4-2(ディートリヒ)
あの目が、彼女の本質かもしれない。
あまりに強く、硬く、真っ直ぐで。それでいて繊細で、脆い。女神が愛したのは、そんな人物なのだろう。
魔法陣を描いた空間を、軽く手で払う。途端、煙のようにそれは消え去り、後には何も残っていなかった。
(少しも躊躇わなかったね。……休みたいとは思っても、辞めたいと思ったことはない、か)
王族という、この国の誰よりも良い物を口にし、休もうと思えばいくらでも休むことの出来る地位にありながら、あのように瘦せ細るのだ。自分たちが考えている以上に、遥かに、『女神の愛し子』というのは過酷な役割なのだろう。
だというのに、辞めたいとは思わないという。歴代の『女神の愛し子』であった者は、皆それぞれとても若くして命を落としていた。あの姿を見れば、原因が何かなんて分からないはずもない。それなのに。
その目には、迷いの光すらなかった。
「無意識に、頭を下げるところだった。そんなことしたら、侍女相手に何してるのって話だよね」
思わず笑って口にし、踵を返す。彼女も戻って行ったのだ。戻りたくもない、戻る必要もない場所へ。ならば、自分もまた戻るべきだろう。自分の仕事へ。思い、先程、魔法陣を描いたのとは反対方向を向かって、足を踏み出した。
(ああいう子だから、女神が愛したんだろうね。自分の身体を削ってでも、心を削ってでも、皆を守ることに躊躇いがない子だから)
初めて、敬うという気持ちを感じた。闇魔法の師匠や、剣術の師匠にも確かに、敬愛の念は抱いてはいたけれど。そんな、技術的な部分ではなくて。
純粋に、心から尊いと感じた。その心を。その姿を。
だというのに。
「……考えただけで、腹が立つな」
思わず、ぼそりと呟く。国民を思う、心優しい彼女が傷ついていたのだ。それも、彼女の役割などを理解する気もない、見た目に対する言葉で。
ふざけた話である。
今日の夜会に招待されているのは、皆、高位貴族ばかりであったはず。彼らは自分たちの後継者に対して厳しく学ばせているのが普通なのだが、中にはただただ子を甘やかす者もいる。その部分は、貴族だろうと平民だろうと変わらない。
あのような場において、王女相手に暴言を吐くなど教育が行き届いた家門であれば有り得ない話だろう。独り言にしても、誰に聞かれるか分からないのだから。まともな家ならば、まず有り得ない失態なのだ。
(俺がもう少し、口が上手ければ……。もっと上手に、慰めてあげられたんだろうけれど……)
顔を隠すことを薦めたのは、彼女にこれ以上傷ついてほしくなかったから。見た目がどうこう、というより、彼女自身が自分の見た目を醜いと自分に説明して、そのことで更に傷ついて見えたから。
醜いなんて、少しも思わなかった。彼女にも言ったけれど、あのような様相の人間は、貧民街に行けばいくらでもいる。王女である彼女と貧民街の人間を比べるのは失礼かもしれないが、見慣れている自分にとって、彼女の姿が醜いなんて、考えもしなかった。
一つ、違うことがあるとするならば。貧民街の人々は、自分や家族のために生きている。そのために、あのような姿になっている。
けれど、彼女は違う。『女神の愛し子』は、あくまでも対魔物の厄災のみを伝えるのだと誰もが知っている。つまり彼女は、自らが危険に晒されるはずもない安全な王城の中で、危機に瀕する民の為に、その身体を削っているということだ。顔も知らぬ、民たちのためだけに。
醜いなんて、思えるはずもない。
加えて、ファッションとして身に着ければ良いと告げた時の彼女は、その表情を明るくしていて。年相応で、素直に可愛らしいと思った。
「あれ? なあ、ここあいつの持ち場じゃなかったか?」
ふと、考え込んでいたところに聞こえて来た言葉。それが自分の持ち場と隣り合わせの位置に待機していた騎士の声だと気付き、「おっと」と小さく声を零す。数歩歩いた先には、闇魔法によって短縮された空間の気配。
手を伸ばし、濃い闇の中に差し入れた。今度は、強く闇の魔力を込めて、空間の中心に届くように鋭く手を振る。描いていた魔法陣を消し去るために。
同時に、パシュン、というとても小さな音が聞こえた気がした。
「え? いや、あいつはオレとお前の間にいるはずだけど。会わなかったか?」
「それが……」
話す二人の方へと足を向け、「何? もう交代かな?」と言いながら近づいて行く。どうやらぎりぎり間に合ったようだなと、そんなことを思いながら。
「ディートリヒ!」と、二人の内の一人が驚いたような声を上げた。
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