月光

ぜひ、聞きながら読んでください。とのことだったのですが、単純にBGMという側面を持ってしまった曲で小説が美化されてしまうのが嫌だったのと普通にプレミアムに加入してなくて、今これを書いているスマホでバックグラウンド再生できないので先に聞いてきました。

ついでに感想もメモしておきます(批評を書くときに意識しながらやるためなので読むときはあんまり気にしなくていいです)。


第一楽章は、時間帯もあって寝落ちするかと思いました。静かな感じで時折少し起こされる、そんな感じの睡眠導入BGMみたいでした。


第二楽章はいきなりぴょん、ぴょんとステップを踏むような軽快なリズムが耳に心地よかったです。ディズニーの白雪姫に出てきたウサギを思いだしました。


第三楽章はスピード感がありすぎで切り替わったとき第一から第二より驚きました。運指とか絶対物凄く難しいんだろうなって思わせられる勢いと押し寄せる荒波みたいな圧にやられかけました。あと第一が聞こえづらくて音を少し上げてたせいで耳を悪くするかと思いました。激情に近いタイプの感情を感じました。


それから、第二入ってた辺りでコメントを眺めてたんですが、なるほど特定の誰かに捧げる系の曲だったのかと。逸話自体は少し聞いたことあるような気がしました。


以上の前提を良く噛み砕いた上で、始めましょう。

『前奏曲へ』

関係ないけど、同年代の書いた小説と明確に認識して読む機会無いんでわくわくしますね。あと大学受験頑張ってるんですね。僕より勉強してて偉いですよ誰ですか受験期にのんきに批評企画立ち上げてるやつは。


『 僕と彼女が出会ったのは、互いに小学3年生の頃だった。2人にとって、初めて参加したピアノコンクールだった。結果は2人して散々だった。だけど僕は、その時初めて他人の弾くピアノに魅せられたのだ。


 ピアノに正解はない。楽譜はあれど、それらはすべて演奏者の解釈に委ねられる。ベートーヴェンは何を思い、ここにクレッシェンドを用意したのか。何を思い、ピアニッシッシモを用意したのか。僕らは作曲者ではないから、その楽譜に作曲者がどんな思いを込めたのか、想像して弾くしかない。


 けれど、それが楽しい。自分が楽譜を解釈するのも、また他人が解釈したピアノの演奏を聴くのも楽しい。僕は小学3年の頃から、ピアノの虜だった。


 そんな僕が、初めて味わった感覚。それが、彼女の弾くピアノだった。音粒ははっきりしているのに、どこまでも繊細で、それでいて鮮烈な、光の中にいるような。“月光”は短調の曲のはずなのに、彼女のピアノはどうしてこんなにも、軽やかな音を放つのだろう。』

綺麗な文章です。基礎的なことは言うまでもないでしょう。ただ、段取りが少し悪いと感じました。

『その時初めて他人の弾くピアノに魅せられたのだ。』こう書くのなら、なるべく地続きになるような形でその聞いたピアノの感想を書くべきだと思うんですよね。んで、その次は良いんですよ。まだ繋がる気配があるので。


『けれど、それが楽しい。自分が楽譜を解釈するのも、また他人が解釈したピアノの演奏を聴くのも楽しい。僕は小学3年の頃から、ピアノの虜だった。』

これがね、あんまり良くない。流れを断ち切っている。ここに敷かれているべきなのは(べきなんて偉そうなことを言いますが)「初めて魅せられた他人の弾くピアノの音色」までに繋がる布石なんですよね。その流れをこの文章は断ち切ってしまっている。いきなり自分がピアノの虜だったと語りだして自己完結してしまっている。だから、次への繋ぎも若干強引とも取れる『そんな僕が、』…まぁ、悪いとは言いません。僕だって普段からそこまで段落ごとの繋ぎ考えて書いてる訳じゃないし、メタいこと言わせて強引に繋いだりするし。ただ、僕は少しここに違和感があると思う。通常気にも留めないくらいには読み手の意識を止めていると思った。


あと、

『高校生になった今も、僕は彼女のピアノに心を奪われたままだった。』

ここは現在も続いてるんだから、ままだ、なんじゃないかって思う。正直時制全然詳しくないし過去でも意味通ると思ったけど、なんとなくそっちのが適してる気がする。根拠はないです。


