32
「見違えたな」
「殿下」
扉が開いてヒューベルトが入ってきた。
夕凪の準備が整ったことを知らされたにしては早すぎるタイミングで、もしかしたら待っていたのかもしれない。
リシュトがヒューベルトのすぐ後ろに続いた。
「リシュト、早かったですね」
「ロオの仕事振りを見たかったから」
楼子がリシュトを見つけて駆け寄ると、リシュトは嬉しそうに姿勢を屈めて頬を触った。
リシュトの指先は冷たいのに楼子の顔は熱くなる。
よくない。
リシュトは不意にこんな仕草で楼子を触る。
緊張を忘れがちな楼子は、いちいちびっくりしてしまう。
「ゆ、夕凪、可愛いですよ。見てあげてください」
「うん」
リシュトの返事はおざなりだった。
堪え切れなくなった楼子の方から視線を外して、部屋の中央に向いた。
リシュトが楼子の髪を撫でて、その横で立った。
ヒューベルトは中央の夕凪の前までゆっくり歩を進めた。
侍女は静かに姿見とハンガーラックを下げた。
夕凪は部屋の中心でヒューベルトが近づいてくるのを待つ。
一歩。
一歩、距離が近づくたびに、空気が張り詰めた。
召喚してから
荒々しかった聖女の気配が落ち着いていた。
ヒューベルトは初めて自分の魔力を聖女の中に感じた。
自分がこの世界に呼んだ少女を見る。
歩み寄る。
ヒューベルトが微笑んだ。
「聖女ユウナギ。ご機嫌はいかがかな」
「こんにちは、殿下。……あの」
髪を弄っている時、雑談ばかりだったけれど話の中で、楼子がこうして夕凪の元を訪れることができたのは、ヒューベルトのおかげだということは伝えた。
話をすれば、分かってくれる人だと思うと感想を言うと、夕凪はそうかもしんない、と零した。
思い起こして、色々説明してくれようとはしていたかも、反抗的でニートだった夕凪と対話できる日を待っていてくれたのだと考えたようだった。
「……色々、迷惑かけて、ごめんなさい。反省してる」
ヒューベルトは夕凪の殊勝な言葉に一度目を丸くして、笑った。
「あ……」
「なに?」
楼子がふいに出した声にリシュトが反応した。
「いえ……兄弟だなと思って」
今のヒューベルトの表情が、リシュトによく似ていると楼子は言った。
リシュトは少し動きを止め、そうかなと疑問を口にして、楼子に笑い掛けた。
その表情を直視できなくて楼子が俯くと、ちょっと首を傾けて顔を覗いてくるので、さらに俯く。
リシュトは諦めてヒューベルトに視線を戻した。
青色の視界から外れて、楼子は弱々しく前を向いた。
そんな顔で見られると溶ける。
イケメン自覚してほしい、至近距離で見せないでほしい。
楼子は気を取り直して肺に空気を入れた。
部屋の中央から和解の温かい空気を感じた。
ヒューベルトと向き合う夕凪は、しっかり芯のある様子だった。
「こちらも強引だったことを詫びよう。話を聞いてもらえるか」
夕凪は首を勢いよく縦に振った。
「ちゃんと勉強して、今度こそ誰かの役に立ちたい」
この返事には勇気がいっただろう。
楼子は笑顔で夕凪の晴れ姿を見た。
夕凪はもう一度最初から聖女であることを学ぶことになり、教師を改めて紹介されることになった。
急な呼び出しに都合がついて駆け付けたのは、穏やかな笑顔の初老の男性だった。
学者という感じではなく、長年小学校に努める用務員さんみたいな雰囲気だ。
夕凪はよろしくお願いしますとお辞儀した。
教師はにこにこと夕凪に頷いた。
「聖女が降臨したときには、聖堂に祈りを捧げる。聖女の祈りが王国の安寧をもたらすとされている」
授業は明日以降に開始されることになったが、取り急ぎ決めてしまいたいことがあるとヒューベルトは話し出した。
ヒューベルトの説明を、夕凪は真面目な顔で聞いた。
大聖堂での拝礼という大イベントを執り行うと言う。
その日程が特急で決まった。
わずか十日後だ。
シナリオがあるので、夕凪は急いで覚えなければいけない。
勉強が嫌いだと言っていたが、今の夕凪はきっと大丈夫だろうと楼子は思った。
くじけることもあるかもしれないが、死ぬほど恐ろしい目に遭って反省できているし、周囲に支えてくれる人がいることを知った。
(自分から学びたいと言った)
わたしもできる限りのことをしてあげたいと、楼子はぎゅっと手を握り締めた。
教師陣はこれから夕凪の授業について打ち合わせをするそうだ。
ヒューベルトが、あまり負担のないように、と言い添えて、夕凪はほっとした顔をした。
儀式のことは、午後から神官がやってくるらしい。
「ロロにいて欲しいけど、だめだよね」
「聖女の儀式だからな、打合せに同席は難しい。当日はロロに最前列を用意しよう」
「えっ」
「やった、じゃ、がんばるよ」
楼子は驚いてヒューベルトを二度見したが、夕凪がやる気を出したので、結構ですとも言い出せなかった。
夕凪は近衛隊の見張り、もとい、護衛付きでなければ別棟から出ることもできないと決められていた。
召喚されてから連行されて回った以外に王都の地理の情報はないようだ。
楼子は夕凪に王都のガイドブックを差し入れると提案した。
聖堂の儀式が終わったら見て回ろうと約束した。
「あなたが大聖堂で務めを果たせるように、願っています」
「ロロ、生まれ変わったあたしを見ててね」
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