晴れ晴れず

さくさくサンバ

晴れ晴れず

 空は青いと思い知らされるような晴れの日に、擦れ違ったのはよく知った制服だった。


 見慣れたブレザーが俺の横を通り抜けていった。


 おかしな話である。


 登校のために電車に乗ろうとする俺が、同じ学校の生徒と行き向きを違えるはずがない。乗る俺と入れ代わるように降りるやつなんて、それは眉間に皺を刻んでしまうに決まっていた。


 ここから学校まで歩いて歩けない距離ではないが、どうしたって遅刻は確定。というか俺でもギリ。いまからこの電車に揺られ、学校最寄りで降りて徒歩三分が最短かつ滑り込みで間に合う最終ラインだ。一年以上もそれで登校している俺が言うのだから間違いない。


 ドアが閉まりますとアナウンスが聞こえる。


 このまま素知らぬ顔でイヤホンでもつけよう。席は空いているけれど立ったまま。青空と街並みが流れる車窓に仏頂面を映そう。


 そうすればきっと、昨日と同じ今日がはじまる。


 ドアが閉まりますとアナウンスが聞こえる。


 素知らぬ顔で一歩踏み出していた。


 窓越しじゃない青と街の灰色に仏頂面を作る。


 行き向きを同じくしようと思ったわけじゃない。気が付いたら勝手にそうなっていた。


 俺はがっつり一発、ため息をホームに落とす。見える範囲に人影は二つのくせに、のがした電車の音がいやに大きく聞こえた。


 だからたぶん、まだ気付かれてもいない。


 ブレザーの背中は足取り軽く階段を昇っていくから、たぶんはいらないだろう。


 行き先を同じにしてみた。


 改札を出たところで、堪え性のない俺は見知った後ろ姿に声を掛けた。


「おーい進藤」


「おお?」


 よくよく知ったそいつは振り返って少し目を見開く。驚いたことだろう。俺もだ。


「どこ行く気だよ」


 ありきたりな質問には知らない顔が返ってきた。


「どっか」


 知らない笑顔だ。空より青いし、空より遠い。かもしれない。進藤由華というクラスメイトについて俺は実のところ大して知っちゃいない。ただのクラスメイトだしな。ぶっちゃけ友人未満だ。


 だからまぁ、道連れには丁度いいんじゃなかろうか。


「ここ、俺の地元なんだ。美味い飯屋知ってるぞ?」


 進藤は幾度も目を瞬かせた後、また知らない笑みを浮かべた。


「朝ごはん食べたばっかだよ。おいしい喫茶店とか知らないの?」


「生憎とそういう洒落たとこには無縁でな。喫茶店がいいならチェーン店なら知ってる。どっちがいい?」


 いよいよ笑声まで出てきた進藤は目元を指先で拭ってから一歩、俺の方へと近づいた。つい今し方に俺と進藤が捨てた9kmより価値ある30cmだと思う。


「チェーン店で」


「了解」


 並びはしない。俺が先導する形で少し歩いて、誰でも知ってるような看板のドアを潜る。


 先に注文と会計を済ませて、店員には若干は訝しがられ、けれどそこは不干渉社会、直接には何を言われることもなく俺と進藤は向かい合って椅子に腰を下ろすことが出来たのだった。


