第3話 宮殿からの使者

「みんなお疲れ様! 今日も素晴らしい演技だったね! さあ、お客様にご挨拶に行こう」


 舞台上での凛々しい挨拶とは打って変わって、少女のような笑顔を見せたメイは舞台袖から戻ってくる演者たち一人一人に労いの言葉をかけていく。


「ジェイコブもお疲れ様。やっぱりあそこのセリフは変えてもらってよかった。感情がストレートに伝わる。譲歩してくれてありがとう」


 メイに話しかけられた金髪の美丈夫は、少し不満げな顔を浮かべながらも鼻を掻いた。


「今回は君の意見が正しかったってことかな。とにかく、いい舞台になってよかった。さてさて、僕たちも行こうか」


 二人は笑顔を向け合いつつ、軽い足取りで劇場ロビーへと向かう。


 上演時間が終われば、来場客の見送りのために俳優たちは退場口に並ぶ。興奮冷めやらぬ様子の観客たちが、焦がれる俳優と言葉を交わそうと入り乱れる中、座長であるメイは、貴族客の対応に追われることになる。


「やあウォルシンガム。今日も素晴らしい演出だった。物語の世界にじっくり浸ることができたよ」


「ビーグリー子爵、今宵もご来場ありがとうございます。奥様もお楽しみいただけましたでしょうか」


 優雅に感謝の意を述べつつ、メイは夫人の方へも視線を送る。


「ええ、ええ。それはもう。主役のアメリアの演技、とっても素晴らしかったわ。それに相手役のエドワードの切ない表情もとても良くて。彼、ヒーロー役は初めてなんですって? ジュピターは層が厚いわね」


「そんなふうに言っていただけて光栄です」


 メイは営業用の笑みを振り撒きつつ、何気ない会話から、最近の貴族の流行や関心事を聞き出す。


 トレンドを敏感に察知し、衣装や脚本に反映させることは売れる劇団を維持するための努力の一つ。座長として上客たちとの関係を築きつつ、こうした情報を集めるのもメイの役目である。


「やあ、君が座長だね。今日の脚本は素晴らしかったよ。さすが新進気鋭の劇作家ジェイコブ・マーロウ。まだ若いのに素晴らしい」


 ビーグリー子爵夫妻を見送った直後、ビロードの豪華なダブレットを着た小柄な紳士が、メイの元にやってきた。


 顎髭をいじりながら、脚本を賞賛する彼に対し、メイは左胸に手を当てて礼を述べる。ジェイコブを呼び寄せようとロビーに視線を送れば、彼はドレスを着た蝶の群れに囲まれており、身動きが取れないようだ。


「しかしながら、お父上の頃と比べると、正直格が落ちてしまったのではとも思いますな」


 メイは残念そうにそう漏らす男性の顔を見つめ、反抗的と取られぬよう、極力穏やかに問いかける。


「ぜひ後学のために、ご意見をお聞かせいただけますか」


 深く突っ込まれるとは想定していなかったのだろう。目を泳がせつつも、彼は観念したように口をひらく。


「いやね、女が座長というだけで、見る気が失せる人間たちもいるんじゃないかと」


「なるほど?」


「それに女だというのに男のような格好、喋り方をして。見た目だけ整えても、君は男にはなれない。自分の領分を弁えたほうがいい。劇作家の彼に座長を譲ってもいいんじゃないかと私は思うね」


 言いたいことを全部吐き出し切ったらしき紳士は、「では」と言ってそそくさとその場を去っていく。心中穏やかではないが、メイは最低限の礼儀を尽くすために胸に手を置き、頭を垂れた。薄く息を吐き、落ち着きを取り戻してから顔を上げれば。やっとやっとで蝶の群れから逃れてきた様子のジェイコブがやってきた。


