素敵なハロウィーンに、創りたてのアップルパイをどうぞ!
10月31日。とっても素敵なハロウィーンの朝。
『創造の庭』に植えた立派なリンゴの木が、ついに赤い実をつけた。
「まあ思ったより早く実ったこと。いえ、割と時間がかかったかしら」
艶々とした実を眺めながら、年季の入った魔女はしみじみと呟いた。
魔女は、『創造の庭』の偉大な主人である。ただし魔法の腕は大したものでなく、良くも悪くも言葉ばかりが達者な女であった。
「気まぐれに種をやってみたけど、案外育つものねえ。めでたいこと」
木の周りをぐるぐると歩く魔女は、それなりに浮かれているのである。
素敵なハロウィーン。素敵な赤い実。『創造の庭』で起こった良い出来事を、魔女なりに祝いたくて仕方ないのだ。
「そう、そうだわ今日はハロウィーン。尊敬する
唐突に、魔女は足をぴたりと止めた。その口元には、三日月のようにつり上がった不器用な笑みが浮かんでいる。
一足先にこの世を去った、気高きご先祖様たち。彼らのことを思うと、魔女はいつでも豊かな気持ちになれるのである。
しかし、そのご先祖様たちは既に肉体を捨てている。
霊の身では、食事も、ワルツも、木になった実をもぐことさえ叶わないのだから。
「敬愛すべき、そして哀れな、
彼らのために、特別なアップルパイをこしらえるとしましょう」
早速、魔女は支度に取り掛かった。といっても真っ先に向かうのはお台所などではない。彼女のお気に入りのハンモックである。
リンゴの木のお隣さん。立派なリンゴの木よりもさらに立派な古株に取り付けられた、頑丈で居心地の良いハンモック。
魔女はそこに深く腰掛け、目を閉じてアップルパイを想像する。
イマジネーションといえば、魔女の得意分野であった。
「形の揃ったリンゴがごろごろ入ったフィリング、パイ生地はバターをたっぷり使って、丁寧に何層も重ねましょう。もちろん、艶やかな網目の部分は欠かせないわね。
ああ、彼らはうんと甘い方が好きかしら。カスタードを挟んだり、粉糖を振りかけたら甘すぎてしまうかしら。でも、バニラアイスを添えるくらいは良いわよね……」
彼女の創造はとかく時間がかかる。あれこれと考えているうち、日はあっという間に空のてっぺんを通り過ぎていく。それぐらいになって、ようやく魔女のアップルパイは形を取り始めた。
かりかり。こりこり。
リンゴを削るような堅い音。それは、魔女がアップルパイを仕上げていく、繊細で崇高な音であった。口達者な魔女が作業をするその間だけ、『創造の庭』は元来の静寂さを取り戻すのだ。
しかし、それもほんの幾ばくかのこと。
「ああ、出来たわ。素晴らしい、この出来映えなら
日が沈み切った頃。興奮した魔女の声が、再び『創造の庭』の静けさを破った。
ただでさえよく回る口が、完成したばかりのアップルパイを前に、さらに熱っぽく言葉を紡ぎ出す。
「いえ、これだけでは足りないわね。ささやかでも庭の飾りつけをしなければ。
身なりも、客人を迎えるのに相応しいものにしないと」
年季の入った魔女だって、こういう時「あれもこれも」と大慌てするものである。
しかし時間も魔法の腕も足りない。結局、庭に最低限のテーブルと椅子、キャンドルやらガーランドやら最低限の飾りを施すのが精いっぱいであった。
自身も髪を櫛で整え、歯を磨き、真新しい黒のワンピースに着替えて、それからどうしたものかと思い悩むうちに満月が昇る。
「ああ
お会いできてなんて光栄かしら。幸福で胸が詰まりそう」
濁流の勢いで感嘆を述べる魔女に、レースカーテンのような身体を翻して現れた
大声で笑うことは、霊にとって唯一に等しい娯楽である。出来る限り大げさに、身を捩って笑うのが彼らの交信手段だった。
当然それを知っている魔女はまた大層喜び、それからスキップ混じりに客人をテーブルへ案内する。
「今朝、庭のリンゴの木に実がなったの。
それで、ご先祖様たちにアップルパイを用意しようと思い立ったのよ」
魔女の言葉に、
当然のことであった。彼らにはもう、アップルパイを食べる口も、消化するお腹もないのだから。
戸惑う彼らを前に、魔女が不器用な笑顔で差し出したのは――本物のアップルパイではなく、十数枚の羊皮紙。
「さあ、どうぞ。渾身の言葉でこしらえた『紙とインクの特製アップルパイ』を」
そうして、魔女は朗々とした声で読み上げ始めた。
霊たちの宴。並べられる焼き立て熱々アップルパイ。クリームを添え、軽やかな音を立ててパイ生地を切り分け、とろけたフィリングを金のフォークで口に運び、それからカフェラテを一緒に頂く。
それは、紙とインクで仕上げた、想像のアップルパイ。肉体を捨てた霊にも味わうことのできる、唯一のご馳走。
その様子を見た魔女は言葉に表せない、とても素敵な気持ちになるのであった。
***
ハロウィーンの終わった、次の朝。
偉大な主人は目を閉じ、想像に耽っていた。
「来年のハロウィーンには何を作って差し上げようかしら。
甘い物ばかりでは良くないわね。ずっしりとしたミートローフなんてどうかしら。
夜は冷えるから、温かいシチューでも喜んでくれるかしら……」
かりかり。こりこり。
リンゴを削るような、堅い音。魔女が紙にペンを走らせる音が響く。
次のハロウィーンが待ちきれず、魔女は既にいくつも創造をこしらえている。
「ああ、次のハロウィーンまで待ちきれないわ。
けれど、時間はいくらあっても足りないのよ!」
『創造の庭』の静寂を、魔女の高ぶった声が打ち砕く。
やはり魔女は、良くも悪くも言葉ばかりは達者であった。
ジャンク・イン・ザ・ボックス 暁野スミレ @sumi-re
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