2 女子高生「……また、聞かせて、ください……」

 すぐ隣の、時計の下の芝生に座り、横にギターケースを置いて。

 僕は三十分ほど待った。

 きっと持ち主が慌てて探しに来るだろうと思って。

 でも、誰も来なかった。

 すっかり酔いも醒めて寒くなっただけだった。馬鹿馬鹿しい。


 守ってやったんだから良いよな。

 そう言い訳して中身を開けてみた。

 すぐに弾ける・・・というほどでもない具合の、安っぽいアコギ。

 ちょろっと鳴らしてみるとチューンがおかしい。

 使っていないものなのかもしれない。


 持ち主は帰ってこない。

 そう思ってそいつを取り出した。

 手に持つだけでぼろんと声をあげる。

 手綱を握って大人しくさせエーから整えていく。

 初心者が使いそうな黄色いピックが弦によく馴染んでいた。

 そうして毛並みを揃えたところであぐらをかいてギターを構えた。


 ぴんと張ったスラックスが悲鳴をあげていた。

 スーツ姿で何をやってんだ、俺は。


 そう突っ込もうとした自分を、それでいいという自分が殴りつけた。

 このまま歌え。

 歌ってしまえ。

 忘れていた衝動に突き動かされて僕は歌った。


 ――ありがとうと 感謝が 僕を 突き刺し♪


 かつて歌ったことのある、僕の詩。

 あの頃は言葉の虚飾に憧れ、ただ人の言葉を借りて並べ立てた。

 今になりそれらが意味のある言葉に変わったことに気付く。

 かき鳴らす音が不可思議な高揚感を運んできてくれた。


 ――世界に 僕は 消されている♪

 ――社会に 僕は 消されている♪

 ――学校に 僕は 消されている♪

 ――家族に 僕は 消されている♪

 ――友達に 僕は 消されている♪


 まともな選曲でもなければ、まともな歌声ではなかった。

 酒も入って、カラオケでさえ十年以上行っていない。

 すぐに声が潰れてがらがらになった。

 只でも耳に入れたくない類の、嫌がらせか何かだった。

 そんな暴力をただ僕は垂れ流した。


 ◇


 身体がかっかと熱くなる。

 上気した頭がぼうっと思考を退避させる。

 暴力の余韻は、黒歴史をまたひとつ紡いだという冷たいまでの現実だった。


「……」


 僕が座っていた芝生の、道を挟んで反対側の芝生の山。

 そこに誰かがいた。

 女子高生だろうか、スカート姿だ。

 こんな時間にどうして?


 目が合った。

 いや、ずっと僕を見ていた。

 ずっと? あの歌を?

 冷たい現実が羞恥となって僕を襲った。


 おもむろにギターを元のケースに片づけ。

 そのギターケースを持ち主が取りに来るようにと祈ってその場に置いて。

 そして鞄を持って立ち上がった。


「……」


 その子は目の前まで来ていた。

 じっと、僕を見張るように目の前に。

 僕は恐ろしくなって目を合わせないようにその場を離れた。


「……あ、待って」


 消え入りそうな声。

 誰かが傍で歩く足音だけで聞き落してしまうほどの、か細い声。


 僕へ向けて発せられた声だというのはわかっていた。

 でも黒歴史に追加のページを刻みたくない僕は無視をしようと思った。

 思って……できなかった。


「……なに?」


 だって、その子の声が、泣きそうなほどに震えていたから。


「……あ……」


 僕は見てしまった。


 肩まで伸びる黒髪。

 均整の取れた顔立ち。

 美人の部類に属する彼女の、どこか暗い表情。


 LEDの街灯に照らされた彼女の白い頬に雫の跡があるのを。

 その目が赤く充血しているのを。


「……また……」

「え?」


 その絞り出すような震える声に。

 僕は金縛りにあったように身動きが取れなくなっていた。


「……また、聞かせて、ください……」


 その子は足元のギターを指して言った。

 僕のギターじゃない、と喉まで上がって来た言葉を飲み込む。

 だって落ちてたのを盗んだなんて思われちゃ困るから。


 返事に困って足元へ目を落としていると、その子はすぐに立ち去っていた。

 ……僕がギターを盗んだことはばれなかったらしい。

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