焼きたて塩パンの観察

 午前6時52分。ボクは他の塩パンと一緒に棚に並んだ。

 開店8分前に滑り込みだ。ボクたち塩パンこそが、今この店で一番ホットな存在となっていた。

 店の中で店員が3人、慌ただしく動き回っている。

 こじんまりとしていて、親しみがあって、いい店だと思う。


『パンとして生まれるなら、結局こういうとこがいいよな』


 真下の棚からぼそりと聞こえてきた。何のパンが喋っているかは知らないが、やっぱり同じ小麦粉から生まれた同士、気が合うというものだ。


 午前7時。店長が店を開けた。冷たい風が吹いてきて、パンの表面が少し乾く。これが、ドアと向かいの棚に置かれたパンの辛いところ。

 一番乗りは、ネクタイをきっちりと締めたサラリーマンだった。彼は、せかせかとトングを握り、早足で棚に向かっていく。長年パンをやってきたボクの勘だと、彼は最初から買うパンを決めているタイプだ。


 他のパンと共に、息を呑んで様子をうかがう。手前から3列目に並べられたので、かなり視界が悪い。

 サラリーマンが、塩パンの棚に一瞥いちべつくれたのが分かった。

 その足が露骨に止まる。


「あ、焼き立て」


 確実に、二度見していた。手前の塩パンが耐え切れずに笑っている。

 一番前の、他より焼き色のいい塩パンが拾われていった。はす向かいのカレーパン達が悔しそうな様子でいる。彼らの客を横取りしていったことに、底意地の悪い優越感を覚えた。


 午前7時42分。客がどどっとなだれ込んできた。同じ制服を着た学生とか、小綺麗な恰好をした老夫婦とか、様々だ。

 パリッとしたシャツを纏った女性に、真下のパンが貰われていった。

 よく見ると、彼は米粉ベーグルだった。思ったより育ちが違ったので、数十分前に抱いた親近感が消し飛んだ。


 午前7時47分。熱かった時期も過ぎ去り、ボクもそろそろ冷め始めている。そうすると、思考も若干冷えてくるというものだ。


 長年のパン歴からすると、今日のボクの配置は良い方でなかった。

 そもそも、塩パン自体そこまで一気に売れるものでないし。焼き上がった姿をオーブンで見たときも、なんか焼き色イマイチだった気がするし。

 右隣の塩パンがため息を吐いた。パンが冷めるときのナーバスな空気は生地に良くない。とはいえ、ボクもこの先の売れ行きを憂えざるを得なかった。


 ところが午前7時54分。ボクは、トレーの上に載っかっていた。

 母親に抱っこされている男の子が、ボクのことを穴が開くほどに見つめている。幼稚園のスモックから伸びた、むちむちのパンみたいな手に触れられそうなところを、母親が「こらッ」と静止した。


 お揃いのスモックと帽子を身に着けた子どもたちと、その母親たち。

 集団というのは面白いもので、「ぼくこれ食べたい」「じゃあわたしも」「じゃあせっかくだからお母さんも」とばかりに、あれよあれよという間に塩パンの大移動が始まってしまった。

 ボクの乗るトレーには、塩パンが2つ。ボクは母親に食べられるんだろうか。それとも、兄妹で仲良く「はんぶんこ」されるんだろうか。


「ありがとうございました!」


 押し込められた袋から、店員の顔が見える。こちらをちらりとも見ないのは仕方ないけど、ちょっと包装が雑なのがいただけない。

 でも、なかなか落ち着くいい店だった。そのうちまた、ここの塩パンになってもいいだろう。


「おかあさぁん。パンたべたい」

「わたしも!」

「はいはい、お家帰って食べようね」


 ボクを買った家族の声が聞こえる。

 ボクはまだ、ほのかに温かい。冷めきる前に買ってもらえて、何だか誇らしい気持ちだった。


 午前8時ちょうど。

 店のドアベルが鳴った。ボクの今日の生まれ故郷が、遠ざかっていく。

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