「ローコ、改めて、こちらは妖精王ディジュです」

「妖精王ディジュだ」


 ルルが紹介した青年は、妖精王ディジュと名乗った。

 その二つ名は、そのままの意味で、ディジュはこの森を治める妖精だった。

 楼子のイメージの妖精は、掌に乗るくらいのサイズで透明な羽を持っている少女だったが、ディジュは見た目は全く人間の青年だった。

 ルルの方がよっぽど妖精のイメージにしっくりくる。


「藤白楼子です」


 まだ気後れしながら楼子が名乗ると、ディジュは楽しそうに顎をさすりながら楼子を見て、ロロだな、と決めた。


「え、と」

「ロロだ。ルルの弟子でロロ。いいだろう」


 シュンシュンシュン。

 小鍋が吹き零れる音がした。

 まずい、と小走りに楼子がコンロに飛んでいき、鍋を持ち上げた。

 火加減がわからない。

 昨日の野菜スープはこんなぐつぐつ煮えたぎらなかったのに。





 控えめなノックをして楼子はリシュトの部屋に入った。

 眠っている。

 水差しとコップのお盆を丸テーブルに置いて、部屋の奥の井戸を確認した。

 昨日と変わらず水は滔々と溢れ続けていた。

 冷たい。

 手の平に掬う水がさらさらと、汚れを落とすように意識を清明にしていく。

 振り向けば花壇の花も、茂みの緑も色濃くなっている。

 中央の樹の幹にも瑞々しさが感じられる。


 急に光が増した。

 楼子は目を細めた。


 窓の外、衝立が取り払われていく。

 ディジュとルルが言うには、森の水がショウキを押し退けたとか、ショウキのノウドが何やらとかで、妖精王の結界の力がマショウを上回ったのだから、この壁は最早不要で、一刻も早く取り払った方がいいということだった。

 楼子には半分もわからないが、窓から日照を取り込めるということらしい。


 お日様を浴びるのは良いことだと思った。

 楼子の世界と同じなのかはわからないけれど、人間、太陽の光を浴びないと体温とか脳内物質とか調整できなくなって、体調を崩すし、精神不安にもなる。

 リシュトがずっとうとうとしているのは、自律神経の乱れかも知れないし、いや、違うな、ルルが言っていたのは、リシュトが魔物に両腕を食われてしまったという話で、そんな単純な話ではないのだろうけど。


 楼子はリシュトのベッドをそっと覗いた。

 太陽の光を受けたリシュトの肌は、昨日より少し健康的で、腫れが引いたように見える。


「……ロオ、いる?」

「っ、おはようございます」


 柔らかい声で名前を呼ばれて、どきりとした。

 眠っていると思っていたので、不意を突かれた。

 ごまかすように、お水飲めますかと聞いて、リシュトが頷いたので、体を起こそうと近付いていく。

 昨日と同じくクッションと枕を挟んで体を起こした。

 水を数回口にして、リシュトは息を吸い込んだ。


「目の奥があったかい」


 リシュトの言葉に、楼子は嬉しくて少し声が高くなってしまった。


「おひさまです。窓から日光が入って」

「うん。見えないけど、光は感じる。こんなに明るいのは久し振りだ」

「リシュトさん、眩しくはないですか?」

「大丈夫だよ。朝だなって思うくらいだ」


 それよりも、とリシュトは微笑んだ。


「ロオ」

「はい」

「リシュト、って呼んでごらん」


 ぐ。

 呼吸が止まる。

 この人は昨日から次から次へと、異性に不慣れな楼子に対して要求が過剰だと思う。


「……リ」

「うん」

「……シュ、ト……」


 搾り出した楼子の声と対照的に楽しそうにしているのが伝わってくる。


「あ、朝ご飯にしますっ」


 楼子は慌てて立ち上がった。

 待って、わたし、呼び捨てで名前呼び合う友達もいないの、もしかして。

 リシュト、と呼んだことが、この年にしてとても恥ずかしかった。




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