「どうする? 絶対噂されてるよ?」


「どう見てもサボりだもんなぁ」


 堂々、制服姿で平日九時前の喫茶店にやって来たのだから、多少の風聞は覚悟の上である。


 通報だけは勘弁な。


「ンふふ」


 進藤は妙な含み笑いを零した。こう言っては何だが、若干の気持ち悪さはある。


「それで、どういう風の吹き回しで途中下車なんてしたんだ? ぶらり、旅にでも出るのか?」


「それはつまんないなぁ。あ、緒方くんがって意味でね」


「その補足はいらなかったな、俺的には」


 緒方くんこと俺にはクラスの女子につまらないと言われて喜ぶ趣味はない。普通にダメージ負っただけ。甘いミルクティーがしょっぱい気さえしてくる。


 心の涙が舌にも広がる俺の正面で、進藤はドーナツに齧りついて花咲く。何度か見たような顔は実に実に満足そうだ。


「はぁ、おいし。余は満足じゃ」


 満足らしい。


「学校サボって食べるドーナツ最高」


 明け透けだし。


 しばらくは進藤の小腹具合を優先し、てかお腹空いてないとか言ってた割にドーナツ二つぺろりといったなとか思いつつ、俺はカップの中身を半分ほど減らしておいた。


「なにか文句でも?」


「いやないないない。好きに食べなよ」


 間に進藤の疑りに遭いつつも互いに心落ち着ける時間は取れたと思う。


「それで? 言いたくないなら別にいいけど」


「ほんとにどうでもいいなら訊かないよねー」


 進藤の言う通りだ。俺自身の勝手な判断とはいえ、共に無断欠席を決行したわけであるから出来ることなら大まかな事情くらい知りたかった。


 進藤が目線をレモンティーに落としてくるくるとスプーンで掻き混ぜれば黒い旋毛がよく見える。なんとなく、見ていてはいけない気がして俺は視線を逸らした。窓の外は青色あるいは灰色。


「特に理由はないんだよね。いい天気だから、散歩したくなったの」


「それはわかる」


 共感はする。こんな晴れた日には何も考えたくなくなる。俺は深く頷いた。


「そっちはなんで?」


「なんとなく」


「だよね」


 進藤が小さく笑う。


「あんまり喋ったことないよね。そういえば下の名前も知らないや」


「知也だ。緒方知也」


「ほお、知也くん」


「緒方でいい」


「じゃあ緒方くんで。いままでと一緒か」


「そうだな。何事も変わらないのが一番だ」


 進藤が少し眉を寄せる。どんな感情でそうしたのかはわからないし知る気もない。


 特に追及があるわけでもなく二人してカップを手にする。


 喫茶店に、席は窓際、対面にはクラス一のかわいい女の子。サボり。左半身に浴びる日差しは麗らか。いっそ非現実的なほどの青い時間だ。


 俺はゆっくりとカップをテーブルに戻した。


「そういえば俺いま金ないんだった」


 非現実的というか現実逃避したい事実を思い出しただけだったりする。


「とりま立て替えてくんない?」


 進藤が眉を寄せる。今度はわかる。


「呆れた」


 ですよね。


「いいけどさぁ、私もお金持ってなかったらどうする気?」


「ダッシュで家帰って金取ってくる」


「いってらっしゃ~い」


「まぁまぁそう言うなって。最悪はそうするけど、出来れば家に戻りたくはない。お袋、たぶん家にいるんだよ。だから奢って?」


 進藤の眉はもう寄らない。じっとり細い目で見られる。俺のお茶目なお願いポーズを気に入ってくれたのだろうか。


「はぁ。倍にして返してね」


「それはちょっと悪徳すぎない?」


「そっか、三倍がよかったか」


「に、二倍で勘弁してください進藤様」


 お茶目成分は蒸発させて、テーブルに額がつくほどに誠意を示す。それでなんとかお許しいただいた。いつかは今日のミルクティー代を倍にしてお返しする。いつかは。


 これ以上負債を増やすわけにはいかないからと店を出て、さてじゃあどうするという問題に直面してしまう。


「学校行く?」


 定期券を入れたケースをひらひらとさせながら進藤に提案してみる。今からだと午前の授業を一コマくらいは受けられるはずだ。何か懲罰か聴取でもない限り。


「行くなら一人で行ってね。私は今日はもう気分じゃないから」


 青はより青く。朝より青深まった空に青以外なし。風は微風で、運ぶ匂いに混じり気はない。潮も草も土も。都会とは言わないまでも自然豊かなどとも決して言えない半端な街を、朝からずっと青い日差しが焼いている。


「そうか。なら俺は今から登校するわ。じゃあな。また明日」


「うん。また明日」


 俺たちの半端も、青ではあろうかと思う。

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