第2話

 年増の女が頭を下げていた。白髪が混じった長髪を、頭頂で丸くまとめている。


魅鬼みきさま、母がお世話になりました」


 女は魅鬼を見ると、大きく息を吸って頬を紅潮させた。吐しゃ物を地面に撒いた。突然湧いた激情に耐えられなかったと、せき込みながら言った。魅鬼に視線を向けないよう、抗っていた。


 魅鬼の日々は変わらなかった。

 二代目は魅鬼を視界に入れるのに耐えられないと言い、地下に近寄らなかった。年月が経ち、頭髪が真白にならないうちに地下を訪れて、一代目と同じ願いを口にした。飢餓感は尽きなかった。

 次はその親戚筋の女が来訪した。次いで年老いた女が。

 年若いほど魅鬼の魅力に抗う期間が短く、男は特に陥落しやすかった。彼を管理する人間は、腰の曲がった女だけになった。


 生活に不満はなかった。終わりのない餓えを除いて、待っていれば自然と餌が歩いてくる現状に満足していた。

 石ころが地上から地下に転がり落ちる音で目が覚める。ぴんと耳を立てる。足音はゆったりとしていて、一歩一歩を確認するように若い女が降りてきた。

 両手で壁に寄りかかるように歩いている。


「魅鬼さま、でしょうか」


 女は背中までの鴉色の髪を無造作に垂らしていた。全体を見渡すように、左から右へ顔を動かしている。


「お世話係に任命された、ハルと申します」

「世話係?」魅鬼は尾を揺らす。


 ハルは左右を重ね合わせた胸の襟を強く握り締めた。


「はい。何でも、魅鬼さまの望むようにと」

「ハラが減った」

「お食事を持ってきます」


 ハルは急いで地上に向かうと、少し経って十ほどの握り飯の乗った盆を持ってきた。盆を魅鬼の前に置く。

 魅鬼は盆に顔を寄せて鼻を鳴らす。


「コレはなんだ」

「握り飯でございます」


 舌を伸ばして口内に放りこむ。臼歯で米をすり潰して飲み込んだ。日頃食べるものに比べれば小さすぎるぐらいだった。


「用意するならモットだ」

「魅鬼さまは、たくさんお食べになるんですね」


 ハルの手は真っ白になるほど握りしめられていたが、安堵したように解けた。手先は荒れている。先が擦れた麻の衣服は、従来ここに来る者に比べて貧相なものだ。


「こちらへ寄れ」


 「はい」ハルは返事をすると、魅鬼の活動範囲に入った。顔を近づける。湿った鼻息がハルの前髪を揺らした。

 彼女の両目は白く濁っていた。稀に瞬きをするだけで、魅鬼の一挙手一投足を歯牙にもかけない。何も映していなかった。


「次はもっと作ってこい」


 顔を離して、魅鬼は寝そべり直した。千切れそうな勢いで尻尾が振られていた。空腹が凌げることが喜ばしかった。


 一刻も経たずに今代の老婆が困惑した様子で降りてきた。魅鬼は「飼うことにした」と返した。たまには変化があってもいい。変わらぬ日常の中で、異分子は好ましい。

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