第6話

 都内の某ビルの一室、日本魔術協会東京本部の質素ながら洗練された調度が施された応接でその男はソファに深々と腰を降ろしていた。

 魔術師協会は魔法の行使を職業としている人々が自分たちを守るために設立した組織である。魔術師は魔法能力・技能そのものを生活の糧としている者たちであり、探偵業・警備・エンタテナーなどもそうであった。対して奉職する者や、教職につくものは国家の枠組みのなかで保護され、権利を保障されているため魔術師協会とは距離を置いていた。むろん、矢野も結城も魔術師協会には属していない。


 毛足の長い黒いソファに深く腰かけたその男は鋭い視線を眼窩に宿し、豊かな白髪は八十歳を越えているようには見えない。室内をゆっくりと見回し、自分がいた頃と変わっていないことを確かめていた。

 その部屋の外、数人が塊になって部屋の中の様子をうかがっている。


「あれが伝説の雲城さん? 突然来たの? なんでまた。リタイア後は伊豆の山奥で悠々自適に過ごしていると聞いていたけど」

「あれだよ、『魔法の世界』」

「ああ、まだ執着してたんだ。あのことで失脚した事があるんでしょ」

「そう聞いた。そこから協会の最高権力者に返り咲いたそうだから、普通じゃない」

「あ、良修りょうしゅう部長」

「お前達、何をしている。さっさと仕事に戻れ。それから珈琲をふたつ出してくれ」


 彼らの上司がグループを解散させ応接に入っていく。


「雲城さん、今日は随分急ですね」

良修りょうしゅう。忙しいところすまないな」


 良修は、雲城の向かいのひとり掛けのソファに腰を降ろした。


「いえいえ、貴方と私の間柄ではないですか、遠慮しなくても結構です。でも、わざわざ出向いていただかなくても、テレコミュニケータで充分な内容と思いますけど」

「都心に来るのも久しぶりだ。最近足が悪くて、運動も少しはしろと煩いのでな。それに、良修の顔も見たかったんだ。さっそくで悪いが、連絡をもらった件のこと、詳しく教えてくれ」


 手元の情報タブレットを見ながら良修は説明を始めた。


「魔法科高校、当時魔法学園付属高校の魔法事故に伴って発表された、ハラダ・タワラ・メソッド『並行宇宙論とエネルギー非保存』に関する当時の情報へのアクセスの監視でよろしいんですよね」


 ハラダ・タワラ・メソッドと聞いて雲城はいやそうな顔をする。


「タワラの名は聞きたくない。だが、まあ、その通りだ」

「さらに、魔法事故の当事者、『矢野』のことを調べる者が現れた場合に備える。でしたね。この条件で設定されていた監視エージェントの曖昧さゼロの報告です。数日前に『矢野』の事を調べる『矢野』の縁者のアクセスが観測されました。名前は矢野貴之、年齢は十九歳。『矢野』の従甥いとこおいに当ります。えーっと、エネルギープラントに勤める魔法使いですね」


 今日の最新情報を伝えるためか、息を一旦切ってから続けた。


「本日、『矢野』の父親、つまり大伯父の元を結城と共に尋ねたようです。結城は以前『矢野』のことを調べていた魔法物理学者ですが、なぜか矢野貴之と行動を共にしているようです」


 雲城は寄り掛かっていたソファから体を起こす。


「魔法物理学者が、なぜ『矢野』に興味を持つんだ。『並行宇宙論とエネルギー非保存』は確立された学問分野で新たな研究の対象になるとも思えないが…… まさか!」


 良修は手に持っていた情報タブレットをテーブルにおいて雲城に向き直る。


「雲城さん…… 部下としてお世話になってもうかれこれ三十年になりますけど、雲城さんが『矢野』にこだわる理由をお尋ねしてよろしいですか?」


 刹那の間をおいて、長年抱いていた質問を口にする。


「なぜ『矢野』なのですか。飛躍的に強力な魔法を使えるようになるため、という動機はお聞きしていました。けれども、本当の理由。雲城さんがなぜにそこまでにこだわるのかを聞いたことがありません。ここはひとつ、お聞かせください」


