第6話 動き出す運命の歯車

 アルバート・ドレーク率いる空賊団、アストラム。

 泣く子も黙る大悪党。血も涙もない極悪人の集まり。


 近隣国も含めて、その名を知らない人間はいない。海を行く貿易船を狙っては物資を譲れと脅す。交渉のために取られた人質は丸裸にされ縛り上げられられる。積荷を渡すことを渋れば目を抉られ、耳や指、局部を切り落とされた。ひどい時は切り落としたものを焼き、人質自身に食べさせたなどという話もあるという。


 逆らえば皆殺し。その殺し方の残忍さは、吟遊詩人やタブロイド紙の手によって広められている。

 船長であるドレークは切れ者としても知られていた。


 交渉相手としての難易度は紛れもなくトップクラス。劇場にやってくる貴族相手の立ち回りとはわけがちがう。


 議会後、イライジャに今の話はどういうことかと問えば、応接の間に連れていかれた。


「本来こうした交渉をするのはスパイマスターの役目ではない。スパイはあくまで裏方。情報収集が主な仕事だ。しかしウォルシンガム、お前はただの劇団座長で何の実績もない。スパイマスターとして暗躍するには、時には宮殿内を自由に動き回り、議員たちと対等に渡り合い、彼らの懐に忍び込むことも必要になるだろう」


 逡巡ののち、メイは琥珀色の瞳を王に向ける。


「議員の誰もが匙を投げた仕事をやり遂げ、スパイマスターの任を務めるための土台を作れ、ということですか」


「そうだ。イカルガを救うため、ひいては民衆の幸福のため。俺の横に堂々と立てるだけの実力を示せ」


 無理難題を持ちかけられ、メイの顔からは血の気が引く。

 しかし真っ直ぐにメイを見据える王の瞳に、迷いはなかった。


 ◇◇◇


 ブラックフレイヤーズ座の前で馬車を降りたメイは、楽屋口から中に入った。薄暗い通路を進めば、メイの姿を認めたメリーが慌てて奥へかけていく。すぐに心配顔の役者たちがわらわらと楽屋から出てきて、メイの前に集まった。


「メイ、無事でよかった! 帰って来れたんだね」


 人並みを掻き分けて、ジェイコブがやってきた。座長の留守の間劇団を預かっていた重圧からか、少しくたびれた様子の彼がメイに抱きつこうとすれば、シカのような細足が横から彼を蹴飛ばす。


 ギョッとしているうち、メイは目の前に現れた美女の豊満な胸に抱き潰された。


「ああ、メイ。よかった。あんたが宮殿に連行されたって聞いて、あたし卒倒しかけたわ」


 グリグリと赤髪に顔を押し付ける彼女は、今にも泣き出しそうな様子で。メイが慰めるように背中を叩くと、体を離した。


「無事でよかった……」


 頬擦りで乱れた白金の髪をよければ、美しい碧眼に涙が溜まっている。与えられた温もりに張り詰めていた緊張の糸がきれ、メイは柔く微笑んだ。


「ごめんね、心配かけて。でもアメリア、だめだよ泣いちゃ。主演女優の顔が腫れてしまう」


「わかってる。わかってるけど。安心したんだもの。もう急に宮殿になんかに連れて行かれることはないのよね?」


 アメリアの言葉に、メイは顔を曇らせる。


「それが……」


「何かあったのね。隠し立てせず話しなさい」


 子どもを諭すようにそう言うアメリアを見て、メイは苦笑する。子どもの頃からメイのことを知る八歳年上の彼女は、劇団の中で最も気を許せる人間の一人である。


「みんなのいる前では話せない。場所を変えよう。ジェイコブもついてきてくれる?」


 脇腹をさすっていたジェイコブは、アメリアに鋭い視線を向けながら頷く。同い年のこの二人は犬猿の仲なのだ。仕事については割り切っているのか、演劇の場ではちゃんとお互いを尊重してくれているのだが。


