ただの水難事故
浅賀ソルト
ただの水難事故
天気はよかったが山の方では雨が降っているとかで川は増水していた。
俺達は家族でキャンプに来ていて、息子が川に入らないよう見張っていないといけなかった。
このあたりはバランスが難しいのだけど、家族でアウトドアをやっていて川に入っちゃいけませんとか虫に触ってはいけませんとやるのもどうかと思うので、足首くらいまでなら入ってよいというところを落とし所にしていた。あと、一人で川に入らないようにとも。
自分も裸足になって入ってみたが、増水しているといっても水はまだ綺麗だし、足首くらいまでなら大丈夫という感覚だった。増水というと昨今の豪雨のニュースですごい流れを想像してしまうかもしれない。この日のそれはそういうやばいものではなく、自分だったら向こう岸まで泳げるなという感じのものだった。雨が降ったからちょっと川が深いという程度のものだ。たぶん、降っていなければ小川というか子供騙しというか、水があるのかないのか分からないという程度の小さい川だったんじゃないかと思う。
キャンプ地はもちろん河川敷ではなくそこを上がった高台の原っぱにあった。川に行くにはそこからちょっとした崖を下るロケーションだ。
休日に朝から道具を車に積んで出発し、高速でひたすら移動し、途中でスーパーに寄って買い出しもした。午前中のうちにキャンプ場に着いて設営まで完了した。昼は過ぎていたがバーベキューまで準備は万端だ。日帰りだと飲めないが今日は泊まりだ。
火をおこしつつ俺は最初のビールを開けた。買い物袋の中から漬物を出してそれをぽりぽりと食べつつビールをぐびぐびと飲んだ。
「くーっ、最高だな」
トングで炭を動かしつつ、火が安定するまでせわしなく準備する。嫁も食材の準備をしていた。息子は人懐っこく、よそのキャンプ客が連れてきた犬と遊んでいる。あとで挨拶に行こう。あまりそれまでは顔を赤くしない方がいいな。
快適というにはちょっと暑いくらいの気候だったが、充分にキャンプ日和だ。俺は日差しを全身に感じながらビールの缶を空けた。
火が安定してからバーベキューが始まった。ひたすら牛肉を焼いて腹に入れる。息子も育ち盛りなので肉はいくらでも食う。俺もビールを飲みながら肉をどんどん食べていった。
嫁はチェアで落ちついているが、俺は立ったまま焼いたり次の食材を出したりと色々と進めていった。
どうせキャンプなんだからあれも食べたいあれもやりたいが渋滞して、ちょっと食べきれない量になった。残りは夕方と明日の朝という形に落ちついて、俺もやっとチェアに腰を下ろした。最初の炭はなくなりかけていた。
「いい天気になってよかったなー」
「そうだねー」と嫁。
「雨も降ったってことだけど、心配したほどじゃなかったな」俺は原っぱで走りまわっている息子を見ながら言った。かなり食べたはずなのにすぐ動けるのがすごい。
「けど、下の川って普段はもっとちょろちょろっとしているらしいよ」
「今は普通の川だもんな」
「そうそう。泳げないって聞いてたけど、水着も持ってくればよかったな」
「そうだなー」俺はビールをぐびぐびと飲んだ。「これを飲んだら腹ごなしに下に行ってみるか」
「春樹から目を離さないようにね」
「それにしても子供ってすぐ消えるな」
嫁も笑った。「そうそう。さっき地面見てたと思ったらワープして木に登ってる」
「ほんとだよ」俺は原っぱの息子を見ながら、「あいつが次に何をするか当てないか?」と言った。
「お、いいね。バッタかなー。さっきからバッタがブームっぽいし」
「俺は棒かな。次は棒がくるね」
「え? 唐突」
「前振りもなしに棒ブーム」
「棒かー」
缶が空いた。俺はそれを缶ゴミの袋に入れて立ち上がった。「よし。ちょっと腹ごなしに川で涼んでくる」
「いてらー」
俺はこっちを見ている息子に手を振った。息子は手を振り返した。
そっちの原っぱに背を向けると、川の方に向かって歩いた。ちょっとした崖になっているが、下りるための道は整備されている。バーベキュー前に一度下りたので勝手は分かっているので、俺はぱっぱと下りていった。
アウトドアサンダルを履いていたが、石が多いのでちょっと歩きにくい。
川原にもたくさんの家族連れがいた。子供も何人かいて、水遊びをしている。水着ではなくシャツと短パンのままだった。
沢のようになっていて、木の生えてないところを見ると、大雨のときにはどのあたりまで水が来るのか分かる。人の背よりは水深が深くなるようだ。まあ、それは当たり前か。
俺も短パンだったので、サンダルのまま膝下のあたりまで水に入った。
川底の石はあまり安定していなかった。なんだかんだで増水があって石が動いたんだろう。よく見るとまだいくつかの石が川底を転がっている。水は冷たく、そこそこ勢いがあった。
もっと深いところで泳いでいる子供たちもいた。泳ぐのをやめると流されるのでしんどそうだ。水もそんなに澄んでいない。
冷たいのは酔いにはちょうどいいが、向こう岸まで泳ぐというのはあまり現実的じゃないな。しかし、もっと遅くなると服も乾かないだろうし、それを考えると泳ぐなら今か。
しかし短パンや下着を濡らすのもなあ。
とか思っていると、足の下の石が崩れてバランスを崩してしまった。
「うわっ」
俺は大袈裟に手を振り回した。まだ体勢は立て直せる。倒れる先に足を出そうとしたが水中では足が出ない。
くっ。
俺は体をひねりながら川の中で倒れた。おかしな位置に石があり、まともに頭をぶつけてしまった。
ひゅっと息を吸ったときに水が肺に入ってパニックになった。
体が動かなくなり、そのまま沈んでしまった。
息子に原っぱで手を振ったのが最後になるのか?
ただの水難事故 浅賀ソルト @asaga-salt
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