46 琥珀糖(2)
楼子の名前が出てくるのは予想外で、戸惑いが声に出た。
「えって、団長。なんすかそのかわいい反応」
「いや……彼女が、どうかしたのか」
「昼にロロから天草もらったんで、ジュレにしてみたの、味見しに来ないかと思って」
天草、ジュレ、味見。
自分がいない間にこの男は楼子と何の話をしたのか。
少し引っかかりつつ、リシュトは、伝えておくと返事をした。
料理番がすかさず言った。
「面白くなさそうな顔しますね」
「……そんなことはない」
そんなことはないが。
否定しながら、眉根が寄っていたかもしれないと表情を改める。
「ロロは、馴染んでいるようだな」
「そうですねえ、礼儀正しいし物知りだし、ちっさいし細っこいけど、子供たちにはお姉ちゃんみたいに優しいですよ。こないだも盛大に転んでけがした坊主どもの手当てをしてくれてね。あんなナリでちゃんと薬師なんですね」
建前だった職業に楼子が寄せているのだろうか。
それとも、楼子の知識がこの世界の平均より傑れているだけなのか。
世話好きが、薬師というラベルがあることで、らしく受け入れられているのか、わからない。
(俺の、なんだけど)
薬師だとしても、リシュトの薬師だ。
そういう風に狭量さが出てくるのを、抑える。
「問題なく過ごせているようだな」
「進んで手伝いするし、いい子っすよね。団長の猫かわいがりもわかります」
「……どこで見た」
「ウッソ、どんな顔してるかご自分で鏡見た方がいいですよ」
リシュトは額に指を当てた。
顔が緩んでいるのは、わかっている。
しかし、程度による。
団員に示しが付かないようでは職務の威信に差し障る。
料理番は深く頷いた。
「いいじゃないですか。娘ってのは特にかわいいもんです」
料理番の反応に吹き出しかけた。
料理番はわかりますわかります、と二度繰り返した。
「……じゃない」
娘じゃない、とそろそろ真剣に否定しておいた方がいいのかもしれない。
世間のとんだ早とちりは、真実を隠匿するには都合がいいけれど、あっちでもこっちでも散々言われすぎた。
楼子の耳に入るのが嫌だという本音が、露わになりそうになる。
「何か言いました?」
「何も」
料理番の伝言を預かって、久しく訪れていない奥の居住区へ足を踏み入れた。
以前この場所に来たのは何の用事があってだっただろうか。
非戦闘員の生活の場を荒らすような真似もしたくなく、遠慮がちに進む。
子供たちの楽しそうな声が聞こえた。
同じような背丈の男児がふたり、女児がひとりと、楼子。
洗濯物の暖簾が日差しを柔らげて、和やかなテーブルだった。
楼子はいつもの魔導士のローブで、背丈は他の子供と同じくらいだが、動きや視線は当然だが大人のものだ。
子供たちの憧憬に満ちた表情に応える楼子が、誇らしくもあり、患わしくもある。
口を開かないリシュトに、見上げる楼子の顔が心配を帯びた。
リシュトは片膝を付き、楼子の髪を掬った。
リシュトが前を向くと、ちょうど楼子の視線と同じ高さだ。
楼子は黙ってリシュトと顔を合わせていたが、ふいにリシュトの唇に、冷たいものを押し付けた。
甘い。
「あーん」
言われるまま口を開くと、さいころのようなものが舌に乗った。
「……?」
「どうですか、琥珀糖」
もどき、なんですけど、と楼子は言った。
外側は硬くしゃりっとしていたが、噛むと淡く溶ける。
楼子の手に乗った包みには、半透明のガラス細工があった。
これが今の食べ物だったのか。
「食堂で、奥の居住区に行商さんが出入りしているって聞いて連れて行ってもらって。この材料の天草も行商さんから買いました。それからちょっとお手伝いをするようになって。子供たちにはおやつをあげたら仲良くしてくれて」
子供って現金ですよね、と楼子は笑った。
お菓子を作りたくて、材料を買った。
その延長で奥の居住区に出入りしている成り行きだ。
リシュトが楼子の行動範囲が広がったことを心配したと思ったのだろう。
琥珀糖は、薄い青色をしていた。
無機質な見た目からは想像が付かない優しい甘さをしていた。
心配は、している。
しかし、それよりも不安が過った。
自分のいない場所でいきいき過ごす楼子を見て、だめだ、と思う。
閉じ込めておけないことを突きつけられて、閉じ込めておきたいと思っている事実を知る。
この世界で楼子の隣は自分だけがいい。
でも、自分だけが特別なのではないのかも知れない。
「……大人だって、同じだよ」
リシュトの呟きは楼子に届く前に風に消えた。
単純だと、思う。
自分だけに構ってくれることが、こんなに嬉しい。
「忙しくしていたんだ」
「そうですね、ちょっとは役に立つところを見せておかないと」
リシュトは休めていますか、と楼子が聞く。
リシュトは返事をせずに、小さくあ、と口を開く。
楼子にもうひとつ食べさせるように促す。
楼子はガラス細工を指でリシュトの口に運ぶ。
その手を掴んで、指を舐めた。
ぼん、と顔から蒸気が出してぱっと手を引く楼子を眺めてリシュトは悦に入る。
こんなことが許されるのは自分だけだと思う。
(いや、今は許されていない、か)
ネイやアデルの批難が聞こえるようだ。
ルルの研究成果を待っているばかりでは埒が明かない。
我慢強い方ではあるけれど、精神力が切れないとも確約できない。
早く伝えたいと、思う。
「おいしい」
「……夜食に食べます?」
「夜食だったらこの間のスープの方がいいな」
楼子の顔が柔らかくほころんだ。
「実はお米も手に入れました。今度はリゾットにしましょう」
「それは一緒に食べよう」
正確には食べさせてほしいのだが、願望は控えめに言っておく。
「食堂に天草を分けたの?」
「あ、そうなんです。何か作ってもらえるかもと思って」
「味見に来ないかって」
行きます、と言ってから、楼子は手の平の琥珀糖を包んで、小さな包みをリシュトの上着のポケットに入れた。
リシュトが気に入ったと思ったのか、近付いてにこにことしている。
おいしかったのは嘘じゃないけど、欲しいのはお菓子ばかりではない。
リシュトは楼子を抱き上げた。
いつもすぐに降ろしてという楼子だが、黙って胸にくっついている。
「……ロオ?」
擦り寄るような仕草をして、楼子はリシュトを見つめた。
期待、してしまう。
言葉にしなくても伝わっているのかもしれない。
同じ気持ちでいてくれるなら、それだけで。
「皮膚をあっためると、ストレスが緩和されるそうです」
知らず温もりを求めているのなら、疲れているのかも、と解説される。
リシュトの様子がおかしいと思ったようだった。
働きすぎて疲れていると判断された。
お菓子を食べさせたのも、甘味の疲労回復効果を狙ってだった。
労われていた、だけだった。
少し落ち込んで、胸元の楼子の顔を見て思い直す。
無垢な瞳が、本気で心配していた。
「では、極上の癒しをもらおう」
リシュトは苦笑して、楼子を抱き締め直した。
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