17

 一晩たっぷり悩んでから楼子はリシュトに話を切り出した。


「お湯に浸かるっていいと思うんです。呪布のままで大丈夫です。ディジュが乾かしてくれるって言うし、温泉まで運んでくれるって言うし」

「……ロオ」

「はい」

「心臓に悪い」


 えっ、と楼子は固まった。

 顔をそむけるリシュトの様子に、だめか、と楼子は肩を落とした。

 しばらくの沈黙の後、リシュトが小声で言った。


「一緒に入るってことだけど?」

「それは」


 それは昨日ディジュにも言われて一頻り赤面して悩み終わっているにも拘らず、リシュトに言われると改めて恥ずかしい。


「……そうですよ」

「…………」


 リシュトは口を噤んだ。

 楼子はそっぽ向いたままのリシュトを覗き込む。

 拒否の感じは、しない。


「……照れてます?」


 小さく返事があった。


「あたり」


 照れている。

 照れは伝染する。

 顔から火を噴いてから、楼子ははっと今ようやく気が付いたことを早口で捲し立てた。


「ぬっ脱がないですよわたしも脱ぎませんから。さすがにそれはちょっと嫁入り前なので、というか見せられる体でもなくむしろがっかりさせてしまうのも本意でもなく」

「ふ……はは」

「リシュト」


 笑うリシュトに、真面目に聞いてください、と楼子は火照った顔のまま眉根を寄せた。


「ロオ、昨日から悩んでいたり?」


 リシュトは口許を弛めたまま、首を傾げた。

 ぐ、と詰まってから、そうですよ、悩みましたと楼子は白状した。

 この話題を切り出すことに緊張しすぎて寝付けなかったくらいだ。

 折角ルルの手浴でほぐれた肩ががちがちだった。

 リシュトはやっぱり、と歯を見せる。


「だって昨日の桃の切り方、あんまりにもばらばらで」


 リシュトはまだ笑っている。

 楼子が拗ね始めて、ごめんごめんと言いながら笑った。


「いいね、お風呂。うれしいよ。ロオと一緒なら、入る」





 いつもひんやりとした風が流れる妖精王の森も、晴れている日中の気温は半袖でも過ごせるくらいの気候になってきた。

 楼子はリシュトの脇を支えて、扉を開けた。

 森の風がリシュトを出迎えるように、回廊から吹き込んでくる。

 新緑の芽吹きの力強さを運んでくる。

 楼子の下ろしっぱなしの黒髪が、扇のように拡がった。

 歌うように風はくるくると舞って、肩口に布からはみ出すリシュトの金の髪に絡みつく。


「漸くこの部屋から出てきたな」

「ディジュ、すべてローコのおかげです」


 ディジュとルルがリシュトの部屋の前で待っていた。

 妖精王は荘厳な声を響かせた。


「リシュト、快方を慶ぶ。……久方振りだな」

「ディジュ」


 ディジュは大きな手の平でリシュトの頭を撫でた。

 こうして触れることができるようになるまで、半年以上も掛かっていると思うと、楼子は胸が熱くなった。

 リシュトにがんばったねと言って、ほっぺたを両手で挟んでぐりぐりしたい。

 楼子の考えていることが顔に出たのか、ディジュがリシュトの横の楼子に笑い掛けた。


「じゃあ行くか」


 ディジュが声を掛けると、リシュトがすかさず言った。


「ルルは付いてこないでほしい」

「まあ、リシュト」


 心外だわとルルが大袈裟に驚いてみせる。

 リシュトは少々煙たそうに言う。


「さすがに母親には見せられない」

「……ははおや?」

「ロロ、知らなかったのか」


 ディジュの問いかけに、楼子はぶんぶんっと風が起こるくらいに何度も頷いた。

 いや待て、「あの子」と言っていた。

 子供って言っていたじゃないか。


「だってルルさん、どう見ても高校生くらい」

「こうこうせい?」

「心配だもの、一緒に行くわ」

「心配って」

「ロロがな」

「俺を何だと。ディジュ、ロオから離れて」

「はいはい」


 リシュトがルルやディジュと話すと、なんだか子供っぽい。

 愛ある詮索に逐一あわあわと反論するリシュトは新鮮だ。


(かわいいなあ)


 楼子はリシュトを背中から抱きしめた。

 突然の楼子の動きにリシュトが跳ね上がった。


 呪布越しに骨格がよくわかる。

 リシュトの痩せた背中に頬を付ける。


(よかったね、リシュト)


 脈が騒がしいような気もするが、楼子は他には何も考えていない。

 どうやらリシュトのぎこちない動作を見たらしいディジュの大笑いが、三百六十度、回転した。


「えっ」


 ひょいっと空中に持ち上げられて、直後、二人とも勢いよく湯に落とされた。

 ばしゃーんと景気よく飛沫が上がり、一気に髪まで濡れた。

 一瞬で部屋の前から温泉に移動していた。


「ちょっと待って、せめて一言くらい、待って足が付かない」

「ディジュ、前置きしてくれ」

「妖精王ってなんでもできるんですね」


 ディジュとルルが、泉の縁から手を振っている。

 緑の木々と、それから青空。

 楼子は笑いが止まらなかった。

 リシュトを抱きしめて、溺れる、溺れると言って笑った。




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