 ウォルシンガム家の応接間につくなり、気疲れもあってかメイは椅子に雪崩れ込むように座り、背もたれに体を預けた。体は鉛のように重たく、疲れ切っていた。


 その様子を見た二人は顔を合わせ、気遣わしげに声をかけてくれる。


「それで、王の話はなんだったんだい」


 蜂蜜色の髪をかきあげながら、ジェイコブが問う。


「ねえ、ジェイコブ。君は知ってるんじゃないか? 父上が以前、どんな仕事をしていたのかを」


 メイがそう問えば、彼は顔に緊張を漂わせた。アメリアに視線を向ければ、彼女も俯いている。ジェイコブだけでなく彼女も知っているのかもしれない。


「王は、父上の代わりを務めよと仰せだ。国王付きのスパイマスター、ハリー・ウォルシンガムの」


 空気がしんと冷えたのを、メイは感じた。


 王がメイにドレイクとの交渉役を命じた時、頭に浮かんだのは、イーサンがブラックフレイヤーズ座に来た時のジェイコブの反応だった。彼はきっと父の裏の顔を知っている。メイはそう確信した。


 二人は観念したようにお互いの顔を見ると、深くため息をつく。

 眉間を揉みながら、気が進まない様子でジェイコブは言葉を紡いだ。


「ハリーが死んだら、すべては終わりになるはずだったんだ」


「どういうこと?」


「ハリーはその情報収集能力を買われ、オリバー王の命で、外交や戦争に優位になるような情報を集めていた。時には暗殺者を操り、敵対する人間を葬ることも」


 メイは耳を疑う。穏やかな人間だった父が、まさかそんな仕事をしていたなどというのは、信じがたい事実だった。


「まさか、劇団を始めたあとも?」


 自分が知らなかった父の姿を理解しようと、メイはジェイコブに問う。


「そうだよ。劇団は表の顔。その裏で情報収集のために暗躍していたんだ。アメリの治世の間は内密にイライジャ様に仕えていた。でもそれがバレて、ハリーは殺された。君にはハリーが王家の招待を断ったから殺されたと言ったけど。本当はそうじゃない。消されたんだ」


 胸の内がどす黒く染まっていく。ジェイコブの口から聞いたことで、自分の仮説が真実であったことが証明されてしまう。


「それ以降はイライジャ様とも関係が途絶えて、僕たちは劇団に専念する形になったんだ」


 震える手を握り締め、メイは尋ねる。


「それってつまり……私以外の劇団員は、みんなスパイ活動に従事してたってこと?」


「全員じゃないわ。古株の団員だけ」


 そう答えたアメリアは落ち着かないのか、ずっと手を揉んでいる。


「ジェイコブも、アメリアも……?」


「ハリーが亡くなるまではね」


 アメリアの返答に、唇を噛みしめる。つまりメイが十八歳になるまで、彼らは王の駒として動いていたのだ。そこまでの長い間、自分だけが知らずにいた。


「なんで、どうして。みんな私に教えてくれなかったの。父上は、どうして……」


 困惑するメイの頭に、宥めるようにジェイコブの手が置かれる。


「ハリーは、君を危ないことに巻き込みたくなかったんだ」


「まさか陛下が、今になってウォルシンガム家に接触してくるなんて……」


 アメリアは閉口し、頭を抱えた。

 部屋の中には、暖かな陽が差し込んでいる。本当ならば外に繰り出したいほどの快晴なのに、室内には重苦しい雰囲気が漂っていた。


「……メイ。国を出よう。劇団はどこでだってできる。諸国を巡りながら、演劇興行をして暮らせばいい。みんなわかってくれる。君がそんな重積を担うことはない」


 ジェイコブの言葉にメイは口をつぐむ。それはつまり、父が建てた劇場を、ブラックフレイヤーズ座を捨てることになる。


「そうよメイ。スパイなんて、碌な職業じゃない。常に死と隣り合わせの危ない仕事よ。まったく陛下も、どうして今になってメイに……」


 何か言おうとしたのに。メイの言葉は形にならない。

 表情は強張り、今にも泣いてしまいそうで。

 現実において行かれて、一人途方に暮れる子供みたいだった。


「しばらくの間一人にしてくれないか。部屋で一人になって、少し頭を整理したい。明日の公演前には降りてくるから」


 そう言い切ってすぐ、メイは部屋を出て、自室への階段を登った。

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