2023-09-27

 朝から大雨。しかし昼には快晴になっていた。わたしも亀も、日なたで日光を吸収していた。


 当たり前のことだけど、天気が良いと気分がよくなる。薄暗い天気のときは気持ちも薄暗くなる。21世紀になっても令和になっても、人は天気のありようだけで気持ちがころころ変わる。縄文時代の人々もきっと雨の日は憂鬱だったろう。


 1ヶ月くらい少しずつ読み続けてきた湯浅泰雄の『身体論』を読み終わった。正直なところ、それほど面白い本ではない。西田幾多郎の議論の不十分さを後知恵でちょこちょこ補ってるだけじゃん、という不満もある。お勉強ばかりしてないで湯浅さんのオリジナルの議論をもっと見せてくれよとか思いながら読んでた。でもそれなりに面白いところもあった。最近はまっているマインドフルネスに通じる話題もあった。ちょっと引用。


《ヨーガにせよ禅にせよ、東洋の瞑想法は必ず呼吸の訓練から始まるのであるが、生理学的にみてこれには重要な意味がある。身体の器官の中で、皮質系と自律系の両方の神経支配を受けているのは呼吸器と括約筋の部分だけである。呼吸装置は随意筋の支配下にあるから意志的努力によってある程度コントロールできるわけであるが、呼吸中枢は延髄にあって自律的に動いている。したがって呼吸の訓練はおそらく、皮質に中枢をもつ意識のはたらきと皮質下中枢の間に条件反射性の一時的結合をつくり出す効果をもつのではないかと考えられる。》 p292-293


 言い方が難しいけれど、ようするに、呼吸器は意識と無意識の中間あたりに位置しているものだということ。人は呼吸を意識的にコントロールできる一方で、とくに意識しなくても自然と呼吸をしている。これに対して、心臓みたいな内臓はこうはいかない。心臓はいつも無意識的に動いていて、自分の意思で心臓を止めることはできない。そういう意味で、呼吸器は意識と無意識のあいだに位置しているのであり、ということは、呼吸器を媒介として無意識に対してアクセスできる可能性がある。だから、呼吸の訓練をすることで、無意識をある程度コントロールできるようになるのではないか、みたいなことを言ってるのだと思う。


 ここらへんの湯浅さんの記述は、本当に科学的な裏付けがあるのか、それとも思いつきを言っているだけなのか、ちょっと怪しいところがある。「条件反射性の一時的結合」というそれっぽい表現で誤魔化してるような胡散臭さもある。でも、身体の調子を整えるのに呼吸が大事だというのは経験的にも納得いくことだし、それなりにまともなことなのかもしれない。


 午前中は研究のネタ出しと、非常勤の授業準備。


 研究の方は、だいたい方向性がまとまってきた。従前の意思決定理論を批判するような内容。意思決定論は西洋で生まれた理論なので、そこで想定されている人間観も西洋的なものだ。つまり、個人は個々バラバラの存在で、それぞれ自分で自分の価値観や手持ちの資源と相談しながら行動を決定するということになっている。経済学でもそういう前提になっているし、ゲーム理論も基本はそうだ。だけど実際には、人は周りの人々との関係性のなかで様々に態度を変える。主体は「個」ではなく「場」だというのが日本的な発想だろう(ゲーム理論も他者との関係性を考慮に入れた理論だけど、そこで扱われているのは日本的な「場」というよりも、「パワーバランス」みたいなものだ)。場というものを理解しないで人々に働きかけても空回りするだけだよ、みたいなことが仮の結論。あとはどうやって実証に落とし込むかだ。


 授業の資料作りは小説を書くのと同じだな。まずは、思いついたことをだらだらと書く。いきなりスライドを作ったりしない。参考文献を確認するとかはあとでいい。勢いを殺さずに最後まで辿り着いたら、あとは村上春樹の言うところの「トンカチ仕事」であちこち修正していけばいい。


 午後はまた金融翻訳の勉強ばかりしていた。夕方あたりになってふと、一日の時間配分が間違っているのではないかと思った。某大学の教員公募で、わたしはもう王手の段階なのだ。最終面接前の健康診断書まで求められている段階なのだ。だったら、面接の準備に時間を使うべきだろう。翻訳者になるための準備も必要だけど、それは、教員公募に落ちたときのための滑り止めだ。なのにその滑り止めに一日の時間の大半を割いている。いったい何をやっているのだい。


 まあ、気が乗らないというのが一番の理由だろう。面接で相手に気に入られるための話題を収集することよりも、翻訳みたいに、自分の技術を高めていくことに時間を使いたい。


 ニラとか小松菜とかの青菜系が高くなって200円近くになっているので、最近は豆苗を買うようにしている。豆苗は安いし美味しいし再生産できる。タッパーに水を入れて、豆苗から切り落とした根っこの方を浸からせて育てている。サボテンの隣に豆苗を置いている。緑色がかわいい。その隣で飼っているミドリガメも緑だ。別の色の生き物も飼いたい。猫とか。緑色の猫はいないと思う。


 『見知らぬ乗客』を見終わった。エンターテイメントだからしかたないのだけど、主人公が交換殺人に応じてしまう展開だったらもっとよかったのになと思う。主人公が最後まで「まともな人」で、一方、主人公に交換殺人をもちかけたあの男は最後まで「イカれた人」だ。そうやって座標軸を固定しておいた方がエンターテイメントとしては多くの人に受け入れられやすいというのはわかる。でも、そこが動かないと、しょせんはつくりものだよねえ、という白けた気分になってしまう。

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