 店ごと潰せ!」

「はぁ!? あんたみたいなバカはもう一度投げ飛ばしてあげます!」


 ルシエルは応戦する気しかなかったが、屈強な騎士がいたことによって彼女も店主も逆らえなかった。


「高貴なる身分に従わないといけない…か」

「なんだそこの男! 当たり前の話であろう!」

「ならば、お前はこのカルティエ・グランディールに従う必要がある…ということだな?」


 偶然通りすがったカルティエはフードを外し、身分を明かすことで貴族を黙らせた。


「あの男は私から兄上に報告する。では」

「待って! カルティエさん、また来てください」


 彼女だけでなく店主も

「お礼に今度奢ってやるよ!」

と豪快に笑った。


 兄以外に感謝の言葉を言われたのは初めてであった。


それから酒場には『この酒場では身分は関係ない』というルールが加えられた。


時は流れ、1年後。

カルティエは自分がルシエルに惹かれていることに気がついた。


だが、自分と生きる者は人生に多くの制約を課せられる。

仮に自分がグランディールの名を捨てたとしても、今より貧しい生活を送り彼女を不幸にしてしまう可能性が高い。


 酒場で楽しそうに働き、自由に生きるルシエルを愛していた彼は、特に彼女にアプローチをするわけでもなく、常連として幸せを祈ることにした。


 そんなことはルシエル本人が許さなかった。


「カルティエさん、私カルティエさんのことが好きです」

「………は?」


 閉店後、帰ろうとしたカルティエに

「明日は店内の大掃除のため臨時休業です」という報告と共に彼女は告白した。


「私と生きる者は幸せになれない。忘れるんだ」

「私はあなたの気持ちが知りたいです」


「別に私はあなたのためなら貴族のマナーくらいちょちょいと覚えられますし?」とルシエルは自信ありげに言う。


「投げ飛ばす姿しか想像できないな。それなら私が家を出た方がまだいい」

と笑ったカルティエを見たルシエルは

「いつか帝国を出て酒場を営みましょうよ!」と期待するように言った。


 幸せが日常に現れ始めていたカルティエだが、1つ悩みがあった。


皇帝になる気はない彼だが、周囲の人間はそのことを知らないことだ。


父である皇帝の病が発覚した時に、

『次期皇帝はどちらが相応しいのか』

という話題を大臣たちが話していることを聞いたときは頭を抱えた。


 いっそのことすぐにでも名を捨てようかとも思ったが、まだ誰とも婚約していない兄が皇帝になるまでは自分が支える必要があると思い、ルシエルの了承も得て、その時まではプレンの側近としての生活を送ることにした。


「あなたがプレン様を疎ましく思っていることは気づいていますよ」


 カルティエを敵対視する人間は多かったが、特に大臣であり皇帝とプレンに心酔していたインサニアは、事あるごとにカルティエを側近の地位から下ろそうとしていた。


『それくらいの悪意』を気に止めておらず、優しい兄には黙っていたことを、後にカルティエは後悔することになる。


雨の日だった。


「最近、店の近くに不審な男がいる」と店主から聞いていたカルティエはこっそり城を脱け出して店に行こうと城下町を歩いていた。


「カルティエさん!」

「どうかしたのか、店主?」


店主はいつもの豪快さは消えており、顔面蒼白で「ルシエルが、ルシエルが…!」としか言わなかった。


嫌な予感がしたが、なるべく考えないようにしてカルティエは店主と共に小さな診療所へ走った。


 着いた時にはルシエルの命は消えかかっていた。


医師が懸命に止血していたが間に合わない。それは幼少期に死と隣り合わせの日々を過ごしていたカルティエには分かってしまった。


「ルシエル!」

「カル、ティエさん? ごめんなさい。剣で斬られたことしか分からない…」

「そいつは俺が見つける! だから今は」

「あなた恋人になっても堅苦しかったのに…ふふっ」


自分は死ぬのだとルシエルも分かっていた。

だからこそ、彼女は笑った。


「愛するあなた、どうか幸せになってください。私のことは忘れて…」


 ルシエルから体温が消えていく。この時、カルティエは初めて絶望を知った。


そして憎悪を知った。


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