第26話 開幕

 私の元には兵士たちは来なかった。

 部屋のドアが激しく叩かれる音がする。

どうやらルリが、誰も入れないように細工をしているみたいだ。


「なぜ、こんなことを」

「ルーシェ・ネヴァーとカルティエ・グランディールが出会ったらどうなるのか。わたしはそれが見たいんだ。本来はあり得ない邂逅ってきっとおもしろいに違いないでしょ? 大丈夫。この前話したとおり、あなたが死ぬことはないよ」


 ルリは手すりの上に立つ。そして、クロノス様とは違う笑みを浮かべた。邪悪という言葉がふさわしいだろう。


「大精霊の妨害、結構がんばったんだよ? 今頃ミナヅキを出てアヴニールに向かっているころかな……ねぇ、本当に大精霊が許可を出すと思った? あいつなら絶対に行くなって言うよ。うん、1番あいつと仲がいいサラマンドラが来なかったのは本当に助かったな」


 アハハッ!と初めて会ったときと同じように笑っている。

どうやら、ルリが大精霊のフリをしてアウラさんに指示を出していたようだ。


「どうか素敵なショーを見せてね? ジャンルは任せるわ。喜劇でも悲劇でも、お好きな方でいいわよ」


 鳥のように。ルリはバルコニーから飛び立った。

それと同時にドアが開けられる。


「これはどういうことだ?」


 カルティエ様が殺気をだしながら私を見下ろす。未だに私は仰向けの状態だ。もしかして踏まれたりするのだろうか。お腹とか顔は嫌だなぁ。


「見ての通り逃げ遅れました。笑うならご自由に」


「カルティエ様、この者は牢屋に入れて人質にされた方がよろしいかと」

「必要ない。この者と二人きりで話をする。出ていってくれ」


 兵士たちは部屋から出ていった。

部屋にはカルティエ様と私の2人きりになる。少し殺気がなくなったように感じた。


 仰向けの私に向かって彼は手を伸ばす。その手を握るとグッと引っ張られて起こされた。


「本当に逃げ遅れたのか」

「はい。手すりにのぼろうとして、足を滑らせてしまいました」


 カルティエ様は私をじっと見つめる。やはり緊張してしまうな。


「ケガは」

「へっ?」

「痛むところがあるなら言え」

「どこも痛くないです……」


 幸いにもルリが魔法でケガをしないようにしてくれていたようだ。死ぬことはないという言葉は本当だったようだ。


 未だに彼の瞳には感情は宿っていない。だが、私を責め立てたり尋問することなくケガの心配をしてくれるあたり、やっぱり優しい人なのだと思った。


「私を牢屋にいれないのですか?」

「お前だけは逃げなかった。それが全てだ」


 さっき「逃げ遅れた」と言ったのに。

彼は聞かなかったことにしてくれるらしい。


 カルティエ様はソファーに座った。そして正面にある椅子を指差して「座れ」と指示してきた。


「お前はこれからどうする。私が皇帝になるまで大人しくこの城にいるのか」

「あなたにとってはそちらの方が都合がいいでしょう?」

「……利用できるのならば遠慮なく利用する」


 どうやらこれは本気のようだ。彼が善人であると信じてはいるが、さすがに冷や汗が流れる。

 カルティエ様が丁重に扱ってくれたとしても、兵士たちやメイドたちの態度は最悪だろう。


 ロキたちが助けに来てくれるまで、私が耐えられるといいのだけど。


「私みたいなただの使用人のためにプレン様が動くでしょうか?」

「兄上は万民を救おうとする。そういう人間だ。それにお前、使用人ではないだろう」


 やはり、私に芝居の才能はなかったようだ。カルティエ様にはもう隠す必要はない。


「身分を偽っていたことは謝罪いたします。私はルーシェ・ネヴァー。ただの子息家令嬢です」


 悪役令嬢というレッテルつきのね。


「お前にここを出るつもりがないのであれば、1つ取引をしよう」

「逃げないというか、私1人では逃げられないという話ですけどね。……内容は?」


「お前を私の婚約者にする。そうすればこれまで以上に城の中で自由に過ごせるようにする。庭の散歩までなら許そう」


 噎せてしまった。プレン様の元に間諜として送り込んだりするのではないかと思っていたのだが、これは予想外だ。まさか婚約者とは。


 庭の散歩を許すということは「逃げるなら勝手にしろ」ということだろう。確かに逃げるのが正解だ。


 だが、ルリはそれで満足しないだろう。

私がここで逃げ出そうとしたら妨害してくるに違いない。

 口振りからして、彼女は私がカルティエ様との交流を続けることを望んでいるようだ。理由は分からないが従うしかない。


「分かりました。婚約者になります」

「物分かりがよくて助かる。お前には『ルシエル』という名で過ごしてもらう。城にいる者全員に『ルシエル』と呼ぶよう通達するからそのつもりでいろ」


 私は今からルシエルだ。ネヴァー家を巻き込まないように仮の名を与えてくれたのだろう。不器用な優しさだ。

だけど、私にも1つ譲れないものがある。


「あと1週間」

「なんだ」

「1週間経ったら婚約者をやめます。春休みが終わってしまうので。そうなったら何があろうとここから逃げ出しますからね」


 どう動く。さすがにそれには応じないかもしれないな。私としてはとても重要な話なのだが。


「ハハッ。真面目な学生ってことか」


 カルティエ様が笑う姿を初めて見た。小説内でも彼が笑う描写はなかったというのに。


「私にとってはとても重要なことです」

「まぁいい。あと1週間で私が皇帝になればいい話だ」

「ずいぶんと自信があるのですね」


「そうでなければこうやって兄を裏切るようなことはしない」


 そう言い残して部屋を出ていった。引き続きこの部屋を使っていいということかしら。


 この日の夜は眠ってもロキには会えなかった。

うまく逃げきれていれば、そろそろエルフィン王国に着くはずだけど……


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る