第2話 この世界には精霊がいる 前

 王子が求婚してきた日から1ヶ月が経とうとしている。


 今日も真面目に授業を受けた私は、唯一安心して過ごせる自室のベッドの上に倒れこんだ。

前世で週7日働いていた時とは違う、勉強を頑張った時の疲れはそこまで嫌いではない。


 だけど疲れの原因は授業だけではなかった。

入学式以来、毎日のことではあるが、今日も王子のファンたちに囲まれた……


 あの後、衝撃で固まった私に対して

「混乱させてしまいすまない。返事はゆっくり考えてからでいい」

と王子は言ってくれたのでお言葉に甘えて返事は保留にしている。少し甘えすぎている自覚はある。


 1ヶ月返事を保留にしても全く急かさないし、大勢の注目を集めてしまったことに罪悪感を感じているようなので、ノーブル王子は小説の中と同じでいい人なのだと思う。


 他の人たちからは「王子の運命の相手」としてあからさまにちやほやされたり、陰口を叩かれたり、時々レベルの低い嫌がらせをされたり。


 その結果、今の私には友達がいない。

別に悲しくない。孤立することには慣れているわ……


 私の両親はというと「全てルーシェに任せる」とのこと。

 放置されることには慣れていたが、まさか王子から求婚されても興味なしだとは思わなかった。


 だけど、今は色々と都合がいいわ。


 自分の死亡回避のためにでもあるが、ネヴァー家が没落することを避けるためにも、私と王子と主人公の三角関係は回避しなければならない。


 ノーブル王子と婚約した後に私と主人公が出会ったとしても、私が主人公をいじめることはないのだから大丈夫。

……と最初は考えた。


 しかし、王子に求婚された令嬢とは別に、王子と仲の良い女の子が学園内にいると噂されたら。


 考えるだけでも恐ろしい。ろくなことにならないだろう。


 様々な可能性は考慮しておくべきだ。行動を間違えたら私の人生は終わるのだから。


 そもそもノーブル王子は私のことが好きだから求婚したのか?

という話からだが、恐らく彼は私に恋をしてはいない。もちろん私もだ。


 あの求婚は「鍵が見えたから」という義務感からしたはずだ。求婚の時もそうだったが、彼は一度も私に好意を伝えてきたことはない。


 恐らく彼が私を好きになる日は来ないだろう。あの王子はふわふわ系の努力家ヒロインが好きなのだから。

トゲトゲ系の怠け者悪役令嬢の私は彼の好みの正反対だ。


 確かに婚約から始まる恋もあると思う。

だけど、前世で色々あった私自身がそういう気持ちになれないのだ。

 人は誰かを好きになることに恋ではなく『春』という別名をつけることもあるが、私にとっては極寒の冬でしかない。


 恋人を愛せない人間との婚約だなんて、

ノーブル王子にとってもよくないことだ。


 それにしても、どういった理由で断ろうか。

王族との繋がりが薄い子爵家の娘だから? 

私には何の才能もないから?


 ダメだ。何を言ってもノーブル王子は「大丈夫だ」と言いそう。あの王子はすごく優しいのだから。

いい加減に決めた理由では納得してくれなさそうだ。


 眠気を感じ始めたので時計を確認すると、針は23時を指していた。


 どうやって求婚を断るかという重要な問題が解決していないが、明日も授業があるのだからもう寝よう。


「絶対に断るぞ……」


 夢の中だけでも現実逃避がしたい。そんな淡い希望を持った私は瞼を閉じてから5分もしない内に眠りについた。


 暗闇。その中心と思われる場所にポツンと立っているのは私。


 あれ? さっきまで自室のベッドに転がっていたよね?


 とりあえず暗闇のなかを歩いてみる。どこかに出口があるかもしれない。希望を持とう私。頑張れ私。


 歩き始めてから体感で10分は経とうとしているが、出口は見つからないし周囲の景色も変わらない。暗闇のなかを彷徨っている状態である。


 明晰夢(仮)ではあるが歩いていたら疲れてしまった。


 その場で寝転ぶ。明晰夢ならせめて、せめて……!!


「もっと食べ物とか出てきてほしかったのだけど」

「いや、そこは『どうやったら脱出できるの』じゃないのか」


 どこか聞き覚えのある声の主はちょうど私を見下ろす形で浮いていた。


 10代後半くらいの、少年と青年の間のような姿。どちらかといえば青年に見える。

 クール系のイケメン。黒髪を無造作に整えており、服も黒色メインだ。

吸い込まれそうなくらいに美しい黄金色の瞳は竜を彷彿とさせた。


「そうやってツッコミをするということは目覚める方法を知っているんですよね? 教えてもらえると助かるのですが」

「俺がお前を夢から覚めないようにしている。言っておくが別に戯れでお前を夢の中に閉じ込めた訳ではないからな」


 青年は宙に浮いたままだ。いいなぁ、私も空を飛びたいなぁ。自由に宙に浮かびたい。


「俺は運命を司る精霊のロキ。『運命の鍵』を作ったのは俺だ」


 なんだか強そうな彼こそが、私の生活から平穏を遠ざけた鍵を作ったということだ。

……文句は胸のうちにしまっておこう。


 とりあえず今後のためにも『運命の精霊』について訊いておきたい。


「運命の精霊って鍵を作る以外にできることはあるのですか? 例えば誰と誰が結婚するとかが見えるとか」

「ない。五大属性の魔法は使えるがな。運命の精霊の役割はエルフィン王国の王族の人間に運命の鍵を作って渡すことだけだ」


 すっごくシンプル。いつ世界が滅ぶのかとかが分かったりするわけではないようだ。

しかし、王族に関わることだから、責任重大な気がする。きっと彼の苦労があるのだろう。


「その、大変そうですね」

「言葉を選んでくれたのは分かった……色々あって他の精霊とは違い、自分で何を司るか決められたんだが、エルフィン王国初代国王のおかげで王族専用の鍵を作るだけの精霊になってしまった」


 さらりと五大属性の魔法を使えるとかいうチート発言をしていたけど、本人は運命の精霊としてできることが鍵作りしかないことを憂えているようだ。


 ロキは「名前の割に大した力はないだろ」と苦笑しながら着地した。首が痛くなるので宙に浮かないで話してくれるのはありがたい。


 今の状況も裏設定なのだろうか。

少なくとも「エルフィン王国編」には精霊は登場していなかったはずだ。他のシリーズの内容を思い出せていないのが悔やまれる。


「ところで何の用ですか? もしかして……いつも鍵に選ばれた人間の夢の中に不法侵入しているのですか?」

「俺をそんな目で見るな! この力を使うのは今回が初めてだ! あぁ、更に怪しくなってしまった気がする……」


 やろうと思えばできたけど、やったことはなかったようだ。記念すべき初めての夢訪問に私の夢を選んだのは何故だろうか。


 訊く前にロキは自ら話してくれた。


「礼…いや、鍵が見えるのに王子からの求婚を断ろうとする令嬢はお前が初めてだったのと……入学以来、毎日悩んでいたのが気になったから、お前の夢の中に入った」


 何か誤魔化した気もするが、物珍しさと彼自身のお人好しさが訪問の理由らしい。


いっそのこと、彼に相談にしてみようか。


 孤立無援な状態だったため、話を聞いてくれるのならば精霊だろうと構わないわ。

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