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「ヒューベルト殿下」

「ああ、リシュト、ご苦労だったな」


 使節団の護衛の任務は二年に及んだ。

 王都に戻ってきたリシュトがまず聞かされたのは、魔導士団長ルルーフェンの解任だった。

 ルルーフェンはすでに王宮を去り、この二年で頻回に災害に見舞われたアスティア伯爵領に普請に赴いたとされていたが、アスティア伯爵は王家との婚儀の際便宜上ルルーフェンを養子に加えて以来親交はなく、迎え入れる人がいるとは思えなかった。


 事情を聞ける人を考えた時に、リシュトは腹違いの兄である第一王子の元を訪れることにした。

 城内を早足で進むリシュトを妨害するように「まだ生きていたのか、リシュト・アスティア」とわざわざ家名まで付けて呼んで現れた第三王子……繰り上がって今は第二王子のはずだ、の隣に、かつての婚約者の姿があった。

 チクリと胸を刺す痛みはあったが、それを気にするどころではなかった。

 リシュトはやや乱暴に執務室の扉を開き、第一王子に詰め寄った。


「ルルーフェンは」

「……すまない、力及ばずで」

「じゃあ魔導士団は」

「魔導士団は存続しているが」


 ルルーフェンの力を必要としない魔法技術の提唱があって、議会がそれを承認した。

 研究所の発表があってから僅か数週間の決定だった。

 リシュトが戻るほんのひと月前の話。

 ルルーフェンは姿を消した。


 国王は、リシュトのことをヒューベルトの万が一の代用品くらいには考えているらしく、騎士の称号を与えることを渋っていたが、リシュトは王都から離れた騎士学校を卒業して同時に騎士になった。

 リシュトは第一王子とは仲が悪いことはなかったし、適性も良く理解していて、このまま第一王子が継承権一位で何の不満もなかった。

 王位継承権は辞退した。

 それで騎士団に入った。

 母もそれで構わないと言った。

 想定外だったのは、同時に長期の遠征が決まったことだった。

 第三王子が学園に入るタイミングだった。

 第三王子が不在がちになる王宮内で第二王子に居場所は与えない、そんな思惑に、損得勘定で離合集散を繰り返す連中のくだらない派閥争いに巻き込まれた。


 心配したのは母のことだった。

 もともと王宮は敗戦国からの献上品だった自分には不釣り合いの場所だから、と言った母は、反意を抱いていないことを示すために敢えて危険な魔導士団での任に就いていた。

 全てはリシュトに対する王宮内の空気を緩衝するためだった。


「陛下は」

「……何も」


 ガン、と鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。

 ほどなくリシュトは、魔族との戦闘線で直接砲火を浴びる場所の任務に志願した。





 膨れ上がるのは、悲しさとか辛さとか。

 悔しさ……それとも怒り、か。


 ままならない、不条理に対して、少なからず怒りは抱いていた。


 体が爆発するような感覚だった。

 怒りをそのままに、黒い腕が楼子の肩を掴んで押し倒す。

 自分の腕じゃない、黒い腕が、楼子の細い手首をひとまとめにしてシーツに縫い付ける。

 荒々しく口内を貪って、怯えて背を反らせる身体から衣を剝ぎ取る。

 指を、唇を肌に這わせて、自分の熱で外も中も隙間なく埋めてしまう。

 楼子の黒い瞳に映るぞっとするような凍てついた青い目は、自分の




「……リシュト」




 慄いた。

 楼子の声に、リシュトは背筋を強張らせた。

 何故楼子の声がするのか、わからない。


「リシュト、一度、目を覚まして」


 いる。

 そこにロオがいる。

 うなされていた自分に気が付いた。


(なんて夢を)


 楼子はベッドに腰かけて、リシュトの顔を撫でていた。


「起きて」


 優しい囁きが耳の奥にじんわり残る。

 脳が揺さぶられるような悪夢は掻き消えて、もう、何も考えられなかった。

 楼子に掛ける言葉もわからなくて、迷って、ようやく今が真夜中で、楼子も就寝中のはずだと思い至った。


「……部屋に戻る時間だろう」

「なんだか、リシュトのそばに居たくなって」


 微笑みが見えるようなその声は甘い響きがした。


「日中に、不安になるような話をさせてしまったなと思って」


 反省を口にして、そうして、また頬を撫でた。

 楼子の手のひらが温かい。


「どうして……」


 リシュトの口から、疑問の言葉が出るが、楼子に何を問いかけているのかは自分でわからなかった。

 楼子はどう受け止めたのか、ひとこと言った。


「……弟が、そうだったから」


 弟、という単語が、リシュトにまた恐怖を与えた。


 ———ロオの家族。


 楼子はリシュトの世話をすることに、何の疑問もない様子だった。

 そして、ほかの人と違って、体調や精神に異常をきたすような様子もなかった。


 だけど、だからといって。


 知らない世界に突然連れてこられて、動けない人間の看病を任されて、これまで蓄えてきた人生全てを置き去りにして、この人はどんな思いなんだろう。

 自分はロオに頼ることしかできない。

 今の自分に、この人に返せるものは何もない。

 ロオにはこの場所にいる義務はない。

 むしろ恨まれても言い訳はできない。

 それなのに、ロオから感じるのは、深いぬくもりで。


 リシュトは、妖精の結界の中に閉じ込められた人の殻の、呪布に包み隠された瘴気の中の、騎士として国の民を守らねばならない使命の内側の、ただ闇に怯える自分に手を差し伸べてくれたこの人を、聖女だと思った。


 楼子はただ、何度も何度も頭を撫でた。


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