第14話 雲翻雨覆

 目が覚めると宿の客室のベッドの上だった。

 

「起きたか」

「ロキ、私は何故ここで眠っていたのかしら」


「儀式が終わった直後、貧血でぶっ倒れて運ばれた……というのが表向きだ。実際のお前はサラマンドラとの対話、そして儀式が終わっても起きることなく爆睡していただけだ」


 あの時の私は気絶ではなく、寝落ちしていたらしい。どうりで身体の疲れがなくなっているわけだ。


「夢の中に入るにはお前が眠る必要があるから、俺が薬で気絶させようとも思ったが……お前は儀式が始まって1分で寝落ちしたな」


 ロキが貧血と誤魔化してくれなかったら、先生たちから大目玉を食らっていただろう。助かった。


 どうやらロキは精神だけ私の夢に移し、サラマンドラ様を夢の中に呼び込むという器用なことをしていたらしい。

 こんなことができるのは私が鍵が見える人間だからであって、誰にでもできるわけではないようだ。


 私の体調は全くもって問題はないが、先生にこのまま休むようにと言われた。


 他の生徒たちが楽しそうに宿内のレストランに移動している声がする。


「私は部屋で食べるわ。あなたは今からレストランに……」

「行かない」

「え?」

「お前がここで食べるなら俺もここで食べる」


 私を置いていくのは心苦しいのかもしれない。

気にしなくてもいいのに、というのは優しい彼にとっては無理な話か。


 ロキは「ちょっと待ってろ」と言い、部屋を出た。


 5分後、ロキだけではなくノーブルとクレアも部屋に入ってきた。


「ルーシェ様、体調の方はいかがですか?」

「もう大丈夫だけど、まさかあなたたち」

「迷惑でなければ僕たちもここで食べようと思う。先生には許可をもらった」


「スタッフが貸してくれた」と言いながらロキは折り畳み式の机を運んできた。それを広げてご飯を置いていく。


 彼らは豪華なレストランでディナーを食べるのではなく、私と一緒に食べることを選んでくれたのだ。


「ルーシェ様?」

「ありがとう。嬉しい……ってロキ!それは私のおかずよ!」

「お前の飯は俺の飯」

「君たちは相変わらず仲良しだね……」


 楽しい夕食の時間をすごした。友情とは素晴らしい。


 気がつけば消灯時間になったため、寝よう……と思ったが。


「眠れない」


 昼寝をしたら夜眠るのが困難になるというもの。

外の空気を吸おうと思い、隣のベッドで眠るクレアを起こさないように静かにベランダへ移動した。


「寒い……」


 厚手のカーディガンを羽織って正解だった。


今日は月が見えたり、雲に隠されたりしている。冷たい風ではあるが強風ではない。

もう少し風に当たっても大丈夫そうだ。


…1人になるとあのことばかり考えてしまう。


「クロノス様、かぁ」


 やっぱり彼に対して怒りはない。少なくとも私を祝福しようとしたことについては。


 両親に暗示をかけたことには少し怒っている。

 私が不憫な目に合っていたからではない。放置されたらされたで好き勝手過ごすから。


怒るとしたら両親の精神状態を変えてしまったことだ。解除できても後遺症が残ったら私は彼を許さないだろう。


「あなたは自分がされたことにも怒った方がいいです」


 友人はそう言っていたが、私は自分のことでは怒れない。

死なないのであれば、自分に対する害を許容してしまうのだ。

すべて「まぁいいか」と思ってしまう。


 これは彼には言わない方がいいな……


 そんなことを考えながら外を見渡していると


「……ん?」


 ホテル付近の道に、記憶の中のクロノス様とそっくりな男の人がいる。いやクロノス様本人だ。


 白い髪、絵画のような美しい精霊。


 やっぱり、祝祭の日に見かけたのはクロノス様だったんだ。


 私の視線に気がついたのか、クロノス様がこちらを向いたことによって私たちの目が合う。


 直後、私は彼の目の前に立っていた。さすが精霊。

だが、私がホテルを抜け出したと怒られる可能性を考慮してほしかった。


 クロノス様は優しく微笑んでいる。何を考えているのかはやっぱり分からないが、悪意のある笑みではなかった。


「久しぶりだね、ルーシェ」

「はい、お久しぶりです。あの、何故ここに?」


 クロノス様は

「記憶が戻ったんだね」

と言いつつも驚いてはいない。想定の範囲内なのだろう。


「偶然この街に来ていただけだよ。今日はやけに学生を見かけるとは思っていたけど、キミも来ていたとは思わなかった」


 どうやら本当に偶然らしい。観光目的でこの辺を歩いていたら、ベランダにいる私の視線に気がついたそうだ。


「人の子の成長は早いねぇ」

「あの、祝福のことなんですけど」


 これはチャンスだ。ロキがこの場にいないのは残念だが、祝福について洗いざらい話してもらおう。


「あぁ成人したら贈るって話だね」

「何故、私の両親に暗示をかけたのですか?」


 きょとんとした顔だったが、数秒経ってから

「あ~!」

と笑顔になった。

え、暗示のこと忘れてないよね?


「理由かい? だってキミに祝福を贈ったら……祝福の特性上、キミは孤独になるだろうと思ってね。ずっと仲の良かった家族の輪から孤立するより、最初から家族と距離を取っていた方が1人になっても寂しくないだろう?」


 それはあなたの独善的な考えであり、自己満足。

という言葉を飲み込む。文句は後にしよう。


「なぜ祝福された私が孤独になる前提で話すのですか?」

「だって、キミは置いていかれるからね」


 クロノス様は笑顔のまま話し続けた。


「キミの望み通り、死なずに生き続けられる。けれどその代償としてキミはたくさんの人たちの旅立ちを見送ることになるだろう」

「私が、生き続ける……?」


「うん。世界の時間の流れはさすがに操れないけれど、物や肉体の時間の流れとかは操ることができる。キミに祝福をしたら、キミも肉体が老いないようにできる。キミがそう意識しなくてもね」


 つまり、彼が祝福したら私は実質不老不死になるということだ。何かあっても自動的に体が元の状態にリセットされる。老いも、病も、ケガもだ。


「大精霊様に『あなたの祝福は絶対ろくでもないことになるから人間にはするな』て言われていたのもあるけど、今まで気に入った人間が現れなかったから祝福しなかったんだ」


と彼は目の前で微笑んでいる。その悪意なき笑顔に恐怖すら感じた。

クロノス様は自分の行いが

『正しくて相手のためになる』

と信じている。


 悪意がある方がよかった。それならばこの怒りが行き場を失うことはなかったはずだから。


「うーん、成人まで待とうとは思ったけど……心身ともに充分成長しているようだし、予定を前倒しにし……」


 突然、私の視界が塞がれる。


 匂いがする。これは……血の匂いだ。

クロノス様から何か痛みに耐えているような声が聞こえる。


 視界を塞がれたことに驚きはしたが、安心感があった。

そうだ、この感覚を既に私は知っている。

私の視界を覆っているのは、私が夢から覚めるときに優しく触れてくるあの手だ。


 ロキが来てくれたのだ。

しかし、何故血の匂いがするのだろうか。


 そう思っていたら「眠ってくれ。頼む」と懇願するような声が聞こえた。


 どうして、と訊くことは叶わない。体から力が抜ける。

嫌だ、と思っていても瞼は閉じていく。


私の意識はここで途絶えた。

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