25 道(2)

楼子とネイが馬車で眠りに落ちているのを確認して、リシュトは焚火のそばに戻ってきた。

馬車はディジュの術で保護されており、危険はない。

アデルは戻ってきたリシュトの顔を見て、溜息を付いた。


「どうした、アデル」

「……いやなんていうか、随分幸せそうだなあと思って」





もっと、深刻な状況を覚悟して妖精王の森に乗り込んだ。

瘴気も収まって、魔族も退けて、結界の張り直しも終わって、前線の砦は平穏を取り戻したはずなのに、沈んでいた。

リシュトがルルに連れていかれて、その後どうなったのか、怖くて誰も口にできなかった。

リシュトは第三騎士団団長で第一隊の隊長だった。

頭がいない砦は、今攻め込まれたらひとたまりもないくらい覇気を失っていた。

第二隊と第三隊が応援に来て、第一隊は交替で休息を取った。

だが、隊員に広がる不安は、少し休んだところで収まるものではなかった。


そんな折、ふらりと王都警護の第二騎士団の団長が陣中見舞いに現れた。

リシュトに連絡が取れないことを不審に思ったようだった。

第二騎士団の団長は、リシュトの前任者で、アデルのことも可愛がってくれている信頼できる人だった。

だからアデルは抑え込んでいた自分の不安を吐き出してしまった。

自分のせいで魔族の攻撃を受けたリシュトに対する思いを、全部。

そしたら、お前がどうしたいかだ、と言われた。

今すぐリシュトの元へ行きたい。

第二騎士団の団長は、そう言ったアデルを快く送り出してくれた。


だけども森は深かった。

中央の森へ進みたかったが、大きな崖で隔たれていて、一本だけ架かる橋を探すのに何日もかかった。

霧が深い森の中を彷徨って食料も尽きるところだった。

絶望の淵で、アデルはようやく楼子を見つけた。

そして、リシュトの両腕がない事実を突き付けられたのだ。


瘴気に取りつかれた人をこれまで何人も見てきた。

魔障に身も心も喰われていく仲間たちを斬ったこともあった。

妖精王はリシュトの半年間の壮絶な状態をアデルに聞かせた。

団長だから無事だ、なんて、緩い妄想でしかなかった。


それから、前触れもなく、突然、楼子が聖女だと知らされた。


(ロロは、ほんとに、団長を救ってくれたんだ)


妖精王の森で過ごした一週間、楼子の隣にいるリシュトの柔らかい表情は、アデルの半年の張りつめた心もほぐしていった。

痩せてしまったリシュトの姿を見る度に泣きそうになるが、生きてくれている、そのことが第三騎士団には何よりの励みだ。

それに、自分の目の前で魔族に奪われた両腕が、ある。

団長は、また一緒に戦ってくれる。

前を向いて、王都に戻れることが嬉しくてならなかった。


ルルが砦に連絡してくれたから、第一隊はリシュトの帰還に合わせて王都に集結する。

第二騎士団団長には、団長同士の連絡手段があるから、リシュトが自分で連絡を取り、伝えきれない謝意は、王都に戻ってから会いに行くと言っていた。

国王とも宰相とも、元帥である第一王子とも、憂鬱な駆け引きが待っている。

ちゃっかり魔導士団の司令部に収まった第三王子は悋気しているに違いない。

障害が待ち受ける中、それでも、リシュトは第三騎士団のために王都に向かう。


(団長が、オレたちの団長で、本当に良かった)


アデルは感激に打ち震えた。


しかし。

しかしだ。


妖精王の森を出て数日間、リシュトがまさか本当に楼子を片時も離さないとは思わなかった。





「そうだね」


幸せであることを隠すつもりもないリシュトの返事に、アデルは呆れた。


「団長、オレは一応ロロの元の姿を知っていますから、かろうじて平静を保てますけど」

「うん?」

「なんて説明するんですか。隊のみんなに」


リシュトは楼子を甘やかすどころの話ではない様子だ。

こんな姿は見たことがない。

仕事一本でめっちゃ硬派だったじゃん。

オレたちには物腰は柔らかいけど、たくさんのご令嬢やらご婦人から向けられる好意に応えてたことなんてないじゃん。

氷の貴公子がどうしたよ。

デレデレなんですけど。


出発前にルルがこれでもかとリシュトに釘を刺していた意味が理解できた。

世間体というものがある。

リシュトは国王の二番目の息子で、第三騎士団の団長で、魔族との境界管理の責任者だ。

常に命の危機に晒されながら前線に立ち続ける姿は、国家の安全の象徴だ。

その凛々しさは大いに自慢できるし、第一王子が「諸国からの安全料を徴収するための目玉商品」と言っているのも、まあ、知っている。

そんなわけでリシュトには醜聞は厳禁なのだ。


ルルから、絶対に楼子を元に戻すから、それまで絶対に人の道を踏み外してはいけませんと言われていた。

もともと大人だったけど子供になってしまったなんて、聖女の奇跡以外に説明する方法などないが、楼子が聖女であることは色んな理由で秘匿事項だ。

もうそうなると、この状況を説明するのは無理で、リシュトが幼女趣味に走ったと陰口を叩かれるに決まっているのだ。

これまで言い寄る異性、時に同性を片っ端から袖にしてきた理由が、これだと思われても反論の余地がない。


「なにも隠し立てするつもりはないよ。俺の半身なのだから」

「腕のことですよね……団長は間違ってないです……」


楼子の祝福で腕が元に戻った。

それも聖女の奇跡以外に説明する方法がないので、秘密だ。

アデルだけが悶々とするしかないのか。

せめてあと十年楼子が年を取っていたならば、ひとりでこんなに悶々とすることもないのに。


(いや、ネイがいる。ネイは俺の気持ちを分かってくれる)


……はずだ。

楼子は成長するのだろうか。

十年後には適齢期だけれども。

だけれども。


リシュトは真剣そのもので、アデルは心配しながらその顔を見つめたが、しばらく考えてから、ぷっと噴き出してしまった。

どうにもならないな、と思った。




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