黒の教会

じゃあ、始めましょう。


『00 十二世紀の月は赤くへ』

僕の書くプロローグと同じで解りにくさが前面に押し出されすぎだから、本人が満足しているなら良いんだけどこれを一番目の話に持ってくるのはいきなり読者の厳選を始めてしまうような結果になるかもしれない。


あと、表現の話をすると若干陳腐さに寄っているかと知れないとも思う。既に一般化された名称の組み合わせでしか表現が成立していないから意外性が無い。凝った表現における魅力って「へぇ、あんたはこの現象をこういう風に捉えたのか 」っていう驚きとかだと思っていて、だとすれば

例えば、


『薄紫の空には漆黒混じりの満月が、ふたつぶら下がっている。』


こういう表現は既によく知られた、そして同時に一般化された色彩で表されているから。難しい表現というより、難しい漢字を使ってみたかった人に見える。


情景としてもちょっと変な色の月が二つあるだけで、割合簡単に想像できる。想像できるってのは悪いことじゃないって思うかもしれないけど、できるってことはそこで停滞してしまうってことだから、こういう意味が裏にありそうだが表面的には陳腐になりがちな文章においては、想像の余地が残せるような、構成するワード自体は在り来たりで理解できても纏めて読むとその正確な意味が掴みづらいくらいの表現を混ぜた方がいいと思う。


例えば、冷たい炎、みたいな…まぁ、これはよく知られたレトリックだけど、見聞きして何かしらの想像力を刺激するような描写がこの手の意味深な文には必要だと思う。


かっこいい描写をしたかったのかはわからん。

そして、その場合ある意味では成功しているようにも見える。だけど、この類いのまぁ若干グロに寄ったというか、終末感に溺れちゃってるような文章はそれだけで陳腐に見えがちだから単純にやるとまぁ、所謂厨二病だのなんだの言われたりするわけで。それを予防するためにも、あんたはこれを何かしら感心させられる要素のある「文学」にしなきゃなんない。


それが足りなくて、単なるグロや終末感を描写しただけに見える。だから安っぽい。


…まぁ、ただ。やればいいってもんじゃなくて。そう、これがレベル5くらいだとして、文学にするとなると少なくともレベル10、最悪レベル50くらいの調和を要求されるから表現を取り入れることだけ考えてれば素晴らしくなる訳でもないってのは問題だよね(数字は適当)。


『01 幻覚へ』

で、本編に入ってみて思うって話だけど。描写は上手いと思うよ。僕はこの手の描写できないから結構羨ましいね。まぁ、海外の作家の和訳本とか読んでる人が書くような文章って感じだね。或いはゴシック小説とか、読むんじゃない?

まぁ、どうでもいいが。


そこまで文章の方に指摘するようなことがあるわけでもないから、適当に感想だけ述べておくけども。まぁ、現代人の、とりわけ若者は物好きしか(プロフィールに学生って書いてあった気もするが)読まないような文章だよね。最近ではあまり見られなくなった『聖書的』『神話的』な例えが多く見られる。ただ、この手の表現はさっき言った通り陳腐化しやすいからどうかとも思うんだけどね。ただ、これはそういう作風だろうから通常の描写においてはあまり気にしないことにしよう。


まぁでも、しっかり良くできているとも思うし別の批評で指摘したように世界観の読み込みが浅い、ということもない。描写も細かく、それぞれが世界観を構成するパーツとして上手く機能しているように思える。


ただ、それはそれとして。表現に格好つけすぎのきらいがあって、好きなやつは好きなのかもしれないが僕にはあまり意味を感じられない表現がいくつかあったかな。他の批評で一般化された動詞について話したけどこれはその逆で、そこまでする必要の無いところまで不要に難しい表現を使おうとしている。そんな印象を受けた。

より嫌な言い方をすると表現の難解さに酔っている。

『近づき、口火を切る。』

例えばこれとか、話しかけるで良かったじゃんって話ね。やっぱり読者あってこその小説だから意図してならまだしも、こんな一日常の描写で読者の思考を止めるような書き方はよろしくない。


日常でその動作に当てはめないような表現をわざわざ持ってきて悦に浸るのは勝手だけどね、意味なく読者を突き放すのはどうかと思う。まぁ、望んでやってるならそれでもいいけどね。


『02 その先へ』


『空気と一緒に吐きだした息には、まだ鬱屈とした気が混じっていた。』

鬱屈のルビ、間違ってたよ。

関係はないけど、ルビをここまで細かく振ってあるのはかなり親切だし良いことだと思う。たまにいるからね、読みたかったら調べろ、みたいな勘違い系物書きが。


『そのとき心臓な奥に妙な高鳴りを感じた。』

誤字。


ひとつ、一話と二話で雰囲気が全然違うところが気になるね。単純に比喩が減ったってのも大きな要因だろうけど。一話の情報量が気に入って読み進めたような人は拍子抜けするかもしれない。

一話は執拗な比喩が好みを分けるところもあったけどそれはそれで成立してたのに対して、二話はちょっと全体的に足りない印象を受けたかな。


或いは一話で受けた、どこか俯瞰するような描写から二話では一人称的な側面の強い描写に変わったからかもしれない。

一話は動作を描写するのがメインだったけど二話では少し主人公の考えが描写に出ちゃってから。

どっかの誰かが小説は心情じゃなくて動作を描写して心情を想像させるようなものだ、みたいなこといってた気がするけどそんな感じ。主人公の性格は直接的に描写するのではなく、台詞や動きで描写した方が良かったかもね。


『まとめ』

そんじゃまとめると、

「作品全体から作家性は伝わってきたし、作風も見え始めている段階ではあるだろう。しかし、難解な描写に頼りがちな場面が多く見られ、どれくらいの描写がそれぞれの場所に適しているかあまりわかっていないような印象を受ける、また、自分の作風の性質を十分に分析できていないのか(もっとも、それができる人間なんてそうはいないけど)、あまり徹底していないような印象も漠然と受けた、技術面ではさほど言うこともないが今一度己の作風の魅力について見つめ直してみてもいいんじゃないか?」

って感じ。どうかな?

僕としては指摘したことが正しかったかそれほど自信はないんだけど。まぁ、参考になればいいとは思うね。


じゃ、以上です。

企画への意見、ここをこうした方が良いんじゃないかとか、言い過ぎじゃない?とか、もっとここ指摘して欲しかったとかあればどうぞ。

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