第2話 運命の幕開け

 上等なドレスに、見事な刺繍が施された厚手のショール。流行りのサファイアの装飾品で首元を飾った女性たちが特等席を彩っている。オペラグラスを片手に構える紳士は隣人たちと新しい王に対する意見を交わし、立ち見席には一張羅を纏った庶民たちがひしめいていた。


 ブラックフレイヤーズ座は、円筒型の三階建て木造劇場。ここイカルガ王国首都ローゼでも一二を争う人気劇団ジュピターの拠点である。


 開演時間が近づくにつれ、観客の話題は必然的に劇団の評判に移っていく。


「マーロウの脚本は本当にハズレなしよね。美男で劇作家としての腕もいいなんて素敵」


「顔はいいけど……とんでもない女ったらしって話よ。何人も恋人がいて、娼館にもしょっちゅう顔を出しているとか」


「でもあれだけの美男となら、一夜の夢を過ごすのもいいかも」


 蝶のように艶やかな貴婦人同士のおしゃべりの議題は、もっぱら劇作家のジェイコブ・マーロウについて。肩まで伸ばした蜂蜜色の長髪、中性的で魅惑的な顔立ち、輝くようなエメラルドの瞳に、この劇場に足を運ぶ淑女の多くが魅入られているようである。


 一方で紳士たちの話題の中心は、「赤髪の女座長」だ。


「小さな劇団だけど、ローゼではここがやはり一番だな。予想をいい意味で裏切る個性的な演出もいい。座長が女に変わったって聞いて、ジュピターも終わりかと思ったけど。近年の盛況ぶりを見ると、実力はあるんだろうな」


「まだ二十歳だろう? すごいよなあ。継いだ時は十八歳だもんな。ただ、赤毛で少年のような容姿をしてるっていうのが勿体無い。これで金髪の美女だったんなら、もっと客が入るだろうに」


「おいおい、俺たちは座長の容姿を見にきてるんじゃないんだぞ」


 この劇団は、二年前までハリー・ウォルシンガムという男性座長が率いていた。彼が急逝したために、唯一の肉親である娘が跡を継いだのだ。


 夜の部は満員御礼。空のステージが観客の想像を膨らませ、波のようなざわめきを広げる。


 座席が隙間なく埋まる頃、場内を照らしていた蝋燭の光が一斉に吹き消された。


 会場は水を打ったように静まり返り、注目が一挙に舞台に寄せられる。

 暗闇の中にぼうとあかりが浮かび上がった。

 人々が目を凝らせば、大ぶりの燭台が小さな人影を照らし出している。


 ステージの上に向かって移動する唯一の光源に人々の視線が集中し、やがて壇上に現れた人物の姿を見た観客のいく人かが、口笛を鳴らした。


 燃えるような赤毛に琥珀色の瞳。

 髪色に合わせた紅いベルベットのダブレット––––首から腰までを覆う男性用の上着は、ステージに立つ女性の凛々しい顔立ちを引き立てている。


 金髪碧眼が美女の条件とされるこの国では、残念ながら評価されづらい容姿であるが。男装の麗人と言えるほどには見目が整っていた。


 燭台を頭上に掲げた彼女は、優雅に観客に向かって一礼をし、視線をぐるりと聴衆に向けながら、言葉を紡ぐ。


「紳士淑女の皆様。今宵のご来場誠にありがとうございます」


 柔らかで、包容力のあるアルト。

 彼女の声の印象を表すなら、それが適切であろう。


「本日の演目は、『王女と傭兵』。身分違いの男女の、切ない恋の物語にございます。劇団ジュピターがお届けする極上のひととき、最後までお楽しみください」


 再び流れるような礼をすると、彼女は手に持っていた燭台の火を吹き消した。闇に包まれた劇場は、突如頭上からの光に照らされる。


 驚いた聴衆が顔を上げると、天幕が取り払われ、吹き曝しになったそこには、宝石を散りばめたような星空が広がっていた。


 銀色に煌めく紙吹雪が、夜空から舞い落ちる。天に光る星が、劇場の中へと降り注いでくるかのように。


 ブラックフレイヤーズ座は、半野外劇場。

 天候が悪いとき以外は、上演中天幕が取り払われ、天からの光を照明に役者たちが演目を繰り広げる。


 誰もが口を開けたまま、その美しい演出に魅入っているうち。ステージにはオパールグリーンのドレスを纏った女優たちが躍り出た。


 ––––かくして今夜も、幕が上がる。


 本来ならばこれは、演劇の幕が上がったということを意味することになるが。

 今日に限っては、別の幕も上がることとなる。


 劇団「ジュピター」の若き女座長、メイ・ウォルシンガムの人生においては。

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