『第1楽章へ』

『教室の机の中に手紙が入っていた時は、……いや、正確には手紙を書いたのが彼女だと分かった時は、本当にびっくりした。』

いつも文法は感覚でしか指摘できなくてすまないんだけど。なんとなく~時は、~時はの繰り返しともう一つくらいの要素が気になって。

『教室の机の中に手紙が入っていた時、……いや、正確には手紙を書いたのが彼女だと分かった時は、本当にびっくりした。』

『教室の机の中に手紙が入っていた時は、……いや、正確には手紙を書いたのが彼女だと分かった時、本当にびっくりした。』

なーんとなく、どっちかの「は」消した方が僕の気分にはしっくり来る。根拠はないです。


『最初は目を疑ったけど、でも僕はこれが彼女からの手紙であることを確信した。』

けど、と でも、では意味被らない?ってのと、

目を疑うってのが不適当ではないかという印象を受けた。

いや、そもそも、

『手紙にはこうあった。』

これが嫌だわ、うん。

他の批評で言ったけど、「する」「した」とかって安易すぎるって話で、これは「ある」っていう安易なパターンだなって。

「ある」自体を使っちゃいけない訳じゃないけど、「俺は運動する」と「外に出る前に手袋をする」っていうするの違いみたいな。

林檎があるとかの、実在を意味する「ある」じゃなくて現状を漠然と描写するための「ある」が許せないっていうか。書かれていた。とか、世の中にはそういう表現があるじゃない?

しかも、これを使うことによって字がどういう特徴を持ってるかも表せる、わぁすごい。

『手紙には、やや几帳面な字で一筆したためられていた 』

みたいなね。例えばだけど。


あとね、思ってはいたんだけど。この手の文章では過去より現在形のが臨場感出て良いと思うの。もっとも、過去形主体の小説だってあるし、別に趣味嗜好で勝手にやってろよって話でもあるんだけど。

『 彼女はそう言って、演奏をやめた。音楽室は、しんと静まり返った。』

より

『 彼女はそう言って、演奏をやめる。音楽室が、しんと静まり返る。』

の方が好きって話ね。あと、僕的には、もう魔改造になるし、あんまりやると失礼になるけど。


『 そう言って、彼女は鍵盤から指を離す。音楽室がしぃんと静まり返って、元あっただろう夜の静けさが帰ってくる。』


みたいな方が好きだわぁ。何かね。文章全体悪くは無いんだけどね。これまた別の批評で言ったように、一般化された動詞の包容力に頼りすぎ。単なる動き、行動の描写で華が無い。まぁ、飾らない小説なのかもしれないけどね。僕には単純に作者固有の表現が足りていないんだと思うかな。


そのせいで、文章自体は確かに整然としているけれど、魅力がない。想像を膨らませる余地を奪われている。描写量が足りていない。もっと執拗に描写した方が良い。どうすれば綺麗な文になるか。かっこいいか、美しいか。何にしたって、読者の想像する余地を奪ってしまうような文は駄文だ。まぁ、決して作者を否定したい訳じゃないよ。ただ、あなたの文に曲から伝わってくる固有の要素とリンクするような描写はありますか?


単に状況の解説ができることと小説を書くことは違う。ライトノベルだったらそれで許される箇所が大いにあることは認めよう。でもさ、これは曲の名を冠した小説だ。曲そのものの解釈を伝えなければならない、ならないとまでは言わないけど。それを求めて書いたかは知らないし。

でもね、『前奏曲』の方で思ったけど指摘しないで良いかと流した箇所があって、それは彼女ちゃんの演奏の描写なんだけどなんだかふわふわしていて、でもまぁここで妙な比喩使ってもな、と流したんだけど。


例えば、光のようなと言ってもその解釈は千変万化って話をしようか。彼女ちゃんの演奏の比喩にあったからね。さて、どんな光なんだろう。

勿論月光なのだから月の光でしょ、って思った?

思わなくたって良いけど、実際タイトルでいくらでも解釈なんて変わるみたいな話もしてるし、例えば月光から太陽光のようなものを感じ取ったかもしれないってことで。まぁ、そこは一旦それで良いとしてよ。この手のWEB小説界隈には有象無象ごった煮の物書きがいるわけです。そんな中僕に出会えたことに感謝して?…とは言わないけど。まぁ、茶番はいいから説明するか。


君たちがどんな小説を読むのか僕は知らないけど、君たちはよく安易な比喩ばかり持ってくるよね。使い古しの、コピペされすぎた何かしらをさ。もちろんそうじゃない人間もいるけど、でも大抵はそう。自分が発明した訳でもない比喩を捻りなく使って悦に浸る。せめてアレンジしてればいいんだけどね。先人が一度も似たようなものを使ったことない比喩使えなんて余程最近発明された何かに無理やり例えるんでもしなきゃ誰もできないだろうし。


