第339話 はぐれ者の過去2


「女はほり十奈とうな…………この世界での言い方だとトウナ・ホリという名だった。艶やかな長い黒髪に大きな瞳、鼻筋はくっきりと通り、誰がどう見ても美人だと分かった。それでいて、常に笑顔を絶やさず、初めて会った俺にも気さくに話しかけてくれた…………彼女はいわゆる"迷子"というやつだった。その日、俺は自然豊かな土地を旅しており、ちょうど木陰で休もうとしていた。暑い夏場で蝉がよく鳴いており、あまりの暑さにアスファルト………地面から立ち昇った湯気で視界が歪んでくる程だった。そんな中、俺が手近な木に腰掛け、木陰で涼んでいると女が話し掛けてきたんだ」


皆、キョウヤの話に夢中になり、誰もが話の続きを聞きたいと前のめりになっていた。そして、そんな状況の中、シンヤだけは少し複雑そうな顔をしていた。


「新品の麦わら帽子を被り、真っ白なワンピースを着たその女は名前を告げ、自身が"迷子"であると胸を張って言った。俺はどこの世界に自信満々に迷子だと言う馬鹿がいると思い、きっと暑さで頭がおかしくなったんだろうと結論付けた。俺は言った……………"ここから歩いて、すぐのところに人里がある。俺もちょうどそこへ向かう用事があるから、ついてくるか?"と。女はしばらく黙って、俺の顔を見続けた後、笑顔で"よろしく!綺麗なお兄さん!!"と言った」


語っていく内に段々と表情が穏やかになっていくキョウヤを見ながら、皆は続きを待った。


「別に俺は綺麗でも何でもなかった。むしろ、今の格好はボロボロの服を着ていたし、過去を振り返ると汚いことも沢山してきた。さらに彼女に対してはただの面倒事としか捉えておらず、誰かに任せてしまおうと思い、人里へ行こうと考えたのだ。だから俺の何をどう見て、彼女がそう感じたのかは分からない。俺は彼女の言葉に違和感を覚えながらも人里へと向かった」


目を瞑りながら、過去を振り返るキョウヤ。そんな彼の表情からは当時、抱いていた感情がどんなものであったかを窺えた。


「人里に着き、彼女のリクエストで色々な場所を案内することになった。彼女の何に対しても明るく、常にこちらを肯定してくれる性格に心地良さを感じた俺は気が済むまで彼女のリクエストに応え続けた。それから何時間が経ったか。俺はそこで急に彼女が"迷子"であったことを思い出し、目的地がどこなのかと尋ねた。すると、彼女は笑いながら、"あはは、忘れちゃった"と答えた。いくら世間知らずな俺でも彼女の無理矢理、取り繕った反応に気が付かないほど馬鹿ではない。きっと何かを隠しているのだろうと踏んだ俺は特にそのことに触れず、一緒に人里を巡り、その日は旅館に一泊した。そして、次の日から、俺の旅に彼女が加わることとなった。同行者がいると色々とリスクが生じてくるのは百も承知だ。しかし、たった数時間とはいえ彼女と過ごして居心地の良さと何より、彼女と一緒にいれば楽しいことが起こるんじゃないかと感じた俺は彼女の要望により、こうして共に旅をすることとなった。それからは楽しい毎日の連続だった。元々、1人でも楽しかったのは事実だが、もちろん辛い日だってある。そんな時、彼女がそばで笑って励ましてくれるだけで俺はどんなことでも頑張れた………………気が付けば、彼女に惹かれていた。彼女も俺を想ってくれていた。そして、彼女と出会ってから3年後、彼女は……………十奈とうなはシンヤを身籠った」


そこでキョウヤは再び、シンヤを見つめた。それはとても優しい表情だった。


「当時、俺は25歳。新しい生命いのちを授かることがどんなことなのか、家族が増えるということは何を意味するのかなどそこまで深くは考えていなかった。だが、病院の待合室でウロウロと落ち着かない俺に声が掛かり、集中治療室の扉を開けるとそこには愛しそうに生まれたばかりの子を抱く彼女の姿があった。俺はそれを見た瞬間、頭が真っ白になり、気が付けば彼女を抱き締め、そして我が子を抱いていた。この時、俺は一生彼女達を守っていくと決意をし、胸に溢れる幸せという感情に浸っていた」


シンヤは自身の顔を見つめ続けるキョウヤから視線を逸らして、俯いた。一方のキョウヤもまた急に声に明るさがなくなると暗い表情でこう続けた。


「ところが、そんな幸せな日はそう長くは続かなかった。シンヤが生まれてから、半年後のある日………………突然"ごめんなさい"という置き手紙を残して、十奈とうなは俺の前から姿を消した」







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