第5話

「ああ、これが『魔法アイテム・ウィスタリア』だわ」

「記録にあった?」


 結城は更に読み取るためブローチを手に取った。とたん、痙攣を起こしたように身体が突っ張る。衝撃でテーブルに置いた飲み物がこぼれてしまった。


「いつきさん! 大丈夫ですか?」


 矢野は、急いで結城の隣に移動して肩に手を当て話しかける。彼女は目を瞑ったまま返事がない。

 何度か話しかけていると、身体の力が抜けてふぅと息を吐いて目を開けた。


「すごい。すごいです。これは魔法使いの心象風景や、思いを記録することのできる魔法アイテムです。理屈は判りませんが、魔法使いの思念を中心の石の結晶空間の対称性の歪みとして記録することができるようです」


 魔法物理学者の血が騒ぐのか、ブローチに意識を集中して解析し始めてしまった。自然と判ったことが口をいて出る。


「うんうん、これは古いですねー。作られてから二千年を越えています。ああそうか、ホログラムと同じ原理なんだ。あっ!」


 小さく叫び声を上げた後、彼女は目を瞑り黙り込んでしまった。

 矢野はしばらく様子を見ていたが、彼女が黙り込んだままなのでしびれを切らして声を掛けた。


「いつきさん? もしもし、結城さーん? おーい。だいじょうぶですか?」


 彼が声を掛けたからでもないのだろうが、彼女が目を開けた。その瞳には涙が浮かんでいる。放心したように呟いた。


「すてきな世界。あれこそが私が探していたものだわ」

「どうしたんですか? 僕には訳が判りません。教えてください」


 彼女は熱いまなざしを矢野に向け、興奮を押さえ込むようにゆっくりと話始める。そうでもしないと、落ち着いて座っていることもできなかったと後で語っていた。


「この魔法アイテムには貴之さんの従伯父さんの体験が記録されていました。つまり、魔法の世界での体験が記録されていたんです。友人と妖精と共に過ごした短い旅の記憶。その世界は魔法世界ウィスタリアと呼ばれていたようです。魔力に満ちた世界で落ちこぼれ魔法使いだった彼が強力な魔法使いになれた体験なども記録されています」


 ブローチから矢野に視線を移すと、熱のこもった声で説明を続けた。


「そして、切ないほどの強烈な憧憬の想いが記録されていました。彼らは精神のみがウィスタリアに旅をしたのですね。いつかあの世界に肉体ごと旅立つことを願っていたことが痛いほど伝わってきました。きっとあの人達はなんらかの方法であの世界に旅立ったんだ」


 店内に響き渡るほどの声で力説している。矢野は周りの客の睨むような視線を気にしてしきりに声を押さえるように話しかけるが耳に届いていない。


「すごいです。本当にあったんです、魔法の国が。嬉しい」

「いつきさん。声が大きいです」


 周りの客は最初こそ睨んでいたが、『魔法』の言葉が耳に入ると視線を外して、そそくさと席を立ってしまった。

 駅まで歩く道行きでもしきりに矢野に話しかけてきた。矢野よりひとつ年上のはずの結城はまるで年下の恋人のように貴之にまとわりついて、魔法の世界に対する自分の想いや、いまさっき知ったばかりことを嬉しそうに話しかけてくるのだ。矢野は結城の意外?な一面に触れて愛しい気持ちが弥増いやましていた。


「でも、ずるいなぁ。いつきさんだけ従伯父の記録に触れて。僕も見てみたいですよ。僕は感応系の魔法は全然なんですけど」

「きっと大丈夫ですよ。あのアイテムは魔法使いのために作られたものですから」



 矢野は自宅のソファに腰かけて『魔法アイテム・ウィスタリア』を目の前に掲げて眺めている。右手には常用している携帯サイズのMAADを持ちいつでも使えるようにしている。


「いつきさんはああ言ったけど、僕に読み取れるだろうか」


 用事があるという彼女と別れて早々に自宅に戻ってきた。彼女は名残惜しそうにしていた。それが、このアイテムに執着していた故というのは雰囲気で判った。何だか割り切れない気持ちを抱えて、アイテムを眺めていた。


「まあ、まだ恋人と言う訳じゃないしな」


 仕方なしに、MAADをオンにして左手に持つアイテムに意識を集中させた。彼は感応系の魔法の適性は低い。それでも魔法を使うということは、適性のある時空間対称性に干渉する魔法を使うということは、時空間対称性への干渉の反作用は認識できるということだ。でなければ魔法のコントロールなどできはしない。

 結城の言った通りだった。意識を集中したとたん。魔法アイテムに記録された情景が、記録されたときに抱いていた感情が、その場のその当人であるかのように流れ込んできた。矢野はその世界に引き込まれていった。


 高揚感と喪失感の両方を覚えて目を開けたときには数時間の時が過ぎていた。まなじりには涙が流れた後があり、涙を拭うと枕が湿っていることが判る。のろのろと身体を起こす。

 手に持ったままの魔法アイテムをサイドボードに置き、額に手を添えて先ほどの経験を頭の中で整理してみた。おもわずため息をつく。


「ふう、従伯父の耕輔さんはあんな経験をしていたのか」


 冒険の高揚感と現実に戻ってからの憧憬と寂寥感が胸に残っている。魔法の世界での驚きに満ちた旅、出会い、危機や、強力な魔法を使う高揚感、憧れの彼女との触れ合い。どれもいまの自分が持ちえないものだ。現実に戻ってからのもどかしさ。


「いつきさんの言ったように、本当にあの世界に戻ったんだろうな。僕でも体験していたらそう想うと思う」


 自分自身の体験ではない感情を振り払うように首を左右に振る。


「でも、手がかりは全くない。それに、だからと言って自分に何かできる訳でもないしな。耕輔さんの失踪の原因らしいものが判っただけだ」


 魔法の世界の現実はここにある。いま自分がいる世界が、自分にとっての魔法の世界なんだと、自分に言い聞かせる矢野だった。そうでもしないと、従伯父の感情に振り回されそうだった。

 彼にとっては、明日からまたエネルギープラントで魔法を使う日常が始まるのだ。行くこともできない世界を夢想しても失望することはあれ、何の益もなかった。


「魔法の世界か…… わくわくはするけど自分には縁のないものだな」


 だが、現実では思ってもいなかったことが起こることを彼は後で痛感するのだった。

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