部屋の奥まで進むと石が組んであり、井戸があった。

水が汲めるのかな、と考え蓋を開けた。

蓋を開けると、急に水が溢れ出した。

たわたわと溢れ続ける。

しゅう、という乾燥した石に水が浸み込む音の後、さらさら、と水路に流れ込んだ清らかな流水の音が耳に響いてくる。


(あ、いいなあ、水の音)


流れる水に沿って楼子は歩き出した。

水路は部屋を一周している。

花壇はどれも茶色く、枯れている、良くて萎れていて葉はぺったんこだった。

植物の下を覗くと、土は乾燥してひび割れていた。

水路から吸い上げるようにしていたのだろうが、水路が空だったのだから干上がってしまったのだ。

生き返るだろうか。

外の風でも入れてやればいいのかもしれないが、壁に近づいてみると、縦長の窓ガラスはどこも填めこみだったうえ、下半分は外から板が張り付けられている。


「外せたらいいんだけどな」


板がなければこの部屋の薄暗さは概ね解決するだろうと考えながら一周して、中央の樹に向かった。

楼子の腕が周らないくらいのしっかりした幹。


幹に手を添えると、硬かったが、吸い込まれるような、めり込んでしまいそうな錯覚がした。


「……?」


樹は直接地面から生えていて、この部屋の天井を支えるように枝を伸ばしていた。

手入れされていないささくれのような細かい枝をつけている。

葉も、花もないが、桜の幹のように見えた。

中央の樹の周りには水路はない。

地面から生えている樹に、水遣りをどうしようと考えながら、低い石垣の囲いに腰を下ろした。


「……うん」


改めて部屋全体を見渡すと、最初に足を踏み入れた時よりも、明るく清浄な空気になった気がして、楼子は満足して頷いた。


部屋を見渡してしばらく、ぼんやりと樹を見上げた。

それから視線を落とすと、目の前で、かさかさ、と葉が動く。

目を見張ると、黄色くなっていた花壇の植物の葉がみるみる緑色になって、その上ぽんっと桃色の花が咲いた。


「えっ」


驚いた。

続けてポップコーンでもできるように次々と花が弾ける。

その連鎖は部屋中に広がり、あっという間に色とりどりの花が咲く植物園の様相となった。

続けて、がさがさと音がして振り返ると、枯れ木の枝が膨らんでいった。

目視できる速度で成長する樹とは。

タケノコでもこんなスピードで伸びない。

目の前の光景が信じられない。

雲が湧くようにもりもりと枝が膨らむ。

つやつやとした若い枝、枝先には薄いピンク色の蕾まで付けた。


「ま、魔法みたいだな……」


まばたきを忘れた。

呼吸が浅くなる。

これは一体。


ここ日本じゃない。

そう思った。




「……空耳では、ないのか」




男の声がした。

若そうだけれど、張りのない掠れた声だった。

楼子ははっと首を捻り、天蓋のベッドに駆け寄った。

起きたのだ。


「この部屋に入れたのか」


会話にするために、楼子は独り言だと思われる男の言葉に返事をした。


「勝手にすみません。鍵はかかっていませんでしたし、お屋敷の女性に案内していただいたので」


男は顎を少し動かして楼子の声がした方に顔を向けた。

顔も上半身も、ほぼ包帯で隠されていた。

外に出ている皮膚は赤黒く、痛そうだった。

唇は乾燥でひび割れている。


楼子は男の言葉を待った。

随分待って、男はようやく次の言葉を吐いた。


「……すまない、ルル以外の人と話をするのはいつ以来かで……驚いた」


あの女性はルルというのか。

楼子は伏せ目がちだったルルの姿を思い出す。

「あの子を救ってほしい」と言った推定美少女の顔。


(……あの子って)


この部屋に、子どもはいない。

目の前の男性は肩幅もあるし、声の感じから想像するに、成人だと思う。

くるり、くるり、と部屋の中を確認するが、やはり目の前の人以外に人らしきは気配もない。

この男性だけ。


(この人が、あの子?)


楼子は口元に人差し指を置いて思案して、そうなんだろうな、と結論付けて、話を続けることにした。


「わたしは藤白楼子と言います。ルル……さんに頼まれて、あなたとお話ししたいと思っています」

「……ロオ……?」


名前を聞き取れなかったか、男性は名前の一部をぎこちなく復唱した。

戸惑った様子が思いのほか可愛らしくて、楼子はふふ、と笑った。

楼子の笑い声に釣られたのか、男の口元が緩んだ。


「俺の名前は、リシュト・アスティア」


英語的な並び方だとすると、リシュトが名前でアスティアが苗字でいいのだろうか。

苗字っぽいしな。

一瞬の判断で、楼子は苗字で呼びかけた。


「では、アスティアさん」


準備したとおり、業務用の言葉で。


「お困りのご用件を教えてください」





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