迷うばかり
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「アデル・クーアリア、うるさいよ。お前にロロの薬師の講師ができる訳ないでしょ」
「それは、薬師なんてできる訳ないけど、だからってニフお前、ロロにもネイにも馴れ馴れしすぎないか」
「ロロに図書館に来いって言ってるのは我らが主だ」
「迷惑考えろって、昼食に私邸に呼び出すって」
珍しく口喧嘩が勃発している。
王城の会議室の外で、アデルとヒューベルトの補佐官が言い争う。
単語を小耳に挟んだだけだが、何と心臓に悪い内容だろう。
ヒューベルトが招集した非公式の報告会は各団の長と副官、団員数名を集めた小規模のものだった。
南西事案の報告会が中途半端になった不満が魔導士団から出れば、認可待ちの魔道具を戦場に持ち込んだ不備が第二騎士団から指摘される。
魔術師が魔物を城下に放ったことは処分が済んだので蒸し返さないが、城下の民間人の怪我の責任の所在が宙に浮く中でリシュトが個人的に施薬院を見舞ったことにジョゼットが憤慨した。
予想外に紛糾した会議は、ヒューベルトが精査したうえで国王に上奏する、と締めくくられた。
呼び出しを受けて、案内の騎士の後ろに付いて図書館から会議室に移動してきた楼子が直面したのは、解散後の会議室の周りのまだピリピリとした緊張で、アデルと補佐官が言い合う姿も場の空気が悪いせいだ。
天井にブーツの踵が高い足音を響かせて魔導士団の紫黒色のマントが早足で通り過ぎる。
楼子は隣の騎士と一緒に頭を下げた。
つむじに圧力を感じるのは、多分第三王子殿下の視線だと思う。
足音が遠ざかってから、紺色のマントが視界に入って、楼子は顔を上げた。
リシュトが楼子のそばに寄って微笑んだ。
軍議用のかっちりとしたお仕事服で微笑む美青年って、何の特典映像だ。
鎮まれ心臓、と三度唱えた。
「ロオ、ヒューベルト殿下に呼ばれて?」
「はい。ネイは図書室にいます」
リシュトは一瞬物案じ顔を見せた。
楼子だけを呼び出したのはヒューベルトだった。
第一王子はゆっくり会議室から出てくると、側近たちの喧嘩を諫めた。
「気になる話題だがこの場にはふさわしくないな、アデル」
「ヒューベルト殿下……すんません」
「また詳しく聞こう。リシュト、ロロ、行くぞ」
片方だけ注意を受けたがアデルは素直に引き下がり、ヒューベルトはリシュトと楼子を引きつれて、渡り廊下に向かった。
中央棟と西棟を繋ぐ長い回廊の広い柱と柱の間から、北方の雪がまだ残る山並みを臨む。
薄曇りの空に山頂は霞んでいる。
王城に通ってもう十日。
楼子は、第三騎士団の城に戻った翌日から、きっちり定時に迎えが来て王城の図書室通いが始まっていた。
勤務時間は長くなっていて、九時から十二時、二時から五時。
通勤時間は第二騎士団の城へ行っていた時の半分で、第二騎士団で勤務後にフィルスター侯爵の講義を受けていたことを考えると、第三騎士団の城を不在にしている時間はそれほど変わらない。
頻繁に異動命令が出る楼子を、第三騎士団の城のみんなが心配してくれて、それだけは申し訳ない。
勤務といっても基本的には図書室にいて、時折ヒューベルトの補佐官に第一騎士団の医局に呼び出されて書類整理に当たることがある。
第一騎士団の薬師が勤務するのは調剤室と薬品倉庫で、いわゆる薬局だった。
診療施設は分かれていて診療は医官が行っていた。
楼子はいつぞや運ばれた医務室の場所を、ようやく認識した。
王城は迷路だ。
ヒューベルトの後ろを歩き、衛士に開かれた執務室の扉をくぐった。
第一王子の執務室には誰もいなかった。
部屋の隅の記録官の机も無人だ。
ヒューベルトは執務机まで歩き、机上にあった糸で綴られた一冊の資料をリシュトに差し出した。
「読んだ。南西の森が落ち着いたと思ったが、類似事案だな」
リシュトは退院して、第三騎士団の城に戻った途端、資料の山に埋もれていた。
南西事案の事後と、自身が怪我を負った内城壁橋梁事件の報告会のための事務仕事に追われていると楼子には言ったが、別の案件の調査も入っていたのだ。
王都の外の隊の騎士が訪問に来ていたり、城下の古書店の店主が出入りしていたり、なんとなく、別のことを調べているような感じはあったけれど。
資料は、第三騎士団第十二隊の騎士からの報告をまとめたものだった。
類似事案ということは、魔物の増加だ。
第十二隊はアンリアンス王国東の端、三つの岬に囲まれた港町付近に配置されている。
東方地域での魔物の増加ということだ。
楼子は前に立つリシュトを見上げた。
リシュトの横顔は曇っていた。
きっとまた、たくさんのことをひとりで抱えていたのだ。
のうのうと王城へ通うだけの楼子に、リシュトの悩みや仕事を支える力はない。
力がない自分を思い知らされる。
視線の先で、資料を受け取って該当する頁を捲り、リシュトは口を開いた。
「旧ウェゼル公国領ノル=セグヴァ王城遺構の封印を確認する必要があります」
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