 雲城は軽く目をつむると、考えをまとめているのかしばらくそのままでいる。ややあって静かに目を開いた雲城が問いかけた。その瞳は奥に強い怒りを抱え、八十歳を越える老人のものとしては強過ぎる光を放っていた。


「良修、お前は今の魔法使いの置かれた状況をどう思う?」

「それは……」


 良修は答えようとして、雲城が『魔術師』ではなく、『魔法使い』と問い掛けたことに気がついて、求められているのは当たり前の答えではないのだと覚り黙り込んだ。


「俺は生まれながらの魔法使いだ。今と違い、六十年以上前は魔法物理学も確立しておらず、魔法使いは迫害の対象だった。どれだけ苦しい思いを、悔しい思いをしたことか。まあ、迫害した奴らは俺の天賦の魔法『邪眼』で、きっちりと型に嵌めてやったがな」


 良修を身震いが走る。雲城の『邪眼』は良く知っている。相手の意思の自由を奪い自在にコントロールする精神感応系の魔法だ。その魔法の被害者と有り様は何度も見たことがある。事前に知識があり意志を振り絞って抵抗しない限りは気がつかない内に支配されてしまう。雲城が魔術協会で絶大な力を振っていたのもそれがあったからだ。自己の利に聡い者や、自分勝手な者が多い魔術師をうまくまとめて組織を育ててこれたのも、雲城の功績だった。それを良く知る良修は震撼と共に深く納得していた。


「その頃と比べれば、確かに魔法使いは社会的地位も改善しており、酷い差別を受けることもない」


 意識してではないのだろうが、良修を睨みつけるように語る。良修は黙って聞くことしかできなかった。


「だが、実際はどうだ。職業選択の自由はほとんどない。児童は思春期を迎えると強制的に、魔法適性を診断される。魔法親和性の高い児童は否応なく、魔法専門学校に送り込まれその能力を開発される。揚げ句の果てが、エネルギープラントで部品の一部としてその人生をすり減らす。

 かわって、希少な先天性の魔法使いは省みられることもなく、その希少な才能を活かすこともなく、無駄に人生を過ごすだけだ」


 雲城は天井に視線を向け、誰かに向かって言葉を投げつけた。


「誰かが言った。今は魔法の時代だと。確かに現代社会は、魔法使いなくして成立はしない。だが、それを支える魔法使いは幸せといえるだろうか。魔法使いが魔法使いとして魔法使いらしく生きられる世界はどこにある」


 コーヒーを持ってきた職員が応接から出て行くと雲城は続ける。


「俺は魔法使いがその本当の力を振るえる世界を作りたかったんだ。『並行宇宙論とエネルギー非保存』は、魔法のもっていた『エネルギー保存則を破れない』という制限を解決できた。だが、手に入れたエネルギーを魔法そのものの行使に転用することができるのはいまだ微々たるものだ。

 俺は知っている、『矢野』やその仲間がその当時、いまだ実現できていない強度で魔法を行使してたのを。俺は知りたいのだその方法を、そうすれば俺の邪眼を持って社会のシステムそのものを変えられるはずだ」


 雲城の瞳から暗赤色の光が漏れ出る。本当の光ではない、魔法感受性を持つものにはそう見える。『邪眼』と言われた由縁だ。彼の精神操作系の魔法は、脳のシンメトリオン感受性を媒介として他人の意識に干渉する。一般の魔法が物理世界に干渉するのに対して、雲城の魔法は人間の内的世界に干渉するのだ。


 良修は想い出していた。この人は最初からこう云う人だった。あの時も、あの時も、あれも、昔雲城の部下だった頃にその場に居合わせた。少なくもないし、楽しい思い出でもない。

 良修は訊くんじゃなかったと後悔していた。

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