でもね、君たちが安易に使った光のような、には。

『朝、目が覚めてふと窓の外を見たら目を刺した眩い光』の意味もあるし、

『夜道を照らした電灯を直に飲み込んだような不健康そうな光』だってあるわけですよ。

一重に光じゃ言い表せんね。だからね、比喩表現を学ぼう。比喩が美しい小説なんていくらでもあるからね。そこから学びとって、なるほど、こうすれば文章は美しいんだと思おう。ラノベに比喩はいらない?そんなことないさ。ほんの僅かな、しかししっかり選びとられた比喩でそれ無しでは想定できなかった豊かな情景だって浮かぶもの。


まぁ、長々と自分の趣味的な部分を語っただけになるけどね。綺麗な表現って大事よ本当に。

いや、さっきの言い方だけだと、さも僕が自分の書いた僕の頭の中では素晴らしくてお綺麗な文章を褒め称えている。そんな解答が導き出される場合もあろうけど。でも、本当に大事なのよ。


ただよく使われているだけの読みやすさが綺麗に見える描写じゃ駄目とまでは言わないけど足りないのよ。もっと傷を残したいでしょ?読者には一生想ってもらいたいじゃない。その点、安易な表現じゃ表現そのものがしっかり覚えられるなんてことにはならないと思うな。そこを覚えてもらいたいかはともかくとして。


じゃ、次いくけど。


『第2楽章へ』

曲の形式なぞってるわけだから何か書いとくべきだとは思ったけど特になんもなかったです。そろそろ寝たいです。

強いていうなら原曲の第二楽章は第三楽章と違って跳ねるような明るい印象を受けたので(弾き手の問題かもしれませんが)この内容でいいのかは疑問に思いました。


『第3楽章へ』


『「死は、みんなが言うほど悪いことかな? 私はそうは思わない。食べたり、寝たり。死はその延長線上にある。死こそ、生命の営みだと思う。生きているから死ぬ。死とは、生の象徴だ。後ろめたいことなんか、何もない。死んでみて、やっと分かったんだ」』

今日読んだ(確か二度目でしたが)木漏れ日に泳ぐ魚とこの前読んだノルウェイの森にも似たような話が出てきました。死について考えるのは誰でもやっててなかなか興味深いのですが、

死は生の一部として存在している、みたいなことをどちらの作品も言ってて面白かったです。

そういうの、読んでみるといいと思う。考えに深みを持たせることもできるし、何より面白いから。


あと、深夜を言い訳にして言わせてもらうと。

深夜なので冷静な瞬間とそうじゃない瞬間があって、比喩の話はある意味では僕の考えだけど、作風として淡々と描写すること自体は悪くないからそのままで良いとも思う。僕的には比喩系練習してもらいたいけどね。


つまり何が言いたいって、第三楽章面白かったぞってことだけど。現状批評した中ではそもそもトップクラスの満足度だからね。


まぁ、比喩系は魅力の再開発的な意味で、没個性的にならないように、方向性を定めるために色々手をつけるものだけどね。


最終話に関しては特に言うことないです。概ね言いたいことは言ったし。

あと、もう一つの方も見に行った。

こっちは企画の範疇じゃないし、面倒だから感想は「普通に面白かった」とさせて貰う。

実際面白かった。あぁいうイフ世界みたいなのに弱いんだマジで。だから、作風は変える必要ないと思うけど、でも暇だったら比喩とか綺麗な表現模索しまくった何かしらを書いてみてほしいわね。そういう挑戦大事。


『まとめ』

それで、纏めますと

「話の構成、テーマ、キャラクターともに多少の粗は残るものの総じてレベルが高く、もうぶっちゃけ僕が無理に批評する必要なんて無いんでない?と思った、実際みんな面白い面白いって読んでるし。今回は僕も同感ではあるし。ただ、テーマとして取り扱っていた曲らしさがあるかと言われると僕は少し物足りなさを感じたっていうのと、比喩比喩繰り返してるけど、それだけでもなくて作家固有の表現を見つける必要があるという印象を抱いた。また、表現も~した。~た。とか、それだけでもなく全体的に単調な箇所があって(普段の僕ならここで短調ではなく、とかいうところだけどって言うのを…堪えられなかった)文章表現としての領域にあるかと言われるとまだまだという感じがした。まぁでも上手い。頑張れって感じ。今んとこあんたが最強だぞ」

って感じです。

読みやすいのは助かるのでシンプルに嬉しかったです。あと感想の字数が最長になりました。今3:00です。これで起こされたら睡眠時間三時間になっちゃう。誰か責任とって僕の体をしっかり休ませて?


それじゃ、以上です。

企画への意見、ここをこうした方が良いんじゃないかとか、言い過ぎじゃない?とか、もっとここ指摘して欲しかったとかあればどうぞ。

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