第281話 幽閉山

「はぁ、はぁ、はぁ」


まず魔族領に入った者には強力な魔物や過酷な環境の洗礼が待ち受けているというのは小さな子供でも知っている常識だった。その中でも現地に住む魔族にすら恐れられている場所というのが各地にいくつか存在している。現在、そんな場所の内の1つに迷い込み、命懸けで魔物から逃げている少女がいた。


「い、嫌っ!死にたくないよ〜」


彼女は10歳程の魔族の少女であり、服や身体を泥だらけにしながら、必死に3体の魔物から逃げていた。ちなみに魔物の名はケルベロス。三頭を有する犬型の魔物で冒険者適正ランクでいえば"C"である。それが3体同時に涎を垂らしながら、1人の少女を追いかけているのだ。いくら魔族が戦いに適した種族とはいえ、ある程度戦闘の手ほどきを受けた者でなければ、あしらうことは不可能。ましてや、この少女は魔物との戦闘を行ったことが今まで一度たりともなかったのである。とすれば、生き残る方法はただ1つ……………逃げ延びることだけだった。


「うわっ!?」


しかし、そんな最中に少女を不幸が襲う。なんと木の根に足を躓かせた少女は体勢を崩して転んでしまったのだ。


「ううっ…………痛いよ」


そして、少女は打ち付けた身体を抱えて丸くなった。思わず閉じた瞳からは涙が流れ、それと同時に恐怖から身体も震え始めた。


「私、ここで死ぬのかな……………」


諦めにも近い感情を抱きつつ、思わず零れた言葉はしかし、次の瞬間にはとうに消え去っていた。


「グルルルッ!」


「バウバウッ!」


「ガルルルッ!」


「い、嫌っ!やっぱ死にたくないよ!」


とうとう追いついてきたケルベロスの姿を見た少女には生存本能が残っていたのだろう。痛む身体に鞭を打って立ち上がり、さりげなく距離を取りだした。しかし、到底逃す気のないケルベロスは少女の思惑を知ってか、逃げられないよう三方を囲んで包囲網を作り、それを徐々に狭めていった。


「なんでこんなことに………………お父さん、お母さん……………助けて」


「「「グルガアッ!!」」」


少女は祈るような気持ちで呟いて一瞬だけ目を閉じた。するとそれを見たケルベロスは好機と捉え、一気に少女へと襲いかかった。ところが………………


「"魔拳闘"!!とりゃあ!!」


「「「ギャンッ!?」」」


突然、すぐそばで聞こえた声と共にケルベロスの悲鳴が辺りに響き渡り、その後は一気に静けさに包まれた。少女は驚き、一瞬目を開きかけたが現実を直視するのが怖くて少しの間、目を閉じたまま直立不動を保っていた。するとまたもや少女のそばで話し声が聞こえてきた。


「だから、言ったじゃないですか師匠。ここは序盤からケルベロスみたいな危険な魔物が出てくるところなんですよ。まっ、それも結局はこの魔拳でイチコロですがね」


「調子に乗るな。お前には経験・実力共にまだまだ不足している。今回のはたまたま勝てただけだ。あと、俺はお前の師匠じゃない」


「そんな〜………………確かに皆さんにはまだまだ遠く及ばないかもしれないですけど。もう少し認めてくれてもいいのに……………ついでに弟子の件も」


「そういうのは自分の戦闘スタイルをちゃんと確立してから言うんだな。言っておくがお前の"魔拳"には既に先駆者がいて、そいつの方が遥かに強いからな?」


「じゃあ、僕にも武器を下さい!僕も早く皆さんみたいにカッコいいやつを振り回したいです。いつまでも素手で戦うのは嫌です!」


「基礎もやらずに応用を学べると思うな。それにここにやって来たのはお前用の武器を探す為だ。ここにはあるんだろ?例のアレが」


「そう…………ですよね?ネームさん?」


「そうだな。確かにあるな」


少女は先程から繰り広げられている会話に聞き耳を立てつつ、多少の好奇心から僅かに目を開けてみた。


「わっ!?」


と、そこにいた集団を見て驚き、思わず声を上げてしまった。そこにはありとあらゆる種族の者達がおり、そのほとんどが黒衣を纏い、様々な武器を携帯していたのだ。そして、その集団は戦闘経験のない少女にも分かる程、強者の気配を漂わせていた。


「おっ、目が覚めましたか!大丈夫ですか?怪我はありませんか?」


少女の様子にいち早く気が付いた少年が声をかける。少年は集団の中では最も幼く見え、またその声は先程会話をしていた者と一致していた為、ケルベロスを退治してくれたのが彼であると分かった少女は真っ先にお礼を言った。


「さ、先程は助けて頂きありがとうございました!」


「いえいえ。僕は自分にできることをしたまでです。それに君はまだ幼い。そんな君を守るのが僕の使命……………痛っ!?」


「格好をつけるな。幼いと言うが、どう見てもお前と同じくらいだろうが」


「し、師匠〜!酷いですよ!ちょっとくらいいいじゃないですか〜一度でいいから言ってみたかったんです」


「何度も言うが俺はお前の師匠じゃない……………っと、うちの馬鹿が失礼した。怪我はないのか?」


「は、はいっ!おかげさまでこの通り、ピンピンしています!」


少女は自分が元気であることを証明する為にその場で軽くジャンプした。すると、それに対して少年がまるで自分のおかげだと言わんばかりにドヤ顔をかましていたところを師匠と呼ばれた者に説教されていた。


