晴れ晴れり

 空は青いと思い知らされるような晴れの日に、私を呼び止めたのは覚えのある声だった。辛うじての聞き覚えだけどね。


 見慣れたブレザーがこっちを向いている。


 おかしな話だ。


 通学の電車を見知らぬ駅で切り上げた私が、同じ学校の制服に呼び止められるなどと、それはまったくおかしな話だろう。振り返った先に立つ人物があんまり湿気た顔しているから驚いた。


 青を背にするには不相応だと思った。緩い下り坂を先行く私が見上げるその男子は、随分とちぐはぐに見えたのだった。


 問答は少しだけ。私がどこに行くのかなんて私だって知らないし、お昼までたっぷり時間がある今、料理屋だなんてそれはない。妥協の喫茶店はチェーン店だと言うし、私は渋々とよく知るブレザーの背中を追うことにした。


「どのくらい? 距離」


「学校行くよりは近い」


 道中には意味ある言葉はなかった。私にも緒方にも。空が全部青く染めるから、それでよかったのだと思う。


 青すぎて青すぎて、ぐちゃぐちゃに青くなるよりずっといい。


 まるでこっちを振り返ることをしない緒方と2mの間隔を保ったまま、私はスマホを手に取り見遣る。とっくに愛着を抱いているケースは赤いのに、これが知らせる何もかもがひどく青いから、私は衝動的に一歩踏み出したのだ。


 どんな顔をしていただろうか。今みたいに眉間に渓谷を生むような表情をしていただろうか。


「いつ、私に気付いたの?」


「さぁ。いつだったか。覚えてないな」


「それは記憶力に大問題があるんじゃない?」


「だいじょぶだいじょぶ。今んとこ死活問題にはなってないから」


 なるより前にはどうにかした方がいいと思う。と言えなかったのは、目的地に到着したから。たしかに学校よりずっと近かった。


 店内は閑散としていて、それはまぁ当然なんだろうけど、兎にも角にも目立ってしまうから冗談に誤魔化したことはどうも緒方には通じなかったらしい。あるいはすかされたのか。おかしくって変な声が出たのだけは不覚だった。


 何が不覚なのだろうか。よく見られたいのだろうか。


 この関係希薄なクラスメイトの男子にさえ? 誰にも?


 レモンティーが酸っぱくて助かった。顔には出なかったはずだ。


 天気がいいから散歩したくなっただのと。見え透いたものの隙は、たぶん突かないでいてくれた。私が空の青さのせいにしたものの答えは晴れのうちには見つからないはずだから。


 私は安心して緒方にいつも通りで接した。いつも通りの私ということ。


 男子なんて、興味がなければないほど気安く話せるものだ。


 それがどう見られるかは別として。


「二倍。私が今日払った分の二倍ね?」


「俺が飲んだ分の二倍な?」


 手持ちがないという緒方との交渉は私が優位である。


「そう。それじゃあ残念だけど、私のお財布の紐は絞っておく」


 私が小さく首を横に振ると緒方はめちゃくちゃいい顔をした。ギリギリと歯を食いしばるような苦渋の表情だ。


「わかった。これの二倍な、二倍」


 レシートを摘まむ緒方が小声で漏らしたちくしょうは聞かなかったことにしてあげようじゃないか。


「ただ俺にも色々あるから、すぐには無理だ。そこは許せ。あと現金渡すのは悔しいから奢りな」


「はいはい。小さい男は大変だねー」


「いやぁ、誰でも渋ると思うがなぁ」


「そうかもね」


「そうでしかない。あと三分の一か。大事に飲もう」


「私はおかわりしよっと」


「待て? 確認するけどそれはノーカンよな?」


「どーっちだ?」


「俺は俺が出来た男じゃないと知ってるんで、もちろんノーカンだと信じている」


「この前ドラマで言ってたの。裏切りは女のスパイスだって」


「甘いものの方が好きです」


「知らない訊いてない興味ない」


「知って訊いて興味持って?」


「考えとく」


 嘘だけど。どうせそれもわかっているのだろう緒方は口で言うよりずっと薄情に手を振っている。席を離れる私を見送る調子はあまりに軽い。腹が立つからドーナツも追加だ。


 すっかりお腹いっぱいになったので、さすがに勘弁してやろうということで店を出て、さてじゃあどうするという問題に直面してしまう。


 学校なんてとっくに行く気はない。私は半ば晴れた気分のままに散歩を続けるつもりだし、続けるつもりしかなかった。


 だから緒方があっさり私には存在しない選択をした時に、いつも通りが出来たかは少しだけ、少しだけ自信がない。


「また明日」


 青に戻る背中に、別れ際の言葉をもう一度投げかけてみた。


「ばーか、明日は土曜日だっての」


 自分だって今になって気付いたということは棚上げして眉を顰める。制服が見えなくなるのを見届ける。


 なだらかな上り坂の先は青空だ。みんな青になる。


 明日は晴れではないはずだった。


 私は踵を返して歩き出して、はたと思い至って振り返る。


 明日はきっと、何もない。


 明日じゃないいつかには、今日と同じように緒方とお茶でもするのだろう。


「約束なら、守らなくっちゃか」


 とっくにそんな気分ではないから、私は明日も散歩したいと思うのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

晴れ晴れず さくさくサンバ @jump1ppatu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る