触れる
16
庭にウスベニアオイが咲いていた。
「ローコ、いらっしゃい」
ルルが呼んだ。
白いドーム屋根の東屋で、ルルが手桶に向かっている。
楼子が駆け足で近づくといい香りがした。
手桶の薄い青色のお湯の中にウスベニアオイとカミツレ、ミントの葉が浮かんでいる。
ルルはあれから二日ほどでいつもどおりの生活に戻った。
回復の早さはディジュが驚くくらいだった。
ディジュがこれもロロの力だな、などと言うので、何もできていない楼子は恐縮するというよりも怪訝な顔を見せて、ディジュがそれをひどい顔だと言った。
正直すぎる発言に傷つかないでもなかった。
「ローコ、クロークにワンピースもあるのよ」
「なかなか全部見れなくて、でもこの格好動きやすいから」
シャツの袖をまくって湯に浸ける楼子の姿にルルがふわりと微笑んだ。
「その服、リシュトが子供の時のものよ」
「えっ」
「ローコが着るとまるで違う服に見えるけど」
「男物だとは思っていたんですけど」
「リシュトは気付いているんじゃないかしら」
「……なんか、ちょっと恥ずかしいです」
楼子はルルと手浴を楽しんだ。
お風呂のない生活だったので、じんわり芯から温まる感覚は久々だった。
血流が上がる。
ルルがお手製のハンドクリームでマッサージまでしてくれた。
ローズティーの香りがする。
このままお昼寝したら最高じゃないかなと楼子は思った。
桶のお湯はディジュが森に湧く温泉を持ってきてくれたそうだ。
(温泉があるのかぁ)
夕方、台所のテーブルに肘をついて、桃の皮をくるくると剥き続ける。
収穫が早かったらしく、食べてみないとわからないとルルは言ったが、果実は固めで剥きやすく、確かに少し青い匂いはするけれど、固めが好きな楼子としては、食べるのが楽しみだった。
「……リシュトを温泉に入れたい」
改めて、お風呂は良いと思った。
体も心もお湯に解き放たれる。
だだっ広い風呂が良い。
屋根のない露天風呂ならもっと良い。
おいしいご飯が付いている温泉宿だと最高だ……いや、これはただの贅沢だ。
「名案だな」
先に剥き終えていた桃に長い腕が伸びた。
楼子が顔を上げるとくるっとしたエメラルドグリーンの瞳と目が合った。
「ディジュ、王様なのに行儀が悪いですよ」
「ロロ、お前が抱いて入れてやれ」
その言葉に楼子は反射的に剥き終えた桃の皮を投げつけた。
「な、な、なんて」
「待て待て、待てって。聞け」
真っ赤になった楼子を座らせて、ディジュはテーブルに寄り掛かった。
「森の温泉だろう。前に比べて随分リシュトの体から放たれる瘴気は薄くなったが、それでも私の魔力を受け付ける程ではない。瘴気が私の力を敵だとして弾いてしまう。だが、ロロが居れば瘴気は抑制される。私の魔力がリシュトに届く」
楼子は二度まばたきをした。
「裏の山を登れば川の横に湯が湧く場所がある。その場所に連れて行ってやる。リシュトひとりだと私の森の水に触れることはできない。だが、ロロが一緒なら水に触れる」
「……リシュトは森の水に触れることもできない」
ディジュの話に、楼子は奥歯を嚙む。
ディジュは腕を組んで楼子と視線を合わせた。
「ひとりではな。だから、ロロがリシュトと一緒にいてやってくれ。結界の外へ出るのも、ロロが一緒でなければだめだ」
森の温泉に入りに行く。
すなわち、結界の外へ出る。
「リシュトが……部屋から出られる?」
「そうだ」
瘴気を外界と隔絶するための妖精王の結界がリシュトの部屋に施してある。
陽光が部屋に入るようになったとはいえ、リシュトは部屋に篭り切りだ。
外に出られるということはすごく良い。
もうそれだけで完治な気がするくらい、すごく良い。
「ディジュ、名案ですね」
喜んで難なく話を受け入れた楼子に、ディジュはずいっと顔を近付ける。
「一緒に風呂に入るんだぞ?」
ディジュの顔面に今度は桃が飛んできた。
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