12

「ルルさん、それは?」


 朝ご飯の皿を片付けて出てきた楼子は、大広間に長い布を広げて小筆を走らせるルルを見つけた。

 筆を運んだあとには、きらきらした薄い青。

 墨ではなく、透明で薄い青色に発光するインクで文字が綴られていった。


「リシュトの交換用の布よ」


 楼子はとことこ近づきなるほど、と布を覗き込んだ

 顔と上半身を包む布なのだ。

 楼子が普段目にしているリシュトの布の文字は黒ずんでいるが、最初はこんな色をしていたのだ。


「本当はもっと頻繁に新しいものにしてあげたいんだけど、なかなか」


 ルルは眉根を寄せてぽつりと言って、視線を布に戻した。


 できないのだ。

 リシュトが言っていた。

 普通の人はリシュトの部屋にも入れないのだと。


「甚大な魔力を消費するからな」

「ディジュ」


 会話に割って入ったのは妖精王ディジュだった。

 王様というにはあまりにもフランクで、このひと月ルルの屋敷に居座る間にすっかり楼子には隣の家のお兄さんくらいの感覚になってしまった。

 国宝級のイケメンというところも、三日もすれば慣れてしまった。


「呪布の作成に掛かる負担も、瘴気を浴びながら交換する負担も大き過ぎる」

「ルルさんが魔力を使い過ぎる?」


 楼子が知るRPGのように魔力を使い終わってメーターがゼロになったら打ち止め、というわけではないらしい。

 魔力はその人が死ぬまで使うことができるというのだ。


「だったらわたしが布の交換をします」


 部屋に入っても、楼子は何ともない。

 楼子は当然に申し出たが、ルルは言下に却下した。


「だめです」

「頼めばいいではないか」

「リシュトが望みませんから」

「ロロは、リシュトの状態を知らないのか」


 立ち上がったルルが、口を挟んだディジュを見上げた。

 ルルは、ディジュを叱るような目をしている。


「ローコがリシュトの世話をしてくれるから、こんなに瘴気が抑制されているんです。私の回復が五割でも呪布の交換ができるくらいに」

「寿命を縮めているぞ」

「わかってます」


 揉めている。

 初めて見る光景だった。

 ルルとディジュの関係性は、もっと大人であっさりしているものだと思っていた楼子は、意表を突かれて放心したようにその様子を眺めた。


「結界も機能している。それならばもう少し時間を置け」

「だめです。今あの子は不安定になっているから早く魔力を補わないと」


(不安定?)


 楼子は、さあっと血の気が引いた。

 自分のせいかもしれない。

 ついこの間のことだ。

 不安にさせることを言って、うなされるくらいの悪夢を見せた。


「やっぱり、わたしが」

「ローコ?」

「リシュトに、わたしでいいか、聞いてきます」


 身を翻して広間から走り去った楼子の後ろ姿に、ルルが焦って手を伸ばしたが、届かなかった。





「それは、だめだ」


 リシュトの部屋に駆け込んで、楼子は自分が呪布の交換をしたいと言った。

 ルルが本調子でないという話も伝えた。

 多分、ルルの不調は、楼子がこの世界に来たことと関係している。

 心が不安定なのか、魔力が不安定なのかわからなかったけれど、リシュトが不安定な時は発せられる瘴気が多くなるということも、楼子は理解していた。

 だがその申し出に、リシュトは断固として拒否を示した。

 その声音は、拒絶と言ってもいいものだった。


「リシュト、ルルさんがするよりもわたしなら」

「だめだ」


 リシュトは「交換しなくていいから」と言い放って、それきり黙った。

 ざらついた空気が流れた。

 沈黙の中、楼子は白目がじわ、と熱くなるのを感じた。


(!)


 自分で驚いて、立ち上がった。

 鼻の奥がツンとする。

 涙が下睫毛で留まっているうちに、リシュトの部屋から逃げ出した。

 背後でリシュトが何か言いかけた気がしたが、振り返れなかった。


(押し付けた)


 また、やってしまった。

 八翔やとによく嫌がられた。


 閉めた扉に背中を預けて、下を向いた。

 自分の髪の毛が視界を四角く遮った。


 大学進学を止めて就職した時、弟は、まだ小学生だったのに、怒った。

 オレのためって言うな、オレが姉ちゃんの大学に行けない言い訳になるのかよ、と言って怒った。


 そうじゃない、八翔。

 あなたを引き取って一緒に生活したいと思ったから。


 弟は楼子に大学に行けばいいと言った。

 別にオレは金のかかるクラブを続けなくてもいいし、おかずがなくったっていいと言った。

 楼子は、弟には、その年始めたバスケを続けてほしかった。

 折角医者から許可が出て、ようやく通い始めることができたクラブだった。

 病室でスーパープレー集ばかり見ていた弟が、やっと自分でボールを持った。

 このまま健康で、中学生になっても部活をして、友達と青春してほしかった。


(あの時、一週間くらい口をきいてもらえなかったな……)


 楼子は、すんと鼻を鳴らした。


 どこで諦めたんだろう。


 地元の国立に行こうと思っていたけど、奨学金を受けられるほどの学力もなくて、生活は少し厳しくなるかもしれないとは思っていた。

 私立を選択できるわけもなかった。

 そんな状態で受験したセンター試験の結果が思わしくなかった。

 二次で挽回できたかもしれないのに、楼子は、就職することに決めた。

 弟は、楼子をよく見ていたと思う。


(オレのためって言うな、か)


 楼子はいつも独り善がりだ。

 自覚はある。

 途中まで、本当にその人のためになると思っている。

 そこが、悪だ。

 年齢を重ねて気を付けるようにはなってきていた、はずだったのに。


 今のだってそう。

 ルルの代わりに布の交換を買って出ようとしたのは

 リシュトのためじゃなくて

 自分のせい、が重なって

 自分の犯したミスを挽回したかっただけだ。


「……っ」


 ぼろぼろと涙が零れた。


「ローコ」


 布を抱えて現れたルルが、楼子の頭をぎゅっと抱き締めた。


「リシュトが、ごめんなさい」


 楼子の頭に頬をつけて、優しく撫でた。

 それからルルは楼子の脇を通り抜けて、リシュトの部屋に入っていった。




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