「その顔、誰かになんか言われたんじゃないかい? 落ち込んだ顔をしてる」


「いや、いつものことだよ」


 苦笑するメイを前に、彼は探るような目つきでこちらを見る。


「ジェイコブに劇団を譲ったほうがいいんじゃないかってさ。女が男の格好しても、立派な座長にはなれないんだからって」


 仕方なくそう言えば、彼は形のいい両眉を吊り上げた。


「はあ? それ、そんなふうに笑って言う話じゃないでしょ」


 ジェイコブは一見遊び人のような風体の優男だが、意外に熱血漢なところがある。こうして彼が自分よりも先に沸騰してしまうので、メイはいつも怒るタイミングを失ってしまう。


「お客様がいる場だ。表情を崩しちゃダメだよ」


 両人差し指で自分の口角を押し上げ、笑顔を作れと注意をしつつ。滑らかな額に青筋を立てる相棒を、メイは穏やかに諭す。しかし彼は腹の虫がおさまらないようだ。


「メイ、君は悔しくないのかい。今夜の出来だって、決してハリーの頃と比べて劣っているとは思わないよ。むしろ最近はレベルが上がったとさえ感じてる。団員だって、君を信頼してついてきているじゃないか。ジュピターは君あってこその劇団だ」


 メイが照れくさそうに微笑めば、彼は少しだけ眉間の皺を緩めた。


「ありがとう。そう仲間から言ってもらえるだけで、今は十分だ。それに偏見をひっくり返すには、いい舞台を演り続けるしかない。私はむしろ闘志が湧いてくるよ」


 両手をぐっと小さな顔の前で握って見せれば、ジェイコブはメイの額を指先で弾く。


「痛っ、何するの」


「クマができてる」


「え」


「他劇団の舞台の視察、貴族との交流、新しい舞台装置の研究に、役者のスカウト。毎日隙間なく予定を詰めているだろう。無理しすぎじゃないかい」


 ジェイコブはメイの両頬をつねりながら、ジリジリと顔の距離を詰めてくる。


「イタタタ、痛いよ、ジェイコブ」


「睡眠時間くらい、ちゃんと取りなさい」


「今は頑張りどきなんだよ。新王は開かれた思考の持ち主だと聞いているし、きっと国は良くなっていく。この先、より多くの人々に舞台を見せる機会がやってくる。それまでに、国で一番と評される劇団になりたいんだ」


 自分の両手から逃れるメイを見て、ジェイコブは眉尻を下げ、鼻から息を漏らした。


「君は偉いねえ。僕が二十歳の時は、もっと自分勝手でやんちゃだったよ」


「偉くなんかないよ。ただ、必死なだけだ」


 そうジェイコブに返した直後、黒髪の青年がこちらに向かってくるのが見えた。観客の誘導係をしていたケイだ。


「座長、大変だ!」


 いつも仏頂面で表情の読めない彼だが、随分と動揺している。

 不穏な雰囲気を察したメイはジェイコブを連れ立ち、ケイに従ってすぐに楽屋入り口へ移動した。


「落ち着いて、ケイ。どうしたんだ?」


 ケイはあたりを伺うと、大きな体をかがませ小声で答える。


「宮殿から人が来ている。座長を出せと」


 メイとジェイコブの表情が凍る。「宮殿から人が来る」ということは、この劇団の人間にとってはとてつもない緊張感をもたらすものだった。先代座長、ハリー・ウォルシンガムの死の真相を知る者においては。


