92

ヒューベルトは卓上に両肘を突き、指を組んだ。

リシュトを見上げる目は、厳しい。


「お前は、ロロを育てる気があるのか」

「……どういう」

「お前自身がロロの成長の妨げになっている」


妨げ、という単語は心に刺さり、リシュトは思わず息を飲んだ。


違う。

楼子は、子供ではない。

だから育てる気があるかと問われれば、そんなわけがない。

だけどそばにいてほしくて。

それが、成長を妨げるなどと、そんなつもりは。


言葉に詰まるリシュトにヒューベルトは畳みかけた。


「聞けば世話をする家政婦もいない生活だというじゃないか。この年齢としで指先を割れさせて」

「……」

「住居も移す。離れに住めばいい」

「…………嫌です」


絞りだした回答は、声が掠れた。


「ではロロの意見を聞こう」


ヒューベルトは楼子に目を合わせた。

戸惑いながら楼子は半歩、リシュトに近付いた。

紺色のマントを握ったのは、半ば無意識だったのだろう。

楼子の白んだ手の甲、薄い皮膚がピンと張る。


「……そういう風に見えますか」

「そうだな。もっと高望みすればいい。ロロの第二騎士団での成果は聞いている。クライトン一級薬師が褒めていた。フィルスター侯爵の話を聞いて、薬師ではなく、官吏を受けてはどうかとも考えた。正式に聖女の補佐にできる」

「過分な評価です」


楼子はヒューベルトの高圧的な賞賛を低姿勢でさらりと躱した。

楼子の労働意欲をよく観察されていた。

薬師の肩書にしたって間に合わせのものなのに一級薬師から及第点以上の評価を得てしまうし、自分で仕事を探して来て熟してしまうものだから、上司からは抜群の信頼度だ。


見た目が小さいだけで。

リシュトの楼子は、子供ではないのだから。


王城勤務に離宮への引っ越しの勧め、ヒューベルトの提案は強引だ。

ヒューベルトは楼子を離宮に先に移して、その内リシュトも引っ越しさせる腹積もりなのだ。

リシュトを王城に戻そうとしている。


楼子も同じように考えたのだろう。

リシュトを見上げた楼子は、困ったように微笑んでいた。

リシュトのためだけの笑顔だった。


その顔を知っている。

リシュトを守ろうとしている、自分の犠牲を何とも思っていない顔。


「異動は了解しました。希望が通るのであれば、これまでどおり第三騎士団のお城から通いたいです」

「本当にそれでいいんだな」


前を向いて、はっきりと述べた楼子の意見に、ヒューベルトはリシュトに尋ねた。

楼子が反応に迷うリシュトのマントをくい、と引っ張った。

ぎり、と噛んで、リシュトは首肯した。


ヒューベルトにはその回答が満足するものだったのか、そうではなかったのかが、リシュトには分からなかった。

だがヒューベルトはいつもどおり思惑を秘めたような口調で「ではそうしよう」とだけ言って、机上の鈴を鳴らした。

記録官が扉から静かに入ってきた。


ヒューベルトが記録官に決定事項だけを指示して書かせるのを見ていた。


「……わざわざ記録官を外して、説教ですか」

「兄弟の私的な会話を残さなくてもいいだろう」


情け無さ過ぎて、文句にも気迫が乗らない。

一応はリシュトの意見を聞いてくれようとしていたらしいヒューベルトに、まだ頭の整理が追い付かないリシュトの心理的抵抗は大きく、全然納得できない。

今すぐ楼子を連れてここからいなくなりたい。





リシュトの反感は見て取れた。

それでもヒューベルトはリシュトがこれ以上物を言うことはないとわかっていた。

楼子に視線を切り替えた。


「さて、ロロ。元帥執務室付の仕事は多岐に渡るが、まず」


ユウナギがどうしているのか気にならないか、とヒューベルトは何事もなかったかのようないたずら顔で片眉を上げた。





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