第7話 茨の道

 湯気の立つ華奢な茶器を、メイドが王の前に差し出す。王の資質にはベルガモットの華やかな香りが広がった。彼女が部屋の外に下がったのを確認し、イーサンは口を開いた。


「ウォルシンガムは役目を果たすでしょうか」


「どうだろうな」


 揺れる茶の表面をイライジャが眺め、イーサンと視線を交わす。銀色の髪を揺らしながら、彼はメイドを呼び戻すよう扉の外の護衛に伝えた。


「イライジャ様、何か御用でしょうか」


 戻ってきたメイドは、肩を振るわせていた。


「この紅茶を飲んでみろ」


「え……」


 サッと彼女の顔が青ざめる。王は口角をあげ、獲物に向かって微笑んだ。


「どうした、飲めないのか」


「いえ、私のような下賎なものが、陛下の前でお茶をいただくなど……」


「イーサン、彼女に茶を飲ませてやれ」


「かしこまりました」


 あとずさるメイドの腕をイーサンが掴む。すると彼女は喚き、その場に突っ伏した。


「お許しを!」


「衛兵に引き渡せ。依頼主を吐かせろ」


「はい」


 命令通り、イーサンはメイドを廊下に連れ出し、部屋の外にいた衛兵に彼女の身柄を引き渡す。廊下に響く女の悲鳴は、扉を閉めれば聞こえなくなった。


「どうしてお気づきに?」


「部屋に入ってきた時から様子がおかしかった」


「よく見ていますね」


「これだけ頻繁に命を狙われれば、敏感にもなるさ。それに、俺は死の気配には人一倍敏感なんだ。知っているだろう?」


 両眉を上げるイーサンに、イライジャは顰めっ面をして見せる。


「飽きないな、誰だか知らないが。手を換え品を換え、暗殺を試みてくる。で、さっきの話だが」


 イーサンの顔が曇る。


「……私は不安です。彼女の父親がいかに優秀なスパイマスターだったといえど、娘にその素質が受け継がれているとは思えません。二十歳の、単なる劇団の座長に、この重役が務まるとは……」


「彼女ならやれる」


 青い瞳は、どこか遠くを見ていた。イーサンは訝しむような顔をしながらも、主人の言葉を待つ。


「劇場へ、何度か足を運んだ。そこで俺は彼女に父親の面影を見た。堂々とした立ち振る舞い、一癖も二癖もある貴族たちを前に、一歩も引かぬ度胸。他国の劇団とも交流があり、語学も堪能だ。それに俺が質問をした時の受け答え。お前も見ていただろう? 状況を読んで、相手の意図を汲み取り、窮地においても冷静に対処できる人間だ」


「しかし、諜報組織のトップとしての資質は別物です。時には残虐な手段を行使することもあります。女である彼女にそんなことができるとは」


「アメリも女だったぞ」


「王族と一般の子女は生きる世界が違います」


「それに、ウォルシンガムの情報網はまだ生きているはずだ。彼が使っていた『道具』もまだどこかに隠されているはず。それに彼女の元には、スパイ経験者がたくさんいる。使わない手はないだろう」


 揺るがない王の意思に、白磁の麗人はため息をつく。


「……賭けですね」


「仕方がない。俺の周りが敵だらけというのはお前も知っているだろう。手駒がないのだ。使える駒は全て試してみなければならない。茨の道だ。お前もついて来れるか、イーサン」


「もちろんです。私は、我が王の世を信じていますから」


 間髪入れずにそう答える忠臣に、王は満足げに微笑む。


「まあしかし、ドレイクの件は唐突だっただろうからな。退路は塞いだが、夜逃げされる可能性もある。釘は刺しに行くとしよう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る