「用件は?」


 そうメイが問えば、ケイは困った顔をした。


「聞いても教えてもらえなかった。とにかく、座長をだせの一点ばりで。裏口から突然やってきて、人目につかない部屋を用意しろって。今、楽屋で待ってもらってる」


 メイはジェイコブと視線を交わす。宮殿で演劇を披露せよとの依頼だろうか。しかしそれなら、使者がこそこそとやってくる理由がわからない。


「わかった。案内して」


 まだ舞台衣装を着たままの演者たちの間を抜け、ケイの大きな背中に続き、メイは小走りで楽屋裏を歩いていく。


 使者が待っているのは裏口に近い楽屋だった。雑務係のメリーが、扉の前に怯えた様子で佇んでいる。


「メリー、ありがとう。君は下がっていいよ。あとは私が対応する」


 彼女は会釈して扉の前を離れた。ジェイコブとケイにも下がるように言ったが、ジェイコブは一緒に話を聞くと言って聞かない。仕方なく彼とともに中へ入る。


「来ましたか。遅かったですね」


「お待たせして申し訳ございません」


 鏡台や化粧品の入ったワゴン、壁にかけられた衣服に囲まれた古びた皮のソファーの近くに、来訪者は立っていた。フード付きの濃紺のローブを羽織り、口元を隠すようにしてショールを身につけている。宮殿から来たと聞いて、護衛の二、三人くらい連れてきているかと思いきや、ローブの男は一人でやってきたようだった。


 彼はメイの姿を認めると、目深にかぶっていたフードを取る。布の下に隠されていたのは艶のある銀髪だった。


 その姿を見て、メイは思わず息を呑む。


 ––––イーサン・モリス!


 白磁のような肌に、アメジストを思わせる瞳と流れるような銀の長髪。

 生まれつき全身の色素が薄い「アルビノ」と呼ばれる特性を持つこの彼の姿を、この国で知らぬものはいない。


 イーサンは国王陛下直属の事務官であり、国務大臣を務める男だ。


 彼の紫色の双眸がメイを射抜く。有無を言わさぬ圧力を持った眼差しに、メイは体をこわばらせつつも、胸に手を当て会釈をする。


「お初にお目にかかります。ジュピターの座長、メイ・ウォルシンガムでございます」


「劇作家の……」


「ジェイコブ・マーロウ。あなたのことは名乗らずとも知っています。時間がないので本題に入らせていただきます」


 白い陶器のような顔面にかかる銀色の髪をかきあげながら、イーサンはゆっくりとした足取りでメイの前にやってきた。


「ウォルシンガム、国王陛下があなたをお呼びです。即刻宮殿へ来てください」


 一瞬、彼の言っていることの意味がわからなかった。

 温度のない瞳でメイを見下げるイーサンを見て、横にいたジェイコブが慌てて前に出る。


「お待ちください、どうしてメイを……」


「本来は父親の方に用があったのですが。ハリー・ウォルシンガム亡き今、娘に出頭の義務があります」


「父に……?」


 メイは当惑した。なぜ、父に王から出頭の要請があるのだろう。一劇団の座長である父に。


 父であるハリーは一般人だ。かつて役人をしていたことがあるとは聞いていたが、王と直接関わるような仕事をしていたなどと聞いたことはない。


「そんな! 彼女は何も知りません!」


 声を張りあげるジェイコブの顔を見上げれば、血の気が引いていた。


 ––––「彼女は何も」って。ジェイコブは何か知っているの?


 怒涛の勢いで降りかかる未知の出来事に、メイは動揺を隠しきれない。


「彼女を連れていくのであれば、僕も一緒に」


「マーロウ、陛下はウォルシンガムのみ連れてこいと仰せです」


「しかし」


 帯同の許可を得ようと抗議を続けるジェイコブをメイが制す。相手は王の使い。反抗しても良いことなど一つもない。


「ジェイコブ、心配ない。私ひとりで行ってくるから。劇団の運営の方を頼む。公演を休むわけにはいかない」


「メイ……」


 父が遺した劇団を守らなければならない。たとえ自分がいなくても、ジェイコブがいれば公演はできる。メイは不安に顔を歪める彼を元気づけるように、微笑みかけた。


「裏に馬車を待たせてあります」


 イーサンに背中を押され、メイは真紅の舞台衣装のまま屋敷の裏口へと向かう。


「心配せずとも牢にぶち込んだりはしません。まあ、あなたの出方次第ですが」


「私は陛下に失礼を働こうとは思っていません」


 穏やかな愛想笑いを浮かべるメイを、イーサンは注意深く観察する。しかしすぐに目線を逸らし、裏口に待機していた御者に向けて、声をかけた。

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