「ですのでご心配なさらずとも私は大丈夫です!」


「傷は見えないところにもできているもんだ。本人が大丈夫だと思っていてもな……………"聖浄セイント・ヒール"」


「あっ!?」


師匠と呼ばれた者が少女へ魔法を発動すると少女の服の汚れや身体の細かい傷が治り、綺麗になっていった。少女はそれを感動した表情で見つめ、一方少年は唖然とした表情で硬直していた。


「あ、ありがとうございます!」


「礼の代わりに教えて欲しいことがある。ここは"幽閉山"と呼ばれる場所の入り口で間違いないな?」


「え、ええ。そうです」


「そして、頂上には………………"魔剣"が眠っている。これも間違いないか?」


「はい。そう言い伝えられています。魔族は皆、子供の時に親に聞かされるものです。"幽閉山には危険な魔物が数多くいて、その頂上には大地を砕く程の魔剣が眠っている"と」


「くぅ〜早く手に入れたいな〜待ち遠しいな〜僕の魔剣」


「話がややこしくなるから、お前は黙ってろ。……………ちなみにお前は何故そんな危険な場所にいる?その様子だとまともに戦える訳でもないし、魔剣を求めている訳でもなさそうだが」


「………………先日、両親が魔剣を求めて幽閉山に行ったまま、帰ってこなくなってしまったんです。それで心配になったのでこうしてやって来ました」


「両親が……………」


少女がここにいる理由を聞いた少年は先程とは打って変わって、真剣な顔をしながら話へと耳を傾けた。


「お前の両親は何故、魔剣を求めたんだ?強さへの執着か?それとも換金材料としてか?」


「……………全ては"魔王"討伐の為です。"魔王"のせいで魔族領のあらゆる場所が今や危険に晒されているんです。奴が通ったところに生者はなく、草木すら残ってはいないと言われています。そんな"魔王"がついこの間、私達の村にやってきたらしく、たまたま外に出ていた私達家族が戻ってみるとそこは見るも無惨な有様でした。親しかった者は1人残らず致命傷を受け、私達はただただどうすることもできずに村人達が死にゆく様を見ていることしかできませんでした。するとそんな中の1人が口にしたんです。村がこうなった元凶の名を………………それが」


「"魔王"だったという訳か」


「はい。私達の慎ましくも幸せだった日常はたった数時間の間に壊されたんです!悪魔のような奴の手によって…………………そして、村人達全員を看取った後、父はこう言ったんです。"魔王を討つ。村人達の仇を取らなければならないし、こんなことが繰り返されてはならない"と。それに母も賛同し、幽閉山にあると言われる"魔剣"が唯一の対抗手段だと考えた両親はすぐに帰ってくると言い残して、村を出ていきました」


「なるほど。ネーム、やはり"魔王"は」


「ああっ!これでいよいよ存在が証明されたな!城の連中はどれほど馬鹿なんだ。こんなところに苦しんでいる者がいるというのに迷信などとほざいて…………」


「おい、お前は奴らに仕えている身じゃないのか?そんなことを言って大丈夫か?」


「もう完全に吹っ切れたさ!シャウの件しかり、この少女の件だってそうだ!自分がいかに愚かだったか分かったよ。あんな馬鹿共に仕えていた自分が恥ずかしい」


「言うようになったな。お前、変わったな」


「当たり前だろ。シンヤ達と行動を共にして、私は大きく変わった。あんな狭い城の中じゃ得られないようなことを経験してな。だから、あの時の言葉は訂正させてくれ。すまなかった」


「ネーム、お主……………」


「イヴ様、私のことは大切だと思わなくて結構です。認めて頂けなくても構いません。そして、これは諦めでも拗ねている訳でもありません。今はただギムラへ一矢報いたい。それだけなんです」


少女には会話の内容が理解できるものではなく、ただそれでも彼ら……………シンヤ達の中で結束がより強まり、意識が変わったように感じられたのは確かだった。ただ、そんな中でずっと難しい顔で黙っていた少年……………シャウロフスキーは覚悟を決めた表情を浮かべ、シンヤへ向かって宣言した。


「師匠!お願いがあります!」


「何だ?」


「僕は今後、一切油断はしませんし調子にも乗りません!だから、僕をもっと鍛えて強くして下さい!」


「……………目の色が変わったな。いいだろう。その代わり、俺は甘くはないぞ?お前の目的もネームと近いものだ。であれば、生半可な指導はしない」


「それだけではありません!やりたいことがもう1つ増えました!」


「?」


そこで深呼吸したシャウロフスキーは数秒、間を空けてから、こう言った。





「僕が"魔王"を討つ!さしあたっては幽閉山の"魔剣"を必ず手に入れてみせます!!」


それは歴戦の猛者を彷彿とさせる表情だった。

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