無関心

33

 聖女の部屋から引き揚げて、リシュトはまたヒューベルトに呼び出されていた。

 楼子と一緒に第三騎士団の城に戻ろうとしていたのにだ。


「リシュト、ロロは面白いな」

「やめてください」

「まだ何も言ってないだろう」


 見ないでください、話しかけないでくださいと続けさまに牽制するリシュトに、ヒューベルトは寛容に笑った。


「子供らしからぬ物言いだ。面白い。妖精王に育てられると皆変わり者になるのか」

「用事がないのであればこれで失礼します」


 待て待て、とヒューベルトが振り返るリシュトを呼び止めた。


「聖女拝礼には第三騎士団も参加してもらう」


 当然の任務だろう、とヒューベルトはリシュトに言った。

 リシュトは溜息を付いて向き直った。

 仕事の話であれば仕方がない。


「十日後ですね。私が砦を長く空けているので、一度戻りたいと考えていたのですが」

「まあ、確かにな。しかし聖女の関連儀式は最重要の国儀だ。砦の連中はお前が国儀に出ないことの方が怒ると思うぞ」


 それならば、とリシュトは了承した。

 ヒューベルトはその様子にくくく、と笑う。


「これほどまでに聖女に無関心とはなあ」

「……無関心ということでもありませんが」

「ジョゼットなんて、私が聖女との婚姻をしないと聞いた途端、自分に娶らせろと言ってきたのに」


 ジョゼット王子は、第一騎士団が聖女の扱いに手を焼くのは聖女に対する信仰と理解が足りないからで、王宮魔導士団であれば面倒を見る準備があると力説した。

 そのためには、王宮魔導士団を率いる自分の妻である立場が、聖女にはふさわしいと言う。


 それが原因で奥方がおかんむりで実家に帰るかもしれないとヒューベルトは冗談めかしたが、ジョゼットは、聖女との婚姻を機縁に世の趨勢を自分に持ってきたいのであろう。

 功名心の強いことだ、とリシュトは思った。

 正面でにやにや笑うヒューベルトは、全く意に介していない様子だが。


「それでお前、ロロは誰の子だ」

「誰のって」


 突然の問いに間の抜けた返事をした。


「リシュトに隠し子だって宮中大騒ぎだぞ。知らないのか。ロロは十歳ほどか。十年前だったら、お前騎士学校時分じゃないのか。そんな暇あったか」

「……違いますよ」


 意外とゴシップネタが好きなヒューベルトの質問に、リシュトは嫌そうに否定した。

 まともに取り合うつもりなんて端から無い。


「ああ、騎士学校を出てからなのか。東国に遠征していたな、それか。奥方は置いてきたのか」


 そうじゃありませんともう一度否定した。

 噂や憶測がその程度であれば、事実に掠ることもできないだろう。

 リシュトはこれで失礼しますといよいよ踵を返した。


「ともあれ、女たちは犯人探しに躍起だ。気を付けろよ」


 ヒューベルトはリシュトの背中に言った。

 リシュトは足を止めた。


「特に、エピックス伯爵令嬢にはな」


 気の重い名前が出たとリシュトは思って、顎を少し引いた。


「殿下の側妃に加えて差し上げればよいのではないですか」

「私はそれでもいいんだが、サラセニア嬢はお前にご執心だからな。正妻の座をご希望だ」


 縁談は、大昔に正式に断った。

 断ったことを根にもたれて大層な事件まで起こされた。


「一介の騎士には分不相応なご令嬢です」

「一介のって。お前まだ王子だぞ」

「何で」


 驚きすぎて書斎机に飛び込んでばん、と叩いた。

 幅広のデスクに置かれた万年筆が浮き上がる。

 ヒューベルトがリシュトの勢いに流石に飛び退いた。


「何でって、身分をそんな簡単に返上できるわけないだろう」

「あの時確かに宰相は受諾した」

「陛下が許さなかった」


 ぎり、と奥歯を噛んだ。

 ルルを王宮から追い遣ったのにリシュトを王子の身分に留め置くなんて、戯れにも程がある。


「結婚すれば公爵位を与える準備もある……今まで伝えていなかったな」

「直接お言葉を賜ることも、昨日の謁見までありませんでしたから」


 リシュトは、東国への遠征から帰還後すぐに前線に出たのだ。

 リシュトが王城を去って何年になるのかを、ヒューベルトは考えた。


「陛下のお心は私では計り知れませんが、殿下から今一度、私の継承権の辞退をお伝えください」

「まあ、考えておこう」

「すぐ伝えてください」


 リシュトの剣幕に、ヒューベルトは苦笑した。


「相変わらず気が短いな」





 リシュトは第一王子の執務室を後にした。

 この人に会う度に陰鬱な気持ちになるのは、うまく操られているのが気に入らないからだろう。


 楼子のことが心配だった。

 兄はに会わせたくない、王城に上がるなんて以ての外だと思っていたのに、うまく乗せられて聖女に会わせて、夕凪が楼子を指名して、楼子は夕凪の世話を買って出た。

 ヒューベルトは今後も楼子に干渉してくるのだろう。

 それが全部、リシュトを操るためだ。

 ヒューベルトの思うように流されている。


 楼子が夕凪のことを気に掛けるのは、仕方がない事情だった。

 異世界で一度死んで、この世界に呼びつけられた、同郷のしかも楼子の弟と同じ年合いの少女だ。

 世話を焼く気持ちが生まれるのも納得がいく。

 楼子が自分にしかできない仕事を見つけてしまった。


「……」


 知らず溜息が出た。

 自分のことは分かっている。

 妖精王の森であんな穏やかだった日々がもう懐かしい。

 この苛々は、楼子を独り占めできなくなった焦りからだ。


 ヒューベルトが楼子を王宮の家庭教師に預けると言い出しかねない。

 あの人のお気に入りは分かり易く配置されている。

 王城に抱えられると厄介だ。

 リシュトが楼子から離れたくないのは見抜かれている。

 王子の称号を返上できていない自分が王城に入り浸りになるのは、差支えがある。

 前線に戻らなければ、第三騎士団から外される可能性もある。


 リシュトは廊下で立ち止まって、額に手を置いた。


(……それよりも)


 問題なのは楼子が夕凪と遊びに行く約束をしていたことだった。

 無防備な楼子のことだ、多分女子だけで行くつもりだ。

 護衛は必要だろう。

 勿論付いていく。


 でも、最初に楼子と出かけるのは自分がいい。

 買物を一緒にしたいし、ガイドブックで見ていた展望塔に連れて行ってあげたい。

 動きにくい魔導士のローブを四六時中着させるのもかわいそうだから、服も作らないといけない。

 一日で時間が足りるとは思えなかった。

 報告会が終わり少し落ち着くかと思ったが、聖女拝礼の儀式でまた煩忙になる。


 ヒューベルトの顔を見ても、自分のことを考えてくれた楼子を思い出す。

 兄と似ているとは、あまり言われない。

 でも楼子が、自分があんな風に笑うのだと教えてくれた。


「……明日」


 明日は楼子と買い物に行こうと、リシュトは決めた。




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