秒速14.5ミリの謝罪
「寒……」
仕事の手を止め、カーディガンに手を伸ばす。
窓枠の軋む音が聞こえる。外で強い風が吹いているみたいだ。こういう日に外に出なくて済むのが、在宅勤務の良いところだと思う。
『ごめんくださーい』
突然、女の子のか細い声がした。それから窓をノックする音も。
「やだ、また洗濯物飛んじゃった?」
駆け足で駆け寄り、窓を開ける。
直後に気づいた。あれ、ここ3階では?
『お忙しい中恐れ入りますー……』
ベランダで女の子が土下座していた。
小学生ぐらいの背格好をした、座敷童子みたいな子だ。
外の冷たい風に吹かれて、女の子の着ている着物が激しくはためいている。
「あの、顔上げて。とりあえず中に入ろっか」
『いえいえお時間とらせませんので……。
今、皆さんに謝罪して回っているところでして』
「謝罪?」
女の子が顔を上げた。あどけない顔立ちの中に、明らかな疲れが見てとれる。
あ、この顔には覚えがある。納期直前に仕様変更があった時の私、全く同じ顔してた。
『日本、ここ数日で物凄い冷え込みましたよね?』
「ああ、まあそういえば……」
『ウチの新人が調整にしくじりまして……。
SNSも大荒れしましたので、こうして尻拭いに走っているところであります』
「それはまた、なんともアナログな」
謝罪の割にオブラートが取れかかっている所にも、生々しい気苦労が感じられる。
おかげで、「気温の調整って何ですか」とか、「どうやってここまで上ってきたんですか」とか、「そもそもあなたは何者なんですか」とか、山のような数の疑問が吹き飛んでしまった。
「もう他の所にも謝罪に行ったんです?」
『はい。皆さん優しく対応して下さって。
……いや、気の毒がられましたね。「もういいですから、どうか頑張って下さい」って』
女の子が、その顔にはとても似合わない、乾いた笑いを浮かべた。
正直、私も気の毒に思う。
「あの。本当、頑張って下さい」
『恐れ入ります……。
手前勝手で申し訳ありませんが、失礼して次の場所に向かわせて頂きます』
女の子は最後に深々と頭を下げたかと思うと、瞬く間に風に巻かれて消えてしまった。
狸にでも化かされたような心地だ。私は、しばらくその場に立ち尽くすしかなかった。
その日の夕方。東京に木枯らし1号が吹いたとニュースで流れた。
私の住む地域にも吹いたらしい。その時間帯を見て、嫌な考えが頭をよぎった。
「まさか、あの子のせいじゃないよね」
女の子が謝罪回りに来た時と、時間がぴたりと合っていることに一抹の不安を覚える。
今夜は随分と冷え込んでいるけれど、夜風は穏やかだった。
冬がすぐそこまで来ている。
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