「お困りのご用件を教えてください」


ご相談内容の概要を伺います、とか、仕事場でよく使っていた言葉だ。

だが、果たして目の前の男性は、包帯でぐるぐる巻きで、動くこともできなさそうで、生活すべてが不便だろうに、そんな人に困っていることを聞くなんて愚の骨頂である。


(違うこれじゃない)


楼子は言ってしまった後自分にツッコミを入れた。

リシュト・アスティアは楼子の動揺した気配を感じ取ったのか、ゆっくり頷いた。


「しばらく一人きりで、寂しかったから。話し相手がいなくて困っていた」


楼子は心臓を一突きされた気分だった。

罵ることなく、会話を続けてくれた包帯の男性が輝いて見える。

ここで不要だと切られて部屋から追い出された場合、することがなくなる。

仕事がなくなるのは怖い。


良い人だ。

そう思って、なんだか嬉しくなってしまった。

気の緩みを自覚して、いかんいかんと、ふ、と息を強めに吐いた。


「……眠っていると思って、勝手にお部屋を拝見していました」


そのようだな、とリシュト・アスティアは少し首を傾けた。


「動いている気配があって、でも、夢かと思っていた」

「どうして」

「この部屋は、普通の人なら入ったら死ぬ」


死ぬ。

腹の底が震えた。

恐ろしい言葉をさらりと吐いてから、リシュト・アスティアは笑った。


「あなたは特別な人のようだ」

「いえ、それは」


そんなはずはない、と楼子は即座に否定した。

地味な紺のスーツの袖を掴む。


「私はしがない事務員で」

「うん」

「資格も免許も言うほど持ってなくて」

「うん」

「腹筋もろくにできないし」

「うん?」


笑われた。

笑い事ではないのだ。

腹筋があれば刺されても死ななかったかもしれないのだから。


リシュト・アスティアはくっくっと声を堪えるようにまだ笑っていた。

アスティアさん、と呼びかけると、ようやく長い息を吐いて落ち着きを取り戻したようだった。


「すまない。……あなたは、どこから来たのだ」


続いた言葉に楼子は肩をこわばらせた。

どこから、と答えるのが正解なのか。

いや、それよりも、聞かなければわからない。

仕事内容としては逆だ、じゃない待って、これは相談受付じゃない。

逡巡した口から勝手に疑問がはみ出した。


「ここは、どこですか」


その質問は、だめだった。

楼子は息を止めた。

リシュト・アスティアは返事に困ったようだった。


「それは、あなたがこの世界ではないところから来たという意味?」

「……まだ、確実にそうだと判断したわけではありません……情報が少なすぎて」


でも、地球上であの速度で花が咲くことなんてないだろう。

動画を超倍速で早送りして見るような開花だった。


「ここは、アンリアンス王国。今いる場所は西の端、魔族の国とのちょうど境で妖精王ディジュの支配地、土地の八割を占める森の中」


リシュト・アスティアは丁寧な説明をしてくれた。


端的に、地球じゃない。


リシュト・アスティアの説明にファンタジーな単語が並んで、楼子は頭から血の気が引いた。

楼子の培ってきた常識が通用する世界なのかどうか、わからない。

楼子は日本から出たことすらないのだ。

日本の当たり前を享受して、外の世界のことなど深く考える暇もなく生活していた。


考え込んでしまった楼子に、リシュト・アスティアが柔らかく声を掛ける。


「ロオ」


あまりにも優しく呼びかけられた名前に、楼子は跳ね上がった。


「あなたの目は、何色をしている? 髪の色は?」

「え」

「見えないから。知りたい」


口説かれているような言葉に驚いて椅子の上から転げ落ちそうになった楼子が、かろうじて落ちずに済んだのは、彼が顔を覆う包帯をしていることに思い至ることができたからだった。


それにしたって距離の詰め方よ。

冷静になれ、楼子。

この世界は髪の色に何か身分制度的なものがあるという可能性を考えるべきか。

答えたらクビになることはないだろうか。


「く……黒色です」


恐る恐る回答した。


「そうか、髪の長さは? 背は?」


色はセーフだったかとほっとする。

立て続けの質問に動揺しつつ答える。


「今縛っているけど、下ろせば背中の真ん中くらいです。背は……ルルさんと同じくらいかな」


そうか、と彼はもう一度言った。

溜息と一緒に言葉が紡がれる。


「この目がまた見えるようになれば、あなたの姿を見ることができるのに」


楼子は無気力感に苛まれた。

最近見えなくなったんだ。

絶望の直中にいるであろう彼の心中を慮ると、苦しい。

励ます言葉を探すが、見当たらない。


「大した容姿じゃないですよ」

「そんな美しい声で、謙遜するものじゃない」


いやだから、距離……。


言葉の甘さを真に受けられない。

擦れているのかもしれないが、それなりに大人だし、仕方ないんじゃないか。

こんなこと言う男性は冗談好きか軽薄かどっちかでは、と楼子が危うくツッコミを口にする前に、コホコホと咳が聞こえた。

はっと我に返った。


「アスティアさん」


慌てて立ち上がると椅子が倒れた。


「急に喋らせすぎましたね。水を取ってきます」


走りだそうとした楼子を呼び止めて、声がした。


「リシュト」

「え」

「名前で呼んでほしい。ロオ」


喉が、ぎゅ、と縮まったような気がした。

赤面したのを見られていないのは、救いである。

あわあわと部屋から走り去る楼子に、リシュトの笑顔が掛けられた気がした。




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