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ヒューベルトはリシュトに、楼子を研究棟に案内するように告げ、ふたりを退室させた。

王城にはまだまだ楼子の知らない設備がたくさんある。

城門を潜れば王城だけれども、その敷地や施設はひとつの町を構成していて、王城内の研究施設といえば、大手ショッピングモールのような広さだった。

二階建てのモルタルの外壁の研究棟の玄関ホールには、自然石に刻まれた巨大な石碑が据えられていた。

石碑の銘文を読む暇もなく、施設内へ進んだ。


先導して歩くリシュトにどう声を掛けたものだろうと、楼子は後姿を見つめた。

リシュトはヒューベルトとの口論に落ち込んでいた。


楼子は今回の作戦にも同行できない。


薬師の受験ができなかったのは事実だけれど、見送ったのは楼子自身だし、よしんば受けていたとしても、合格の結果は得られなかった可能性がある。

それに、東の遺構の調査がジョゼットと共同であるなら、付いていったとしてもおそらく楼子は駆け引きの邪魔になる。

邪魔にはなりたくない。


でも正直、ヒューベルトの執務室への異動は、予想外だった。

毎日王城の図書館に通っているのは、夕凪本人には会えていなかったが、役職がまだ聖女補佐だったからだ。


夕凪は今は王城で仕事があるが、すぐに第二騎士団にまた配置になるのだろう。

フィルスター侯爵がいないので、夕凪の指導兼護衛はオルゼアが担うだろうから、夕凪に楼子もくっついて第二騎士団で勤めることになるのではないか。

夕凪の補佐として第二騎士団で、薬師の免状が取れるまでは、また事務局勤務かも知れないが、医局の雑務という可能性もある。

もしかしたらミスミ医局長に邪険にされながら過ごすことになるかもしれない。

薬師になれたら第三騎士団の医局に配属してもらえるのだろうか。


などと。

皮算用だった。





一階の突き当りの研究室に「聖堂地下宝物庫部」と看板があった。

扉を開くと二階まで吹き抜けのホールで、杭とロープで囲われた中央に割れた石材が並べられている。

聖堂の抜けた床部分の再現だ。

その向こうからアスティア団長、と声が掛かる。

第一騎士団の隊員だ。


「お疲れ様です。まだ十七区の術式の浮揚は終えていなくて」

「今日は聖女の翻訳作業の進捗確認だけです。気にせず続けてください」


真顔でリシュトは応えた。

作業指示を出しているらしいリシュトに報告する隊員の緊張が緩んだ。

リシュトはここも仕事場なのだ。

口調は丁寧だけれどどうやらシビアな上司のようだ。


研究所にはリシュトと一緒に聖堂の調査に関わった第一騎士団、魔導士団と、神官が勤めていた。

八卓あるテーブルではそれぞれ白手はくての研究員が石の欠片と文献とを交互に覗き込む。

リシュトは研究テーブルの間の通路を真っ直ぐ進み、奥の扉に向かう。


あまり見てはいけないかな、と思いながらも、リシュトの後ろを歩き、楼子はついちらちら視線を動かした。

この研究室は、聖堂地下宝物部を冠していた。

アンリワード二世の魔術式の解析作業なのだろうと予測された。


「表向きはそうなっている」

「……表向き」


リシュトは声を落とした。


「百年前の聖女の調査だよ」





見た目にも重厚感がある濃い赤茶色の大きな胡桃製の扉は、重い音がした。

開かれた部屋は照明を落とした図書館のようだった。

中央には書棚の塔、壁一面も本で埋め尽くされている。

百年前の聖女を研究する施設には、古書の匂いが立ち込めていた。


大聖堂の地下から移してきた聖女カオルの持ち物は、条件を限りなく似せた収蔵庫に保管したそうだ。

火崎芳本人についてなら、地下に並べてあった持ち物を見れば、予備知識がある楼子ならある程度情報を読み取れるだろうが、知りたいのは個人情報ではないだろう。


「日記があって。ユウナギが読めたんだ」


優先して記録を翻訳することになった。

夕凪は翻訳作業に従事している。

町中は舞台の影響もあって聖女ブームだが、本人はあまり露出させていないようで、夕凪は南西からの帰還後、研究室の仕事を与えられ王城内と大聖堂の行き来だけをしていた。


奥の方のテーブルに夕凪がいた。

卓上の灯りの下、手のひらサイズの手帳を開いている。

夕凪の言葉を聞き取りした研究員が書きとる。

インクの丸い瓶から出たペン先が文字を紡ぐ。

滑らかな仕草で綴られていく。

速記された用紙は一枚ずつ隣の机に研究員が持って行って、内容の検討をする流れのようだった。


楼子はリシュトと並んでしばらく夕凪の様子を見ていた。

卓上の手帳に顔を寄せて、夕凪の人差し指が芳の文字をなぞっていく。

夕凪は知らない漢字もあるらしく、時々読み上げが止まる。

前後の文脈で予想するのだろう。

答えが出るだろうか。

筆記係の研究員は根気強く待つ。

温和な初老の男性は、思い出した、夕凪の教師だ。

この感覚は、八翔の授業参観の心情だ。


一区切り付いたのだろう、夕凪が背伸びをして、ようやくテーブルの前に人がいることに気が付いた。


「アスティア団ちょ……ロロ!」


静かな研究室に、夕凪の元気な叫び声が響いた。





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