第305話 ウィア・ベンガル

アタイは獣人族領にある中で最も大きな国"ビスト"で生まれた。それも第一王女として……………。"ベンガル家"といえば、獣人族領の中では知らぬ者なしと言われた由緒正しい家系であり、その強さもまた群を抜いていた。元々、獣人族の特性として"強者こそが正義"というものがあった。意見が分かれた時や白黒はっきりつけたい事案が発生した時はその解決手段が武力を伴う実戦となることがほとんどだったのだ。そして、それは王族であっても例外ではなく、人の上に立ち国民達を束ねる存在もまた強くなくてはならなかった。


「ウィア!どこにいるんだ!」


アタイは歴代のベンガル家の中でも特に活発で周りの者達も手を焼いていた。誰が付けたのか、"お転婆姫"という名が国民達にも浸透した程だ。そして、その日もまたいつもと同じように城の中を駆け回っていた…………………あの人に会うまでは。


「絶対に見つかるもんか。もう堅苦しいことをさせられるのはうんざりだ」


「何がそんなに嫌なんだ?」


「っ!?だ、誰だ!」


アタイは急に目の前に現れた男を警戒した。それはこの世界ではまず目にすることのない黒髪黒眼の男だった。歳はおおよそ30代半ば〜40代程か。長身であり、引き締まった肉体と鋭い眼光を持ち合わせ、漂う雰囲気からして只者ではない。しかし、それに反して服装はだいぶ質素なものだった。白いヨレヨレのシャツに生地の薄いズボン、ボロボロの靴といった軽装備でこんなところに単身で乗り込むにはあまりにも適さないものだった。自慢ではないが"ビスト"は鉄壁の要塞と言われており、そこを相手にするのであれば、複数の国をまとめて相手した方がマシだというのが獣人族達の常識だった。そして、ベンガル家はその最後の砦なのだ。間違ってもこんな男が落とせる訳がない。当時のアタイはそんなことを考えていた。


「いきなり話しかけて悪かったな。俺は……………だ。たまたま城の中を歩いていたら、活きのいい嬢ちゃんがいたんでな」


「たまたま?ここはそんな軽い感覚で訪れるような場所じゃないぞ!それとアタイに対しては家族以外はみんな敬語で話す。間違っても"嬢ちゃん"なんて言う奴はいない」


「だから、俺が怪しいってか?まぁ、確かに見た目だけでいえばな………………だが、自分の中にある常識を他の奴に当てはめちゃいけねぇ。なんせ、世界は広いんだ」


「……………広い?この世界が?」


「ああ。まだまだ嬢ちゃんの知らないことはこの世界に腐る程ある。美味い飯、多種多様な種族、百戦錬磨の戦士、そして自由がモットーの冒険者……………まだ見たこともねぇ、ありとあらゆるものがそこにはある。きっとこんな狭い檻の中じゃ、味わえないぜ」


「ゴクリッ…………………ほ、本当か?」


「ああ。俺は態度や服装は適当だが、嘘は付かねぇ」


今思えば、何故男の言うことを信じたのかは分からない。だが、男には謎の説得力があったのだ。だから、言ってしまったのだ。


「見てみたい……………」


「そうか。じゃあ…………」


「ウィア!こんなところにいたのか!」


男がそこまで言ったところで父がこちらに向かって来るのが分かり、アタイは非常に焦った。もちろん自分自身が見つかることもまずかったのだが、それ以上にぱっと見不審者にしか見えない男の存在がバレてしまう方がやばかった。話した感じ、そこまで悪い人には思えないこの人が不審者として、もし父に殺されてしまったら………………。仮にもアタイは王女だ。おいそれと近付いてしまえば、重い処分を下されることだってあるだろう。アタイは戦々恐々としながら父を待った。


「全く、ちょこまかと逃げ回りおって。お前は相変わらず……………ん?お前は………………」


終わった。アタイはそう思った。父が男に気付いてしまったのだ。まぁ、そりゃ気が付かない方が無理がある。なんせ男は父が向かってくる間も一切微動だにせず、その場に立ち尽くしていたのだから。


「おおっ、………………か!来てくれたのか!」


「よぉ。噂のアムール・ベンガルがどんなもんか見に来たぜ」


「待っていたぞ!こんなところで一体なにをしている?」


「道に迷ってな。嬢ちゃんに案内してもらっていたんだ。だから、あまり責めないでやってくれ」


「そうだったのか。ウィア、それならそうと早く言ってくれ」


「え?あ、ああ」


後で分かったことだが男は父に呼ばれて、ここを訪れたそうだ。なんでも男の噂を聞いた父が一度でいいから手合わせ願いたいと。しかし男は神出鬼没であり、あまり人の頼みを聞くようなタイプではないことから、父もほぼ諦めていたそうだ。ところが、男は予想に反してやって来て、父との対面を果たした。ちなみに2人の勝敗についてだが………………なんと全くの互角だった。それまでアタイは父と肩を並べる程の実力者を見たことがなかった為、かなり驚いた。その後、用事は済んだとすぐに帰ろうとする男を引き止め、なんとか自分も一緒に連れて行ってはもらえないかと頼むアタイを見て、男は………………


「世界を見て回るのは楽じゃねぇ。命がいくつあっても足りねぇぞ?それでも来るか?」


と言った。アタイはそれに対して何の迷いもなく、こう答えた。


「こんなところで一生を終えるのは嫌だ。もちろん、家族や家臣達は大好きだ。みんな、よくしてくれている。でも、アタイはもっと色々なことが知りたい!世界の広さを見てみたいんだ!」


「ないものねだりってやつか…………………ふんっ。いいだろう。その代わり、死ぬ気で着いてこいよ?いちいち振り返ったりしねぇからな」


「ああっ!臨むところだ!」


「よし。その青さを忘れるんじゃねぇぞ」


それからのアタイは男とその仲間達と色々なところを回り、様々なことを体験した。目まぐるしく変わる毎日。城の中では到底味わえない刺激的な経験にアタイは幸せを感じる日々だった。ところが、それも突如として終わりを迎えることとなる。25年前、男の解散宣言と共に仲間達はバラバラになり、アタイは1人になった。頼れる者もいない、というよりも頼る訳にはいかないそんな状況下でアタイはなんとか頑張ってここまできた。そして、今日………………不本意にもアタイは30年振りに帰国することとなった。


「お久し振りです…………………お父様」


手錠を嵌められたまま、王の間の中心に立つアタイ。そんなアタイを見下ろす父の顔は記憶の中のものよりもずっと老けていた。

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