14
ひとりになっても、楼子はしばらくその場に佇んでいた。
森は、いつものとおりの穏やかさに戻っていた。
ルルのことが心配だった。
だけど、ディジュが付いているから。
(……なんだけど)
今になってようやく頬が紅潮してくる。
あまりにも直線的なディジュの愛情を目の当たりにした。
(ひと様のキスシーンをガン見してしまった)
羞恥心で楼子は両手で顔を覆った。
その前にとても大切なことをディジュに言われたのに、思考が散逸する。
ルルの容体が落ち着いてきていたことを鑑みるに、ディジュの口づけは妖精の術なのかもしれないけれど、絶対にそれ以上の想いがあった。
いいものを見たけど、見ていいものだったかはわからない。
ディジュは気にしないけど、ルルは気にするタイプだと思う。
でも、ルルが大切にされているなら、それがいい。
楼子は口元が緩んでいることを自覚したまま前に向き直った。
なんだかわからず大きく息を吐きだした
ゆっくり歩いて、リシュトの部屋の扉に近付いた。
指先で扉に触れた。
リシュトに謝りたい。
自分の意見を押し付けてしまったことを。
ちゃんと説明したい。
自分の気持ちを。
はた、と止まった。
(自分の気持ち、を)
それが楼子に足りないものだ。
感情を交わすことを恐れるあまり、一方的になる。
ルルとディジュでもああして言い合うことがあるのだと知った。
八翔にオレのためって言うなと責められたとき。
楼子はあの時、自分がどうしたいのかという意志を伝えられなかったから、八翔の誤解を生んだ。
妥協かもしれないけれど、楼子が自分が選んだ道で、後悔もないし間違っていないことをわかってもらえなかった。
きっと、そしたら、今だって。
「ロオ、いる?」
扉のすぐ向こうから声がした。
楼子は扉に触れたまま、硬直した。
「……は、い」
「お願いを聞いてもらえるかな」
リシュトはいつもの柔らかい口調で、そばに来て欲しいと言った。
楼子はリシュトの声を聞くだけでまた視界が滲みそうになり、一度高い天井を仰ぎ、それから扉を引いた。
両開き戸を少し開いただけで、光が、部屋の中から溢れ出るようだった。
いつもだったら体を滑り込ませてすぐ閉める部屋の扉を、惚けてしまって半分閉め忘れたが、この部屋から暗い瘴気が出ることなんて考えられないほどの明るさだった。
リシュトが立っていた。
白い呪布に包まれた頭と上半身、生成り色のズボンはストンとした病衣だった。
首元から肩に、伸びて呪布からはみ出した金色の髪が掛かっていた。
放心したまま楼子はリシュトを見上げた。
頭が後ろに行ったせいでバランスを崩して半歩下がり、扉に背中がぶつかった。
リシュトが一歩、近づく。
「リシュト、歩けるんですか」
楼子の声が震えた。
ベッドの上にずっといた。
楼子がここに来てからひと月ずっとだった。
驚く楼子に、リシュトは微笑んで頷いた。
「こんなに……背が高かったんですね」
「ロオ……」
楼子の名前を切なげに呼んで。
楼子の肩にリシュトの額が、とん、と乗せられた。
楼子が顔から火を噴いた。
「リ……!」
「ロオ、ひどい態度をとってごめん」
率直な謝罪だった。
背中の扉とリシュトに挟まれる形で身動きできずに楼子は、リシュトの声を聞いて、ひどく不規則になってしまった呼吸をどうにか整えようとする。
息を吸うと、何故か目に涙が浮かぶ。
「わたしの方こそ」
「嫌われたくなくて」
リシュトは楼子の肩をこするように小さく首を振った。
「布の下の肌は腫れているし膿んでいるし、恐ろしい
子供みたいな言い訳をしている、とリシュトは自嘲した。
近付かれて傷付けることはとても嫌だけれど、離れてしまって体温や吐息を感じられないのも嫌だ、と思い始めていたことに気付いていた。
こんなに憶病な自分に戸惑っていた。
「言葉が足りなかった。辛く当たって泣かせてしまった。ごめん、ロオ、そばにいて欲しい」
リシュトは一息で想いを吐き出した。
質朴な言葉は、楼子に真っすぐ届く。
楼子は少しの間逡巡して、自分の肩に乗ったリシュトの頭を両手で抱えた。
リシュトの身体がわずかに跳ねた。
「わたしの方こそ、ごめんなさい。リシュトのしてほしくないことはしません。リシュトがしたいことを言ってほしい」
リシュトがこんなにはっきりと言葉にしてくれたのだ。
楼子もリシュトに、自分の望みを正直に伝えなければ。
楼子は、意を決した。
「もっと、わたしが要るって、言って」
伝えてしまえば、何と簡単な言葉だろう。
ぽろぽろとまた眦から涙が零れた。
楼子の涙がリシュトの頬に伝って、落ちた。
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